創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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皆さんこんにちは!

今回はマインドコントロールについてです。

久しぶりに会った学生時代の友人が・・・・
という話は私の周りでもよく聞く話です。
「なんであの人が!?」と思うことも多々有ります。
人の性格は、マインドコントロールにはあまり関係がないのかもしれません。

まず、マインドコントロールとは何か。

『強制によらず、さも自分の意思で選択したかのように、
あらかじめ決められた結論へと誘導する技術、またその行為のこと。』
                         (ウィキペディア参照)

(ここが洗脳と違うところですね。
洗脳は『物理的暴力あるいは精神的圧迫などの強い外圧がある』ことです。)

ネットで色々調べていたのですが、
全体的にとても共感できる記事があったのでここで紹介させて頂きます。
参考URLはこちらです。(尚、以下の引用部分は青文字で表します)

マインドコントロール下にあっても、自分がやっていることが一般常識から
見たら異常なことだろうな、ということは認識できる。
のみならず、救出のために 説得された時、相手の言っている論理も理解できる。
理解はできるのだが、 自分の世界観のほうにより
価値を置いてしまっているため、行動を変えようとは思わないのだ。

よく「なんで?そこまで解っているのに間違いがわからないの!?」
という状況がありますが、自分の世界観に価値を置いてしまっているのですね。

例えば、「仏罰があたる」という気持ちに対して、私達は相手に対して
「仏罰なんてあるわけないじゃん!もう少し客観的に考えようよ。」と
言うと思います。が、本人にとってみれば「そうなんだけど・・なんだか怖い。」
という反応がほぼ間違いなく返ってきます。
本人は「仏罰があたる世界観に価値を置いてしまっている」のですね。

下記の工程はマインドコントロールに徐々にかかっていく
順序が書かれています。

少しだけ、本人の持っている価値観(ものの見方、スキーマ)を揺らす。
壊すのではなく、「そんな考えも あるのかあ」と匂わせるくらい。
                  ↓
その揺れが戻らないうちに、そちらの考え方を 強化する方向で
ちょっとした経験をさせる。「ふーん、こういうこともあり得るかもね」。
好奇心をかきたてる。
                  ↓
「もうちょっとやってみて、本当にこの考えが正しいか確かめてみようかな」。
時々、答えを得るためにコミットメントが必要な関門が設けてある
(例えば高額のセミナーとか)。
                  ↓
「いや、別に全面的に信じてるわけじゃないんだが、
その可能性を確かめるためにも 体験してみるしかないかな」。
                  ↓
一回コミットしてしまうと、受ける前に感じた疑問は 忘れてしまう。
                  ↓
「思ったほど変では無いな。半分は間違いだとしても、
何か得るものがあるかもしれない。
本当に間違いだと分かったらいつでも止められるし」。
そうやって、ごく僅かづつ、価値観をずらしてゆくのだ。。


この工程を読んで、私はとても恐ろしくなりました。
普通に日常生活で行われていることだと思ったからです。
最初は疑問を持ち、否定的だったとしても、やり方によっては
「何か得るものがあるかもしれない。」とまで変わってしまう・・・
もしその対象が社会的に見てとても恐ろしい団体だったら・・・

マインドコントロールには一度はまると、 まず自分一人で脱出するのは無理である。
しかし、マインドコントロールを行う集団以外の場所で人と多く接し
議論する場があると、集団の方針を検証することができる。
内省のフィードバックサイクルとは別に、「この行為によって、社会にどのような
影響を実際与えたのか」を考えることができる。
いくら理念が崇高でも、結果が出なければ空論に過ぎない。
そこに気づけるかどうかが運命の別れ道のように思える。


一人で脱出しようと思うこと自体がまず無理なのでしょう。
友人でも家族でもネットの世界でも、その集団以外の場所で
話し、議論し合うことが一番の近道だと私も思います。
同じ組織の中で相手を論破しようと考えるのは非常に危険です。

自分の心が操られていたことを認めるのは、かなり抵抗がある。
他に影響されず自分の人生を自分で決めて行動できる人は「強い人」であり、
他人に心理的に依存しなければ生きてゆけない人は「弱い人」である、
という価値観は広く受け入れられているからだ。
マインドコントロール下にある人も、その価値観に縛られている。
本人は、自分で決めていると信じているからだ。
そして、「指導者(教祖、グル)に依存しているのだろう」という周囲の声を笑い飛ばす。
君達こそ、目に見えない社会常識とかいうものに依存しているんじゃないか、と。

あくまでも自分で決め、行動していると思っている、けれども実際は
「そういう行動をとるように仕向けられた」というのが正しいと思います。
非常に日常生活と密接に絡んでいるマインドコントロール。
決して特別なことではなく、当たり前のように社会に浸透している事実、
自分が「私はそんなのに引っかからないよ」と言っているのは
「私は癌なんかにならないよ」と言っているようなものであり、
その言葉の根拠は何も無いのです。

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コメント

(^^;

ほんとに凡夫さんへ

自然など目に見えな何かへ感謝する事はなにも神社仏閣に行かなくても出来ると思っております。

伝統的な宗教への敬意とは別物だと捉えております(^^;

「いいや、そうではない!」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも、そう思う方はそれはそれでいいと思いますし、私の想いは私の個人的想いであり、それを他の方へ押し付けるつもりはありません。

