創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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みなさんこんにちは!

試験までもう少し!
(ってまだ試験終わってないの!?と突っ込まないでくださいね)
なんだかテーマが学校の道徳みたいですが、
今日は「考える重大さ」がテーマです。

私達は日々生活する中で、何らかの情報を仕入れ、
それを自分の判断基準にし活動しています。

例えば、
”○○本日限り大特価!!”というチラシを見て買い物に行く。
テレビでお天気情報をチェックしてから出かける。
友達が面白いと言っていた漫画を立ち読みしに行く。
などなど、何らかの情報を手に入れ、それを自分の中で消化し、
「それは自分にとって有益か無益か」を判断しています。

ここで大切なのは、その情報は果たして本当に自分にとって有益かどうか。
本当に自分のためになるのか、ですね。
そしてもう一つ、ちゃんと自分で納得しているかどうかです。

私は元々大雑把な性格で、いいんじゃない?と思った程度で
物事を実行しているタイプでした。(これは危ない・・・)
私の彼は物凄い慎重派、自分が納得するまでとことん調べるタイプです。
彼の性格の影響もあり、私はもう少し慎重にならなきゃ・・・
と思わされる日々です(^_^;)

物事を深く考えない癖が植わっていると、
宗教においてとても厄介になってきます。
そして、それを治そうと思った時にとても苦労します(^_^;)
(今まで考えていなかった分とても疲れます)

学会員を例にとって考えてみましょう。

まず創価学会員にとって、学会以外の宗教では幸せになれません。
池田大作氏の言葉が絶対的真理を持ち、それを否定することは有り得ません。
新聞啓蒙・折伏・選挙活動・財務、これらをすればする程功徳があります。
自分の信仰心を揺るがすものは全て「魔」です。
祈りが叶わないことは無い、叶わないことは「叶うまで」祈るのです。
一家和楽の信心(家族全員学会員)でないと幸せになれません。

このような価値観が根底に植えついている中で、
様々な人の価値観を寛容に受け入れられることができるでしょうか?
私は正直とてもそうは思えません。
そして自分の行動を客観視し、その行動が果たして自分にとって
「有益なのか」をしっかりと判断できるとも思えません。

思考がストップする時、その人から新しい価値観は生まれません。
考えなくなった時、そこから先は闇の中です。
「なんで?どうして?」と考えることが、この闇を振り払い、
新たな価値観を創造することに繋がるのではないでしょうか。

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コメント

>缶コーヒーのボウズさん

こんにちは!

缶コーヒーのボウズさんには様々な情報の提示をして頂いたり
私はとても感謝しています。
どうかお気になさらないでください(>_<)

私はバリ学会員の方とお話することは、
学会の異常性を浮き彫りにするためにも必要なことだと思っています。
このようなブログを読んでくださる方は、きっと何かしら学会関連の
問題を抱えており、恐らく
「恋人、友人、自分の子供、親が創価学会で自分は無宗教」
という立場の方がとても多くいらっしゃると思います。
そのような方達は多くの学会員さんとあまり接していないと思うので
このような場所でどのような学会員がいて、どのような発言をしているのか、
これを知ることが出来る貴重なコメントなんじゃないかな、と思うのです。

もちろん、無宗教の方と学会員の方との価値観は
平行線になると思いますので、無意味にダラダラとコメントを
やりとりするのは精神的にも良くないかと思います(^_^;)
ただ、「本題に力をいれてほしい」とおっしゃってくださった
ちぃちぃさんや創価瓦解さんのような読者兼コメンテーターの
方々がいらっしゃいます。そして、この場はあくまで
「学会で悩んでいる人が集まって情報交換する場」であり
「学会の素晴らしさを語る場」ではありませんので、
今回はたまさんのコメントへのレスは最後にしました。