創価学会のように学会のみを肯定し、他を排撃・見下しそれを他人に強要する事がなければ、人それぞれどういう宗教観や価値観を持つ事も自由だと考えております。



そうですね

さくらさん
こんにちは。

僕もそう思います。

個人的にはその感謝の気持ちが何ゆえ神社仏閣への敬意つながるかはびみょーですが。

でも、その「自然な感覚」は、良いものだなぁ~と思っています。

自由が一番♪

ほんとに凡夫さんのスタンスを否定しません。
むしろ肯定します。
何事も自分自身で自由に考え判断を下すという事が社会生活を送る上でもっとも大切だと私も思います。

ただ、人の力ではどうにもならないような(自然とか)目に見えない何かに日々、感謝の気持ちを持つ事は大切かなっと位は思っておりますけど。


あー・・・

さくらさんへ

いろいろお気遣いまでしていただいてありがとうございます。
気にならない方はぜーんぜんそれでいいと思います。めんどくせーし(笑)
とりあえず僕はもう無理ですね。「カモもヘチマもあるか」という具合に・・
でもそれが不憫だとかは思っていません。
すべて自分の判断に任せるというスタンスもあってよいものと思っています。


あきさん

はじめまして。
僕が神社に参らないのはMCのせいじゃないです。決して罰が当たるとか謗法だとかっていうわけじゃありませんので。
で、人のために祈ることも、自分の心を清めることにも「お社や鏡」は必要だとは思いません。神社によっては何かのイベントイベントでぼろ儲けしている様をみると、はて?と思ってしまいますね。神社に大理石って、、おいおい(--;)

しかし、風習を学ぶこと、しきたりを学ぶこと・・なぜそこに祭られているのか知ることには意味があると思います。
御神体によっては「えー・・?」っていうものもあったり。。
いずれにせよ礼拝するかどうかは個人の自由です。

それよりお墓問題、解決すると良いですね。
創価学会には徹底的に従わないでください。
お墓はあきさん一族の皆さんのもの。
身勝手な排他的選民思想から大切なお墓を、ご先祖様を守ってあげてください。

それでは。。

神社好きからコメントです。

神社には何が奉られているのか、それは各神社により違います。 その時代により役割が国によって変えられてきた歴史があり、参りたくないと思うのは創価のせいというよりその風習におかれていなかっただけだと思います。
今の神社に共通しているのは、ひとのためにお祈りをして幸せを祈る場所です。 また神社の奥殿には鏡が奉られています。それは自分自身の心を映すものだと言われています。心を清めて日々を感謝する事、その場所であるように私は思います。
礼や拝は、崇拝ではなく敬する心の形であり、私は形式的なものにも意味があると思うので、ご自分で本を読み本来の意味を知ることで、宗教的マインドコントロールは解いていけるものだと思います。

ほんとに凡夫さんへ

おはようございます。

まだまだ、言葉足らずだったかも?と思っていたのですが解って頂けたようで嬉しいです。
ありがとうございました。

創価学会のせいでそんなに深く考えなくても良い事をいろいろ考えてしまわれるようになってしまったんですね…。
そういうのも創価学会問題のひとつではないかと私は感じます。

>「建物」や建物の中にある「何か」にお辞儀をしたり合掌したりすることに?を感じてしまいます。

一般的な日本人の多くは何に「お辞儀をする」とか「何に合掌する」とかそんな事を深く考えていないと思いますよ(^^;
ただ、そういう場ではそういう事をするのが一応しきたりのようになっていて、そうしたしきたりに従って行動し、それでその行動により「もしかしたら良いことがあるかも?」とか「悪い事が好転するかも?」とか感じるのだと思います。

あくまでも【かも?】です。
言ってみれば気休めみたいなものです。
気休めで“なんとなくいい気分になる”それだけで十分ではないでしょうか?
それを“ありがたい”と捉えるのが一般的な日本人だと私は思っています。

創価学会はそれを【かも?】ではなく【絶対】だと言ってしまっています。
それは間違いだと思います。
創価学会の【絶対】を信じ込んだ信者が一般常識から逸脱した間違った方向に走ってしまっているのが現状なのではないでしょうか?

池田センセイ亡き後、創価学会がどうなって行くか楽しみです。

誤記訂正


あなた及び、学会員はここでは必要とされていないと私は思います。

あなた及び、バリ学会員はここでは必要とされていないと私は思います。

こちらで学会員でありながら悩んでいる人や退会出来ない人がコメントしたり
ROMしたりしてる可能性を忘れていました。
大変に失礼しました。>皆さん。

さくらさん

お返事いただき、ありがとうございます。

>一般的な日本人ならそういう行動をとりますよね…?