缶コーヒーのボウズさんのコメント、とても勉強になりました(^^)
お許しくださればなんて、私は全然迷惑だなんて思っていませんよ(^^)
これからもバリ学会員の方がいらっしゃることがあるかと思います。
もし、その方に対して何らかのコメントをしてくださるのなら
缶コーヒーのボウズさんの負担にくれぐれもならないよう、
そしてコメントしてから質問を投げかけられても、
缶コーヒーのボウズさんが「この会話は無意味」と判断しましたら
スルーする方向でお願いします。

これからもご愛好よろしくお願いします(>_<)

缶コーヒーのボウズさん
こんにちは

過分なお褒めの言葉に恐縮しごくです。
これからも読者として、時にはコメンテータとして、このブログとかかわっていきましょう。

キヨ様。
今回の騒ぎの一端を担ってしまったことをお詫び申し上げます。
キヨ様のブログであり、ちぃちぃ様もお書きになられておりましたが。キヨ様が体験なされたことを載せて下さることが本筋であったのですが・・・
申し訳ありません。
お許しくだされば、またコメントさせてくださいませんでしょうか?
勝手なお願いと十分に存じておりますが、・・・

ちぃちぃ様
創価瓦解様
はじめまして
缶コーヒーのボウズと申します。
この春の統一地方選挙の際、信頼していた友人から公明党への投票以来をうけ、友人が学会員であったことが判明し、以降自分なりに情報を集めておりましたところにキヨ様のブログにたどり着きまして、色々とご相談していたものです。
今回、たま様のお書きになっていた文章があまりにも私の友人が言っていたことと似ておりまして、どういった考えを持っているのか確かめたく頭に血が上った状態で書き込みをいたしました。
しかし、お二人の冷静な書き込みで自分自身の沸騰に水を下さったような気分でした。
ありがとうございました。

>創価瓦解さん

>>現実に「本題についてやりとりしたいけど遠慮している」という人がいるはずです。
>>そういう人がいつまでも出てこれないのは、その人だけではなく、
>>そういう人とのやり取りを期待しているキヨにとっても残念なことだと思います。

確かにそうですよね。
このブログの趣旨はあくまでも「創価学会で悩んでいる人たちの交流の場」であり
学会員と学会の素晴らしさについて討論する場ではありません。
確かに学会員の人と話すのはとても意義のあることだと思いますが、
私は学会について悩んでいる方を優先してコメントしたいと思っています。

創価瓦解さんのコメントはいつも鋭いので瓦解さんの名前があると
一瞬ドキッとしています(^^;)お陰様でとても勉強になっています。
これからもよろしくお願いいたします。

危機管理は大切です

キヨさんのブログですから、キヨさんの判断で管理されるのは当然だと思います・・・これまでの状況を変えないと、本題が進められませんからね。

もしたまさんが変わらず一方的なコメントを続けるのであれば、出入り禁止やコメント一律許可制を考えてほしいと思います。

現実に「本題についてやりとりしたいけど遠慮している」という人がいるはずです。
そういう人がいつまでも出てこれないのは、その人だけではなく、そういう人とのやり取りを期待しているキヨにとっても残念なことだと思います。

私もたまさんへの言及は「ここでは」これを最後にしようと思います。
もちろん、たまさん以外のことでは時々コメントをしたいと思っていますし、新しい記事を楽しみにしています。

>ちぃちぃさん

コメントありがとうございました。
ちぃちぃさんのおっしゃる通り、本題に力を入れていきたいなと思います。
応援して頂き、とても嬉しいです(>_<)
たまさんとのやり取りは、私もずっと平行線であると思っていますので
今回のコメントにて終りにしたいと思っています。

ゆっくり更新ですが、これからもよろしくお願いいたします(^^)

>たまさん

前回のたまさんのコメントを読んで、私はとても悲しくなりました。

『自分で間違った実体験をしておいて、自分の価値観だと言われてしまえば
開いた口がふさがりません。だって基礎教学さえ知らないんだもん(^^ゞ) 』

この発言に、私も開いた口がふさがりませんでした。
このように私の実体験をも『間違った実体験』という意味不明な言葉で
否定されてしまいましたので、これ以上私はたまさんのコメントには
レスしたくありません。正直とても不快な気分になりました。
しかし、仕方のないことですので、できるだけ気にしないようにします。
様々な方が来てくださる場ですしね。
たまさん、すみませんが、前回のたまさんの
コメントにレスして終りにしたいと思います。