うう・・そうだと思います。
僕の場合は創価学会が手痛い経験になって、一体何に手を合わせているのか気になるようになってしまいました。
神社は一体何が祭ってあるのか不明ですが、仏教の場合、釈迦は自分の遺骨を崇めることを嫌がっていましたね。キリスト教の十字だってローマで国教となった後の話で本当のシンボルは魚です。キリストは死後300年以上も後のニケーア会議で勝手に「神に決まった」のです。実は現代こういったことを知っている人は結構多いんじゃないでしょうか。

何が言いたいのかといいますと、釈迦にしろキリストにしろ、敬意が払われるべきは寺院や教会ではなく、生前のことばです。「建物」や建物の中にある「何か」にお辞儀をしたり合掌したりすることに?を感じてしまいます。
伝統が何百年というのも、維持してきたことに敬意を払えても事実は事実という感が拭えません。
「別に気にしない」というのであれば全然かまわないと思いますが。

>創価学会は営利団体であり“宗教ではない”という認識です。

そうなんでしょうね。実際彼らの殆どが「自分の信じているものが一体何なのか」追求する気もないようです。自分たちを「絶対」としてしまった成れの果てだと思います。

>実体験からそういう力を持った僧侶も存在するとは思っています

そのお坊さんが実際にした行為が何かは分かりませんが、僕もそういったことが頭ごなしに否定されるべきではないと思っています。

>創価学会に対しては同じような気持ちを持っております

ほんと・・早くなくなってほしいですね・・・

ほんとに凡夫さんに追記

念のため、私は特に宗教に入れ込んではいませんが、伝統的な“宗教”と呼ばれるものにはそれなりに敬意のような気持ちは持っております。
お寺に行って合掌をしたり、神社に行って柏手を打ったり、チャペルでアーメンと言って十字をきったり、一般的な日本人ならそういう行動をとりますよね…?
私の言う敬意とはその程度のものです。

創価学会は営利団体であり“宗教ではない”という認識です。

『理にかなってはいないのですが…m(__)m』に書いた事だけではもしかすると誤解を生むかと思い追記させて頂きました。

理にかなってはいないのですが…m(__)m

ほんとに凡夫さんが何をおっしゃりたいのかはよくわかります。

実際に修行をした僧侶が唱えるお経が「神仏に通じるとか、法力・功力があるとか、鎮魂の力があるとか」っていう事は証明出来る事ではありませんから…。

ただ、私自身は実体験からそういう力を持った僧侶も存在するとは思っています。(だからと言ってそういう僧侶を別に崇め奉っているという訳でもないのですが)

でも、そういう話は学会員さんが「功徳があった、福運がついた、仏罰が下った」などとおっしゃっているのとなんら変わりなく根拠を証明できる事ではありません。
素人のお経では…云々という話につきましては一般の誰もが納得の出来るものではないと、ほんとに凡夫さんのご指摘通り、理にはかなっていないとよ~く認識致しました。
申し訳ありませんでしたm(__)m

私は創価学会・学会員には酷い目に遭わされた経験もあります。
ほんとに凡夫さんやキヨさんや皆様方と創価学会に対すしては同じような気持ちを持っております。
また、今後ともよろしくお願い致します。


すいません。。

↓のコメントはさくらさんに宛てたものです。

「バリ活動家とアンチ」の記事で書かせて頂きましたが、学会の葬儀というのは非常識極まりないものだということはよく存じております。
僕の近所の学会員さんは、自分の子供の葬式で、導師に突然「香典泥棒」の話をされたそうです。普通の会合ならまだしも、学会Nowを他人の葬式で話し出すなどアタマ狂ってるとしか言いようがありません。
イベントとしか考えてない・・仰るとおりですね。実態は目を疑うようなものです。

学会はさておき、僕が言いたいのは「丸儲け坊主」がいるとかいないとかの話ではなくて、お経をあげるのに修道してるからありがたいとかではなく、そこに故人を偲び、心から冥福を祈る気持ちがあればよいことであって、果たしてそれは僧侶に頼まなければいけないのか、、また僧侶が唱えるのにしてもお金が必要なのか?ということを、学会を抜きに考えてほしかったのです・・
また、根本問題としてお経をあげることが神仏に通じるとか、法力・功力があるとか、鎮魂の力があるとか・・それは理にかなってますか?本当にありがたいことなんですか?ってこと・・僕はその辺非常に疑問なんですが、ちょっと筋がずれていっちゃいそうなんで、今回はやめておきます。
こちらから投げておいて、大変申し訳ありません。今後ともよろしくお願いします。



僧侶のお経にもありがたいのとありがたくないのがあるのは確かです。

ほんとに凡夫さん
はじめまして。

確かに僧侶と呼ばれている人にも本当に修行を積んで神仏に通じる力のあるお経を詠める方とそうでない方とがいると思います。

本当に修行を積んだ僧侶のお経も創価学会の地区の幹部がつとめる導師のお経も知っているのですがどことなく違うのです。
ですが、ありがたみがあるかないかは私の主観です。
誤解を招く表現をして申し訳ありません。

確かに「坊主まるもうけ」という言葉があるくらいですからほんとに凡夫さんがおっしゃるとおり修行もまともにせずにお金儲けの為のお坊さんも確かにいると思います。
でも、それでもお布施を強要したりしません。(私の知る限り)
寺院の改修や庫裏の建替え・修復などで寄付を募ったりもしますが、檀家がその使い道を承諾が必要です。
創価学会よりはマシだと思います。

学会の友人葬はほんとうに「故人を偲ぶという気持ちがあるのか!」と思うようなものでした。
婦人部の人達が寄ってたかって、故人に「お化粧をしてあげましょうよ~」とか言って、出来上がったお化粧は『おてもやん』のようでした。
学会員さんにしてみればどこかで不幸がある度にそれ程、深い関係がなくても友人葬に参加するから馴れてしまっているのかと思いますが、まるでイベントを楽しんでいるようでした。

私のような学会員でないものから見れば学会員さんのその時の様は「故人の冥福を祈る」という感じとはかけ離れていると思いました。

皆様こんにちは^^
今日は絶好のお花見日和ですね。
私もこれから出かけてこようと思っています。

なんだかたまさんがまた面白いことを言っていますね。

>>朝晩回向してるからね
>>墓にこだわらないのは御書に無いからだよ

ものすご~くこだわっているのが学会員ではないでしょうか?
あきさんのコメントを読んでみればよくわかります。
どこにあっても問題ないのならば、今回の問題は起きていないのですよ。
それに・・・御書に無いからだよってずいぶんな言い方ですね。

あきさんの、
『お墓について私がこだわる理由は、家系がそれを作る側であり、お寺にも幾つも先祖が精魂こめて作ったお墓や仏があることです。
父は地震や何かで倒れたお墓は自身が作った責任をとり無償で直してきました。
そんな父の気持ちをさも理解している風な義妹の言い方には理解できないので、私なりに守っていこうと思います。』
このコメントは、私はその通りだと思います。

お墓にこだわらない学会員が、嫁ぎ先のお義父様が頑張って守ってきた先祖代々のお墓を
改宗しようとしている。それも「仏罰は当らないから」というわけのわからない理由で・・・
あきさんの家族にとっては一大事だと思います。
なんとか説得して、お父様の守っていたお墓を維持して頂きたいと私は思います。
先祖を大切に想う気持ち、あきさんのお父様のその強いお気持ち、これは素晴らしいものだと思います。

あきさんの弟様は、幹部指導などを受けて改宗した方がいいと言われたのかも・・・
(もちろん言い切る事はできませんが)
本当に、それぞれの家庭の事情がわからない方々が多くて困ります。

また「嘘」を。。。。。

>たまさん
こんばんは。はじめまして。

退会者の「そううそ」といいます。

>墓にこだわらないのは御書に無いからだよ

創価学会都合、正宗都合の嘘を言わないで下さい。

”日興を含む”六老僧で墓守りをした事実があります。
また、日蓮の意向に逆らったわけではないでしょうが結果として六老僧が墓守り出来ずに日蓮の墓が荒れていた事実もあります。日興が身延を逃げ出した事実を創価、正宗は自己都合の正当化する為に、様々な宗教教団都合から「墓にこだわらない」とかいいだすのではありませんか?

///////////////////
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1060641548/122

確実な記録と思われる日興筆の宗祖御遷化記録には「墓所寺六人香花当番時」云々とあるそうです。
墓所(後の身延久遠寺)を六老僧が当番で守護することが日蓮の遺志であったようです。
///////////////////

一度、半年かかろうが一年かかろうが下記のサイトを全部読んで見て下さい。
(下記サイトの読書は無理かもしれませんが。)

創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/

仏教と批判的合理主義--NOTHING TO YOU--
http://fallibilism.web.fc2.com/index.html

富士門流信徒の掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/study/364/

理解出来なければ、こちらへの書き込みは辞めた方が良いと私は思います。
見苦しいし、皆さんの迷惑ではないでしょうか?空気読めていないと思います。
あなた及び、学会員はここでは必要とされていないと私は思います。

たまさん、私から質問があります。
あなたはここで一体何をしたいのですか?
折伏ですか?
で、あれば、私を折伏してみて下さい。歓迎します。

創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/
どうぞこちらへおいで下さい。

>墓が何処にあろうと全く問題ございません

学会都合の話でしょうか?
日蓮の言っている事と違いますし、宗門問題以前は創価学会は”大石寺に日蓮の墓がある”、と言っていませんでしたか?

ではでは

おっ

またなんか勃発してますね。

さくらさん
はじめまして。

>超ヘンピな所にあるコインロッカーで40万円以上も取るんですよね~ 創価学会さんは!

超gooな情報ありがとうございます(笑)
財務したお金があれば立派なお墓が買えただろうに・・
創価学会二代会長戸田は「誤れる信仰から不幸が生まれる」とか何とか言っていましたが、これは一体どういうことですかね・・一心に信じた挙句の果てがロッカーに40万ですか!?
これが本当に幸福だったかどうか、学会員さんはあの世に行って確かめて来ていただきたいもんです。勝手な想像は抜きにして。

墓にこだわらない?
ほんま、創価学会のほざくキレイ事にはうんざりしますなぁ。一体どなたが一番こだわってるから墓騒動が起きてるのか・・こだわらないなどと言って学会員が一番学会のものしか認めてないことはみ~んな知ってますさかいに。
発端は間違いなく学会員なのに、まぁまぁいつもいつも「学会には責任が無い」なんていえるもんですよね。


で、それはおいといて。ちょっと気になったんですが、

>素人のお経
>ありがたみを全く感じないものでしたよ

これはちょい違うんじゃないでしょうか?
僕も学会葬で弔われるのはご免ですが、何もお坊さんだから「ありがたい」素人だから「~ない」というのはおかしいです。
月並みですが、大切なのは冥福を祈る「気持ち・心」だと思います。

>修行を積んでその道を極めた方

寺、教会、神社にいる人がそうだとは限りません。
むしろ、「極めた」もしくは何か「悟った」という人に出会うほうが難しいことかもしれません。
でなきゃ釈迦もキリストもとっくの昔に他の僧侶や司祭たちの名の中に埋もれてしまっているに違いありませんから。

それに、根本的な話として「お経」というのは釈迦の教えが書かれているものであって「死者の鎮魂」のために書かれたものではありません。
これを唱えただけでお金を仰山もらっていくお坊さんは果たして「ありがたい」といえるでしょうか?