ちぃちぃさんもおっしゃっていましたが、
このまま私達がコメントし合っても平行線だと思います。
お互いの価値観が合わない、ということがわかりました。
いろいろと長文にわたりコメントしてくださり感謝いたします。

『●『まず創価学会員にとって、学会以外の宗教では幸せになれません』
このコメントには創価学会員や学会の変わりにキリスト教であってもイスラム教
であっても良いわけですよね。人が嫌がることをしない限りね。
では、キミさんは活動しているとき、先輩幹部に人の嫌がることをしなさいと
教えられてたでしょうか?』

★創価学会の場合、非常に他宗教に対して攻撃的です。
「邪教」とくくりつけ、その方達の価値観までも否定する学会員がいます。
私の祖母も、実家の隣人(クリスチャン)に対して「あの人はクリスチャンだから
信じてはダメだし全然信用できない。」と数ヶ月前に言っていました。
母も同じことを言います。聞いている私は、とても悲しいです。
人の中身を見ないで○○だから、と決め付ける思考回路が理解できません。

私が活動している時、先輩幹部に「アポとったら絶対に出かけちゃうから
アポとらずに家庭訪問しなくてはダメよ。」と言われました。
その方は私よりもかなり年上の未活動の学会員さんで、お母様と暮らして
いました。いきなり年下の私(まだ10代でした)がアポ無しで訪問して、
どんな気持ちになるでしょうか?
未活動ということは、未活動になる理由があるはずです。
それを知りもせずに(幹部も知りません)私のような小娘がいきなり押し掛け会合の連絡をする。
この行為が、常識のある人間のすることだとも思いません。
それに、学会員の誰が「人の嫌がることをしなさい」と言うでしょうか?
そんな人普通いませんよ。

『●詳しく書くと「師匠の慈悲あふれる指導にお応えする為に、
一生懸命自らの宿命転換(人間革命)の為に戦います」ですよ。
真ん中が抜けてると言うか何故そういう風に結びつけるのか全然理解出来ません。
だから『池田大作氏の言葉が絶対的真理を持ち、それを否定することは有り得ません』
と誤解するんだろうな~ 』

★少なくとも私が内部だったころは、池田氏の存在が
「絶対的真理」となっていましたよ。池田氏の言う事は正しい、間違いない、と。
宗教って、自分の為にするものだと私は思います。
決して師匠のためでもなく、創価学会という組織のためでもなく、
自分の幸せのために行う一手段でしかありません。
「お応えするために」と力んでいる精神がわかりません。
池田氏はあくまで創価学会のトップであり、彼の為にする
宗教ではないはずです。

『●必ず指導があるかどうかは解りません、少なくとも直接、接することのない先生に
疑問を持つことはまず無いはず。
幹部のあり方や、組織の運営の仕方等々全て現場の人間の疑問や不満なはず。
間接的に先生に触れようと思えば日頃から新聞を読むはず、
だから疑問や不満など起こらないでしょうね。』

★『間接的に先生に触れようと思えば日頃から新聞を読むはず、
だから疑問や不満など起こらないでしょうね。』
「だから」と繋げていますが、全然説得力がなく「だから」と繋げて読めません。
(妄信的に新聞を読んでいれば不満などは起こらない、というのはわかります)

『●キヨさんはその疑問をお母様に聞かれましたか?
また、キヨさんやお姉さんが当時お母様から誕生日プレゼントや
お小遣いは貰ってましたか?』

★以前母に聞いたところ、「池田先生は長時間の執筆で疲れているから」だそうです。
ちなみにお小遣いは貰っていませんでした。お年玉を貯めて、
あとはバイトしていましたよ。高校時代はさすがにお昼代は貰っていましたが。