大体なぜ巨大な客殿が建ったり目もくらむような高級車を乗り回せるほどもらう必要があるのでしょうか?
本来托鉢というのは、まじめに修行している修行僧が自分が生きていくための最低限の食べ物等を民間人から分けてもらうことのはずです。

確かに創価学会は酷いですが、だからといって他の
お寺や教会がクリーンで「ありがたい」というわけではないという現実も知らなければなりません。

あ、でも学会よりマシっていわれると・・あんま否定できないけど・・

お墓にこだわらない割には…

>朝晩回向してるからね
墓にこだわらないのは御書に無いからだよ

【回向】の意味がよくわかりませんが、多分、朝晩、ご先祖様の冥福を祈っているという意味なのでしょうね。

お墓にこだわらないのなら学会の墓地や納骨施設(まさにコインロッカーのような)は必要ないではないですか!
納骨する場所は必要だという事であっても散々、生きているうちに財務、聖教新聞をはじめとする機関紙、学会系の書籍を信者に買わせてお金を使わせたんだから、納骨する場所くらい無料で提供したって罰は当らないんじゃないのでは?

超ヘンピな所にあるコインロッカーで40万円以上も取るんですよね~ 創価学会さんは!

チベット問題は無視ですかな?

たまさん、そんなに「人生を賭けてることにする」のに意味があるのですか?
アンチブログ界隈でしばしばコメントをしていると「人生を賭けてる」「命を賭けてる」「趣味だろう」「生甲斐だろう」といった“典型的な決付け”をされることはよくある。
そういう“学会内部でしか通用しない決付け”をしても、そんなのは「非学会の人には通用しない」のですが、それはおわかりですか?
たまさんのような池田教の精神的奴隷となっているバリ学会員は、しょせん「お仲間に通じればいい」ということなのでしょう^^;

>私なら絶対に関わらないもん

意味不明ですな。
バリ学会員及び学会地方組織に狂気の如き迷惑行為をされた経験者だから、アンチブログ界隈で「創価学会は社会悪だ」という意見を発信するのは、ちっともおかしなことではない。
そもそも「私なら」と言うが、その「私=たまさん」は典型的なバリ学会員であり、そんな人の基準で「私なら」なんて言っても説得力なんかありゃあしません。

こ こ が ア ン チ ブ ロ グ だ と い う こ と を 忘 れ て ま せ ん か ?

お仲間にしか通じない決付けをやるより「どうして池田大作はチベット問題に何も発言しないのか」を考えたほうが、よほど思考訓練になると思うけどねえ^^

素晴らしき人材に感謝!

>先祖供養などどうでもいいと考えているからなんじゃないですか?

朝晩回向してるからね
墓にこだわらないのは御書に無いからだよ


皮肉じゃないんだけどね瓦解さん
だって学会と関係のない第三者の方が人生賭けて書き込みしてくれているんだもん

私なら絶対に関わらないもん

学会は先祖の墓が何処にあろうと全く問題ないのは

先祖供養などどうでもいいと考えているからなんじゃないですか?
そもそも自分自身の現世利益や福運、功徳の為にのみ祈るのが創価学会の信仰ですもんね。

「先祖供養は大切だ」という教えもあるとは聞きますが、ご先祖様を敬い、供養するという事なんかよりも「自分の入るお墓が学会の墓苑内の方が良いから」という理由であきさんの弟さんの奥様が真言宗のお寺からご先祖様のお墓を学会の墓苑に移すとおっしゃっているのがたまさんのお話からもよくわかります。

過去のコメントを読んでみよう!

>生涯、学会正義の為に人生を捧げてくれてありがとうね瓦解さん

よくある皮肉ですな^^
「私は学会正義に加担していない」などと言うと「批判をするのがあなたの宿業」「あなたの批判で学会の正義が証明されている」といった類の“学会内部でしか通用しない馬鹿丸出しで面白みのない聞き飽きた文言”を振回されるのがオチなんぢゃあないかと思う^^;

たまさん、再び無神経な発言をしてキヨさんから“正しくて反論できない指摘”をされてしまう前に、おとなしくしておいたほうがいいんぢゃあないでしょうか?
恐らく多くの皆さんは“たまさんの過去のコメントを読んで呆れている”でしょうから^^

バリ学会員の非常識さを喧伝してくれてありがとうね、たまさん^^;

創価瓦解さんへ

はじめまして~!

創価瓦解さんのお書きになっている事はいつもいろんなところで拝見しております。

今後とも、よろしくお願い致します。

池田センセイはお兄さんも折伏出来なかったのですか~。
重ね重ねで恐縮ですが、自分の身内にさえも浸透させる事が出来なかった創価学会を数多くの人々に広めるとはどういう事なのかと思いますねぇ。

まあ、詐欺師が世間の人を騙しても、自分の身内は騙さないのと同じことか…と思いました(^^;

たまさんがこちらで書かれている事も拝見しておりますので、だいたいどんな方なのかは理解しております。
ご注意いただきありがとうございます。


時間の無駄

批判の為の批判も時間の無駄だね

重ね重ね申しますが、学会は先祖の墓が何処にあろうと全く問題ございません
日顕さんはわざわざ法衣をまとい禅寺の墓に先祖供養に行ったんですわ

私が言いたいことは、先祖代々の墓が学会の墓園にあったら皆さんそこにはいるのが嫌じゃないんですかね?
と言う意味なんですが

生涯、学会正義の為に人生を捧げてくれてありがとうね瓦解さん

たまさんについて

あきさん、さくらさん、こんにちは。

たまさんは昨年10月に登場して、手前勝手でバリ学会員にしか通用しないことを書き、選民意識にまみれて無神経なコメントを繰返しており、まともに相手をすると呆れ果てますので、相手をするのなら「駄々をこねてる幼稚園児を相手にするんだ」という覚悟をしておいたほうがいいと思います。

時間がある時にこれまでの記事を読めば、私の言っていることがわかってもらえると思います。

それと、池田大作は父親だけでなく実兄も折伏できませんでした^^
チベット問題に何も言わない池田大作を、生き仏のように崇めさせる創価学会は碌なもんぢゃあないですね^^;

創価学会の供養ではご先祖様は浮かばれません。

あの池田大作が自分の父親さえも創価学会を認めさせられなかったのに、一般信者には「先祖代々という過去を捨てろ」と言うのは如何なものかと思います。

私は無宗教だと言いましたが、宗教を全て否定はしていません。
伝統的な宗教には僧侶、神父、牧師、神主、宮司など修行を積んでその道を極めた方が冠婚葬祭などを主となって執り行う事は神仏にそれなりに通じる何かがあると思っています。

あきさんのようなご先祖の供養が仏教であれば葬儀や法事の時は親族が集まって僧侶に来てもらってお経を唱えてもらうのが普通ですよね。

創価学会では葬儀の時は友人葬とい形式になり親族よりもその地域の学会員さんが全てを取り仕切るものとなり、僧侶ではなく地区の幹部が導師を勤め祭壇の中心でお経を唱えます。そして学会式のお経を地区の学会員さんの大合唱です。
要は素人のお経です…。

法事もまたしかりです。
学会の会館にたくさんの信者が集まりそれぞれの家のご先祖の供養を『合同法要』という事で行われます。
その時もまた、素人のお経です。

私はそのどちらにも参加した事がありますが、こんなものでご先祖様が安らかに眠れるのか?!と思えるそれはそれはありがたみを全く感じないものでしたよ…。

上記の理由で私はあきさんのご先祖様の供養を弟さんの奥さんの思い通りに創価学会に委ねる事は絶対にされない事をお勧めしたいと思います。

>私の出会った創価の女性はそのような人が多いように感じます。 そして私は、なぜかそういう方の恨みが移るきがします。
きっと自分が似ているからで、自分も恨みをすてて変っていきたいものです。

これは弟さんの奥様やその他の創価学会の女性の姿を見ているとご自分自身も“恨み ”という物に凝り固まった人間になってしまいそうだ、という事をおっしゃっているのでしょうか?

そうだったとしたらですが…
私も創価学会や学会員さんを恨み憎みましたよ。
でもね、学会の事をいろいろ知って行く内に恨みや憎しみの気持ちよりもむしろ“哀れだ”という気持ちにその内、変わって行くと思いますよ(^^;

今では学会に踊らされていろんな活動や財務なんかをしている学会員さんを可哀想だと思っております。

真言宗の寺院の中に池田家の墓があるのですか。それは知りませんでした。 自分の父には自分の歩みは認められなかったのですね。
私の出会った創価の女性はそのような人が多いように感じます。 そして私は、なぜかそういう方の恨みが移るきがします。
きっと自分が似ているからで、自分も恨みをすてて変っていきたいものです。
真言宗本山には天皇家や徳川家のお墓があり、学会はそれらも認めないのでしょうね。

あきさんへ

はじめまして、こんにちは!
無宗教で創価学会に対してはかなりアンチなさくらと申します。

>真言宗の寺の境内にあるお墓を自分のものと主張して改宗しようとしています。

これは一大事です!!
ですが何を隠そう、あの創価学会の池田センセイだって、センセイのお父様を折伏出来なかったのですよ。
センセイのお父様のお墓は邪宗のはずの真言宗寺院に今もあるそうです。
日蓮正宗(創価学会とは犬猿の仲の)日顕さんの先祖のお墓が禅寺の境内にあることを、学会はしばしば攻撃しているそうですが、池田センセイだって他人様のことは批判できないのですよ。

この事実を弟さんやその奥様にお話頂ければと思います。

春の目覚めもうすぐ

>ここに記入されたからといってすべての学会員批判になるなんて、それこそ被害妄想です。

誰もそんなことは言っておりませんが、単なる被害妄想ですよ。

何故、人が人を恨まねばならないのでしょうか?
答えは簡単それが人間の本性だからです。
あきさんが義妹さんや学会に抱いている感情こそが、弟さんご家族を傷つけておられることに気付くべきです。
退転者や退会者に対し我々は恨みや憎しみの感情はありません
これも答えは簡単、自らの宿業として現れるからです。
学会の教学を学べばいとも簡単なことを、さも学会では「日々発言にとげがあり、人を貶す行為をする人がいる」とか「誰かへの憎しみが常にこめられている」とかあり得ない話を平気でするのは、お母様に向けられた憎しみの感情でしかないワケなんです。