『私は真心だと思ってますので、お金が沢山あるからといって接遇や
財務を沢山することもありませんし、お金がないからと言って
接遇や財務をしないこともありません。
寄付や喜捨の心を勘ぐれば勘ぐるほど「真心」が解らなくなりますよ。』

★家計を圧迫してまでする財務が、
果たして家族に対して真心があるでしょうか?
私は無いと思いますよ。

『●そうですね。生命は三世永遠に続きますからチャンと努力すればいずれ叶います。
キヨさんのブログをはじめて拝見したとき、キヨさんの活動していたときの信心は
おすがり信心だったんだと思ったんです。』

★おすがり信心ですか、そうですか。

『成就の関係は「祈って教学を勉強して折伏し相手を幸せにしていかないと
願いが叶わない」と言うことです。』

★布教しないと願いが叶わないなんてすごい宗教ですね。

『すぐに信心をしないかもしれませんが、その行動そのものが大事なのです。
初めの方にも書きましたが、キヨさんは真ん中が抜けてる(^^ゞ)
だから、おすがり信心になってしまっていたのです。』

★真中が抜けていたとしたら、抜けていて良かったです(^^ゞ)
そのお陰で今こうして幸せになれましたから(^^ゞ)

『●一般社会の常識の中でしか我々は生きていけません。
自分とは違うんだと思う方がナンセンスなんです。』

折伏するのが当たり前の世界が一般社会でしたら、
私はそのような世界にはいたくないですね。

『●相手の意見を聞かない限り自分の意見は聞いてもらえません、
社会人ならば当たり前のことですが、友人でも彼氏でも同じですよ。
結局自分で拒否してしまい壁を作ってるんですよ。
だから相手の話が心に突き刺さらない。
当然人間ですから、自分にあう人あわない人色々居ます。
話の合わない人と根気よく話す必要などありません
でも幹部は一人ではない、自分が納得するまで当たり尽くせば良かったのです。』

たまさんはどしても私が「信心不足」だと言いたいようですね。
たまさんがそう思うのは自由ですよ。現に信仰心がとても強かったら
妄信的になり、疑う気持ちなんて出てきませんからね。
たまさんにとって学会から遠ざかった人は「全て信心不足」なのでしょう。
しかし相手が自分の話を聞いてくれない時点で、自分の意見をどうやって
伝えるのでしょうか(^_^;)まさしく幹部が相手の意見を聞いていない状態ですね。

今までありがとうございました。
では、失礼いたします。

キヨ

ありがとうございます

ちぃちぃさん はじめまして
コメント頂き本当にありがとうございます。
先日ちぃちぃさんのコメントの後に、ちぃちぃさん当てに書いたつもりのコメントをもう一度Upしますね。

『実は私も約10年間内部アンチでした。
学会2世3世なら必ずぶち当たる壁を乗り越えずにいました。
学会から逃げようと、様々な手を尽くしました。
でも真剣に向き合ってくる同志からは逃げれなかった。

社会の大きな大きな壁にぶつかったとき、同志の一言が胸に刺さった。
その時はじめて腹が決まった。
時間はかかったけど、空白の10年間決して無駄ではなかった。
覚えておいてほしい、多くのバリバリの活動家は皆初めは信じてなかったことを、何度も何度も疑いの心を持っていたことを。』

当時の教学はたぶん二級か三級だったと思います。
実践に役立ててはじめて教学は生きてきます。
「女子部は教学で立て!」とは、先師・戸田城聖先生の指導です。
池田先生は
「女性が幸福になるための条件は何か!
知恵である。賢さである。教養である。英知である。
女性の「教学博士」は、「幸福博士」と同義なのだ。
女性の幸福こそが、正義である。」