私にも様々な感情があり、相手に不愉快な思いをさせているときが多々あろうかと思います。
学会の中にも十人十色様々な人がいてます。
中には口の悪い自分勝手な学会員も居てるでしょう。
それにより恨みや憎しみを持つ人も居てるでしょう。
過去、人を貶すことの無かった弟さんも結婚し家庭を持たれただけでも、信仰に関係なく人が変わったように見えものです。
どうか長い目で弟さん家族を見守ってあげて下さい。
そして将来、あきさんにとって受け入れられるような弟さんになったとき、お話を聞いてあげて下さいね。

憎しみと言葉

たまさんへ

ここに記入されたからといってすべての学会員批判になるなんて、それこそ被害妄想です。
もし信仰者なら、その恨みが消えますようにと祈るでしょう。もし神様がいるなら、あなたの中に罪がありそれが悪いことだと攻め立てることはしないでしょう。まるで聖書の中のパリサイ人ですね。 イエス様は言われました。 法を破った人に対して石を投げ付けた人々に、それではあなたの中にも罪はないのかと…神はすべてご存じであると。 彼女は学会には許しがないということを知っているのです。彼の知恵によって許されて開放されて幸せな家庭を作ろうとしている時に、恨みを呼び起こすような言葉で彼女を傷つけて、それでたまさんは満足ですか? それは脱会者への恨みではないのですか?
その恨みを抱えさす至らない口の悪い自分勝手な学会員が幾人かいたと思うのが普通の考えですよ。

桜前線

>でも、創価学会は日々勤行(お経)をあげる時や会合、聖教新聞などでも誰かへの憎しみが常にこめられていると私は思います。

キヨさんお一人が思ったことでも、公の場に書き込むと全ての学会員が対象になります。
なのであえて言わせて頂きますが、そのような憎しみを持って見えるのはあなたの命の中に憎しみの思いがあるからなんですよ。

これから生涯、学会に憎しみを抱きながら生きるか
全てのことを忘れ生きていくのかはご自由です
お体大切に頑張ってお仕事励んで下さい。

知的なコメント

コメントを頂きありがとうございます。
自分自身の直感を信じてよいとの意見を頂き、安心しました。

弟の変わり様について近くにけなす口調の方がいらっしゃるとの事は納得いきます。
私の見る目が変ったから相手も変る、という意見は違います。 人に変化が起こるときには大抵その背後に別の人の考えがあるもので、 恐らく背後の指示を受けて行動しているのでしょう。

お墓について私がこだわる理由は、家系がそれを作る側であり、お寺にも幾つも先祖が精魂こめて作ったお墓や仏があることです。 父は地震や何かで倒れたお墓は自身が作った責任をとり無償で直してきました。 そんな父の気持ちをさも理解している風な義妹の言い方には理解できないので、私なりに守っていこうと思います。

>あきさん

あきさんこんにちは、コメントありがとうございました!

お墓の問題については、私はあまり詳しくなくすみません・・・
ただ、素人目線としてですが、先祖代々受け継がれたお墓をそう容易く
改宗したりすることは困難ですよね(手続き上などではなく精神的に)。
あきさんの弟様は、結婚の条件として入会し、現在は熱心な創価学会員なのですか?
(『今までとは人が変ったように発言にとげがあり、滅多に人をけなすことはなかった』
とおっしゃっていますので熱心なのでしょうか)

私が考えるに、なぜこのようにいきなり人が変わってしまったように
見えてしまうかと言うと、私も経験がありますがすぐ近くで日々発言にとげがあり、
人を貶す行為をする人がいるからだと思います。
日常生活において、そんなに誰かを憎み、罵声することなんてそんなにあることではないですよね。
でも、創価学会は日々勤行(お経)をあげる時や会合、聖教新聞などでも
誰かへの憎しみが常にこめられていると私は思います。
そんな生活環境にいたら、そして側にそれを肯定し一緒に同じ事をする人がいれば、
自分の行為が正しいと錯覚し良い行いだと思ってしまうのでしょうね・・・
やはり創価学会を客観的に捉えるには、その創価環境から引きはなすことが大切なのでしょう。

話がそれてしまいましたが、

>>いったい創価では仏罰とは何を意味するのでしょうか?