元品の無明をはらすには、折伏の実践しかないのです。

たまさんへ

はじめまして。たまさんのコメントを読んできて思ったことを書かせていただきます。

私は教学1級で、人に教える立場でしたし、御書もたくさん勉強してきました。女子部としての活動も頑張ってきました。
私が読ませていただいた限り、キヨさんの発言は私が知っている学会そのものです。

たまさんはきっと学会と信仰をとても大事にしておられて、こういったブログの存在は良くないと思われているか、キヨさんの学会に対する認識の間違いをキヨさんのために教えてあげたいと思われているのかなと思います。

でも、私はこのブログは、学会が自分には必要ないと感じる人や、学会に関して困っている人のためにあるのだと思っています。
キヨさんはすでにご自分で十分考え悩み、学会から離れる決意をされたのですから、たまさんがいくらこのブログコメントで学会の素晴らしさを説かれても、かみ合うことはないと思います。
願わくば、たまさんはたまさんで、学会は素晴らしいというブログを立ち上げ、そちらで活躍されたらと・・・。そこにはきっと、たまさんを必要とし、学会とともに戦い進んでいく人が集うと思うのです。

ここは、たまさんのような「活動家学会員」ではない人たちの場だと思います。
私は、このブログが、そういった学会から距離を置きたい人たちの為にすごく大事な場所だと思っており、キヨさんを応援したいと考えています。そして、キヨさんにはたまさんとのコメントのやりとりより本題の方に力を注いでいただけたら嬉しいのです。
たまさんとキヨさんのやりとりは、有意義とは思いますが、おそらくたまさんの主張とキヨさんの思いとは、ずっと平行線になると思うので。
ずっとコメントは読ませていただいていますが、書き込む時間と文章力がないのでなかなかこれからも書き込みはできないと思います。ごめんなさい。たまさんにおかれましては、(このブログではなく)ぜひ自分のブログで意見を書かれるか、学会で頑張りたいけれど頑張れないとかで悩むかたたちのブログなどで発信されたほうが有意義かと私は思っていることだけお伝えしたかったのです。

           元女子部 今無宗教のちぃちぃ

長文すいません

>キヨさん お返事ありがとうございます。

『★もちろん、キリスト教でもイスラム教でも~中略~自然に嫌われます』
●『まず創価学会員にとって、学会以外の宗教では幸せになれません』このコメントには創価学会員や学会の変わりにキリスト教であってもイスラム教であっても良いわけですよね。人が嫌がることをしない限りね。
では、キミさんは活動しているとき、先輩幹部に人の嫌がることをしなさいと教えられてたでしょうか?

★師匠の為に命がけで~中略~全然理解できません。
●詳しく書くと「師匠の慈悲あふれる指導にお応えする為に、一生懸命自らの宿命転換(人間革命)の為に戦います」ですよ。
真ん中が抜けてると言うか何故そういう風に結びつけるのか全然理解出来ません。
だから『池田大作氏の言葉が絶対的真理を持ち、それを否定することは有り得ません』と誤解するんだろうな~

『★それに~中略~それを望んでいる方が多いと思いますよ。』
●その通り、チャンと解っておられますやん。
何ら変わりはありません。

『★少し話がずれてしまいましたが~中略~その人も結局は「学会は正しい」と、
根本的な部分は絶対に疑っていないので前者と同じです。』
●必ず指導があるかどうかは解りません、少なくとも直接、接することのない先生に疑問を持つことはまず無いはず。
幹部のあり方や、組織の運営の仕方等々全て現場の人間の疑問や不満なはず。
間接的に先生に触れようと思えば日頃から新聞を読むはず、だから疑問や不満など起こらないでしょうね。
学会はおかしな所だよとは普通指導しないでしょうが、疑問を持つと魔というのは御書のなかに書かれてますね「我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし」
この、度々引かれる御書は基本中の基本なんですが、私は10年間忘れてました(^^ゞ)