創価学会でいう仏罰は様々な意味で捉える事ができると思います。
しかし、どれも「創価学会に対してマイナス面を持った時に発生する」ことでしょう。
そして極端に言えば「創価学会無しでは生きられない妄信者に一日でも早くなるように
教育するための考え方」とでも表現しましょうか・・・
『先祖代々守ってきた真言宗のお墓が創価学会のお墓になる、それでもご先祖様は怒りませんよ(創価学会は正から)』
と義妹さんは言いたいのだと思います。「お墓が真言宗(他宗)だと成仏できない」と
私は母からよく聞いたものです。一番良いのは創価学会で供養することだと。

『過去は捨てなさい』なんて、はっきり言ってすごく言われたくない一言ですよね・・・
私は両親が亡くなって、もし創価学会のお墓に供養してと言われたら(また遺言があったら)そうします。
(自分はそこへは入りませんが)しかし先祖の霊だとか、私はお盆の時期に先祖が帰ってくるだとか、
そんなことは信じていませんし、お墓に霊魂が眠っているとも思いません。
先祖代々のお墓に供養する、お線香をあげる、お墓参りをするのは、あくまで自分自身への戒めであり
そのご先祖様がいるからというわけではありません。
故人を忘れないようにするため、ご先祖様に感謝する気持ちを持つため、私にとって墓地はそんな場所です。

あきさんから見て、弟様が「今までとは人が変ったよう」と何度も感じるのならば、
弟様は変わってしまったのだと思います。創価学会と出会い、さまざまな影響を受けてしまったのでしょう・・・
あきさんが思うことは、創価学会に染まっていく人にはよく見られる変化だと私は思っています。
決してあきさんが変になったわけではなく、複数の周りの人間が「変わった」と思えば
それは変わったのだと思います。

仏罰とは

あきさん はじめまして

弟さんがお墓を守る立場と書いておられると言うことは、すでにご両親とも先祖代々のお墓に埋葬されていると言うことでしょうか?
そしてあきさん自身がすべて長男という立場の弟さんに託されたと言うことですよね。
そしてゆくゆくは、弟さんやそのご家族がそのお墓に埋葬されると言うことですよね。

学会はお墓やお骨に対し非常に寛容でございます。
なくても全然問題なく先祖代々の供養ができます。
ただ自分がそのお墓に入ることは気分がいいものではありません。
ここで義妹さんが言っておられる仏罰とは、世間一般で言われている、お墓を改葬しても先祖代々の仏様から罰は当たりませんよとの意味です。
学会で言う仏罰の意味とは異なります。

昨今世間でも特にお墓のこだわりはないと思います。
もし弟さんが引き継がないのであれば、あきさんが引き継ぎ、先祖の供養をされればいいことです。

学会は人間革命の団体です。
決して人格者になるためにやっているのではありません。
弟さんが変わったように見えるのは、弟さんが変わったのではなく、あきさんの見る目が変わっただけのこと

一日も早くあきさんに感謝できる弟さんになってもらいたいですね。

>アキさん
私の兄嫁が創価学会で、兄も学会に入りました。
学会に入ってからアキさんと同じで人が変わったように感じます。相手を見下すような話し方や相手の話を聞かず自分勝手[or 決して妥協しない](怖いものを感じます)
逆ギレしたら避けるようになりました。(ショックです)
最近知ったのですが、うちの両親が死んだら(まだ元気です)、創価学会の葬儀をあげる考えをもっているようです。はっきりいって信じられません。
ところで、仏罰ですが、このプログの「地獄に落ちる?」(http://heibonnnakurashi.blog117.fc2.com/blog-entry-34.html)ではないでしょうか?違っていたらだれか訂正してください。

あきさん
相手の土俵(ペース)に乗る必要はありません。

世間的常識で」おかしいものは、おかしいでいいと思います。

リンクに「創価の彼、無宗教の私」「妻はアンチ、夫はバリバリ」
「創価学会体験記」などなど女性の本音のブログがあります。

相手の土俵(ペース)ではなくあきさんの感覚を信じてください。

創価の仏罰を信じてたら、何百万、何千万と言われる脱会者
本当に全員、仏罰当たったらニュースになっています。



仏罰とは

はじめまして。私の弟夫婦が学会員で大変困っています。あなたのように冷静になって早く脱会してくれたらと思いました。 先祖代々のお墓を弟は守る立場なのですが、奥さんが二世で活動家です。 結婚の条件として入会した弟は、実家を売り真言宗の寺の境内にあるお墓を自分のものと主張して改宗しようとしています。それに反論すると、偽妹は『仏罰』は起こらないからと訳のわからない反論をしてきました。 先祖代々というと『過去は捨てなさい』と言われて、それで弟は人格者になったかというと、今までとは人が変ったように発言にとげがあり、滅多に人をけなすことはなかったのに。怒りの気持ちを押さえられない自分自身に苦しんでいるようです。また良心が欠けてしまっていると感じます。いったい創価では仏罰とは何を意味するのでしょうか?

>独り言さん

こんにちは!

たまさんの発言は、学会員の貴重な発言として消去したりはしませんので、
記録にはずっと残っています。
学会の価値観がどれだけ非学会員とかけ離れているのかが
読んでくださればわかると思います。

>>キヨさんタマさんとの対話続けてもらえないでしょうか。
>>昔の自分を見てるようでタマさんが愛しいです。

たまさんとコメントし合いましても、一向に平行線なので
正直時間が勿体無いと私が判断しました。
コメント禁止にはしていませんので、また何かの機会に
コメントし合うかもしれません。(確証はないですが・・・(^_^;))

たまさんの姿をみて学会員のマインドコントロールそのまんまがよくわかりました。

でもこの女性の方でネットに繋がってれば、自分を取り戻せるかも知れません。

たまさんが発言すれば、学会の異常さが記録に残りります。

キヨさんタマさんとの対話続けてもらえないでしょうか。昔の自分を見てるようでタマさんが愛しいです。

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こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

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