★『贈り物は金額ではない~中略~で寄付するべきだと私は思いますよ。
●キヨさんはその疑問をお母様に聞かれましたか?
また、キヨさんやお姉さんが当時お母様から誕生日プレゼントやお小遣いは貰ってましたか?
私がお母様のお気持ちを察することは出来ません。
私は真心だと思ってますので、お金が沢山あるからといって接遇や財務を沢山することもありませんし、お金がないからと言って接遇や財務をしないこともありません。
寄付や喜捨の心を勘ぐれば勘ぐるほど「真心」が解らなくなりますよ。

『★では結果的に繋がらなかったら「功徳にならない」のですね。
でも確か幹部は「新聞啓蒙も立派な折伏だ」と言っていましたよ。
なんだか内部で言っていることがそれぞれ違いますね。』
●だって繋がらないことなんてあり得ないですもの(^^ゞ)
聖教新聞は先生のお手紙だと聞いたことありませんか?
立派な折伏のアイテムですよ。

『★すぐに叶わない場合もある~中略~その関係を説明して頂けますか。』
●そうですね。生命は三世永遠に続きますからチャンと努力すればいずれ叶います。
キヨさんのブログをはじめて拝見したとき、キヨさんの活動していたときの信心はおすがり信心だったんだと思ったんです。
「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」
これも有名な御書です。
成就の関係は「祈って教学を勉強して折伏し相手を幸せにしていかないと願いが叶わない」と言うことです。
祈れば折伏したくなります。折伏するには教学を身につけないと相手に説明出来ません。
すぐに信心をしないかもしれませんが、その行動そのものが大事なのです。
初めの方にも書きましたが、キヨさんは真ん中が抜けてる(^^ゞ)
だから、おすがり信心になってしまっていたのです。
チョット長くなりますが先生の指導を引用します。
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「己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」との戒めを、信心論の上から、具体的に厳格に拝しておきたい。
 「我が心の外に有り」とする姿勢とは、まず1つが、「責任転嫁」である。
 信心とは、「あれになろう」「これになろう」と揺れるのではなく、富士の如く堂々と聳え立つ確固たる自分自身を築くことです。ところが、「堂々たる自分を作る」ことを忘れてしまい、信仰が別な次元に歩みだし、知らず知らずのうちに「己心の外に法あり」の脇道に外れてしまうことがあります。
 例えば、“あの人が悪い”“周りが悪い”などと責任を他人に転嫁だけしている姿は、祈っていても、自身の胸中の無明との戦いを避けています。ゆえに、心外に道を求めているのです。もう一歩深く、自分自身が変わることによって事態を改善していく。祈りはその原動力です。
 また、いわゆる「おすがり信仰」であってもいけない。これは、神仏にすがり、その超越的な力で自分の願いを果たそうという信仰で、己心の外に法を見る典型とも言うべきものです。爾前権教の権仏((爾前権教とは、法華経以外の諸経典で、どのような生命にも本来的に仏界があることを説かず、理想化された超越的な仏を説く。念仏信仰などでは、人々は自身の力ではなく、専らその仏による救済を待つことを教える。))は、このような信仰の対象になりやすい。
 その本質は「逃避」です。
 悩んでいるようでいて、自分自身の課題から目をそらし、挑戦していく勇気も行動もない。
 戦いがなければ、自分自身の人間革命と直結しません。
 それでは、厳しく言えば、信仰を「逃避」の隠れ蓑にしてしまっている。
 山登りでいえば、ふもとを歩き回るだけで、一歩踏み出して坂を登り始めなければ、いつまでたっても山頂にたどりつくことはできない。自分の課題に対する挑戦を避けてしまえば、自分の生命は永遠に鍛えられない。それでは、一生成仏が成し遂げられるはずがありません。
 さらに「漠然たる不信」「グチ」「文句」も排していきたい。
 妙法蓮華経を「心外の法」と考える誤った信心には、自他の生命に仏性が内在することに対する不信がある。この不信の根底には元品の無明があります。
 現実の信心のあり方において言えば、「仏性といっても理想に過ぎないのではないか、現実は変わらないのではないか」との不信感は、確信なき祈りや漠然とした祈りとして現れてしまう。中途半端では、当然、一念の転換も、生命の変革もありません。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

★生涯勉強しないと~中略~生きていきたいので。
●一般社会の常識の中でしか我々は生きていけません。
自分とは違うんだと思う方がナンセンスなんです。

★確認し合いましたよ~中略~内部に頼っても無駄だと実感しました。
●相手の意見を聞かない限り自分の意見は聞いてもらえません、社会人ならば当たり前のことですが、友人でも彼氏でも同じですよ。
結局自分で拒否してしまい壁を作ってるんですよ。
だから相手の話が心に突き刺さらない。
当然人間ですから、自分にあう人あわない人色々居ます。
話の合わない人と根気よく話す必要などありません
でも幹部は一人ではない、自分が納得するまで当たり尽くせば良かったのです。

『★なぜ笑っているのかがよくわからないのですが、
そう捉えられたのなら仕方のないことです。』
●顔文字不自然ですか、そう捉えられたのならすいません

『★勘違いも何も~中略~と注意書きも書いてあります。』

●キヨさんのおっしゃっていた仮想世界の実体験や経験ですね
たぶん活動家が読めば、ほとんどが「おすがり信心」の体験だと思われますよ。

★私の情報が間違っていれば~中略~書けなくなってしまいますよ(^_^;)?
●自分で間違った実体験をしておいて、自分の価値観だと言われてしまえば開いた口がふさがりません。
だって基礎教学さえ知らないんだもん(^^ゞ)

>缶コーヒーのボウズさん すいません
先にキヨさんのコメントを優先致しました。

>たまさん

(たまさんのレスは『』でくくらせていただきます。
また、私のコメントには★を付けます)

『●と言うことは、他宗教にも寛容な宗教は認めるけど強要してくるキリスト教や
イスラム教は変だと言うことなんですね。
布教はどの宗教教団でも必須ですから当然のことですよ。』

★もちろん、キリスト教でもイスラム教でも、その宗教を強要してきたり
その団体の発行物を購読するように何回も言ってくるのは変だと思います。
『他宗教にも寛容な宗教は認めるけど』と言いますか、
認める認めないなんてそんな偉そうなことは私は言いません(^_^;)
どんな宗教の存在も、自分や、自分の周り、社会的に見ても害が無ければ
いいのではないでしょうか?
人が嫌がることばかりする団体は、自然に嫌われます。

『●絶対的真理はないとおっしゃっていたキヨさんです。
キヨさんのようなとらえ方をしてる方はほとんど居ないでしょう。
師匠のために命がけで戦う、当たり前のことです。
スポーツでも茶道・華道・舞踊等々の世界でも一流の方は師匠の為に命がけで戦っておられますよ。
間違ってもないのに何で否定出来るのですか?』

★師匠の為に命がけで戦う=命がけで選挙活動をする、新聞啓蒙をする、
折伏する、仏法対話をするのですね。
ではなぜ「池田氏の為」に戦っているのですか?
池田氏はあくまで「師匠」なのですよね?
師匠とは、先生ということです。なぜ先生のために命がけで
戦わなければならないのか・・・全然理解できません。

それに、
『スポーツでも茶道・華道・舞踊等々の世界でも一流の方は
師匠の為に命がけで戦っておられますよ。』
とおっしゃっていますが、そのような世界に住んでいる方々は
「師匠と共に切磋琢磨し技を磨き、いずれ師匠を超える存在になる」
のが目標ではないのでしょうか?
師匠と呼ばれている方々も、それを望んでいる方が多いと思いますよ。

少し話がずれてしまいましたが、
学会において、内部から師匠(池田氏)への疑問、不満を出すと
必ずあるのが幹部指導です。
結局は「学会は素晴らしい、疑問を持つのは魔が入っている証拠」
と言ってくるのが目に見えています(というか言われました)。
中には「疑問を持つのは大切だ。しっかりとぶつけなさい。」と
言う人もいましたが、その人も結局は「学会は正しい」と、
根本的な部分は絶対に疑っていないので前者と同じです。

『●接遇の事ですか?
キヨさんは親御さんや、祖父母に贈り物をしませんか?
お母さんが買って贈った椅子は金額ではありません真心です。
キヨさんもお手紙を添えて真心のこもった感謝のプレゼントをお母様に贈れば解りますよ。
後はどう使われようと、見返りを求めない喜捨の精神が大切なんですよ。』

★『贈り物は金額ではない、真心である』、これは私も同感です。
ではなぜ母は、自分の家計がとても苦しいのに何十万もの品を
贈ったのでしょうか。家計を苦しめてまでする贈り物が
果たして「真心」なのですか?
家族をしっかりと支え、その中で余ったお金(寄付しても家計に響かないお金)
で寄付するべきだと私は思いますよ。

『●すべて折伏に広宣流布につなげていけば功徳になりますよ。』

★では結果的に繋がらなかったら「功徳にならない」のですね。
でも確か幹部は「新聞啓蒙も立派な折伏だ」と言っていましたよ。
なんだか内部で言っていることがそれぞれ違いますね。

『●すぐに叶わない場合もあると言う意味ですよ。
祈り学んで仏智をつけて行動(折伏)し、そして努力をした結果、願いが全て叶うのであって勉強もしてないのに、祈っただけで試験に受かるはずもなく、祈っただけでギャンブルで負けて貯まった借金が帰ってくるはずもないですからね。』

★すぐに叶わない場合もある、ということは、いずれ必ず叶う、とおっしゃるのですね。
『祈り学んで仏智をつけて行動(折伏)』する行為が
願い事(全ての)の成就に関係があるのだとしたら、
その関係を説明して頂けますか。

『●生涯です。キヨさんの祖父母も学ばれてませんか?
それだけこの仏法は難信難解なのです。』

★生涯勉強しないと勉強したことにならないのですね。それは大変ですね。
私はしたくないのでしませんが、頑張ってくださいね。
私は創価学会の常識の中ではなく、一般社会の常識の中で
生きていきたいので。

『以前にものべましたが、ネットは魑魅魍魎の世界、甘い汁を吸い自分の身勝手な意見を正当化させようとする輩が徘徊する、ブログや掲示板はチャンとした知識がないとネットとリアルの境界が解らなくなり本当に怖いんです。
そんな世界に浸ってしまうと、中々抜けられないんです。』

★ネットには様々な情報が溢れています。
それを自分にとって有益か無益、または損失になるかを充分に
考えてから取り入れるのが大切です。
私はネットの便利さを知っていますので、ネットの無い生活はもはや考えられません。
そしてそのような生活をしているため、情報には敏感になっています。
人を騙すようなホームページもたくさんあるでしょう。
しかし、そのような場ばかりではないと思いますよ。
現に私はかなりネットを利用しますが、損害が出たことはありません。

『●その都度その都度「なんで?どうして?」と疑問に思ったことを確認し話し合えば良かったのに、当時の自分の悪かったところを認めず、組織や学会員に転嫁してしまうのです。』

★確認し合いましたよ、もちろん。
疑問に思ったことは正直にぶつけました。
しかし、言われることはそろって「魔が強い」「信心が弱い」
「確信が無いから疑う」「狂っている」「祈りが足りない」という返答でした。
そんな方々と根気よく話し合っていたらノイローゼになってしまいます。
何しろ一切こちらの意見を聞いてくれないのですから。
具体的な解決策を見つけるには、内部に頼っても無駄だと実感しました。

『今回はかなり強烈に批判してますよ(^^ゞ)』

★なぜ笑っているのかがよくわからないのですが、
そう捉えられたのなら仕方のないことです。

『●キヨさんが、やめようがやめまいが自由です。
ただ、キヨさんの思いこみや間違った書き込みで読んでいる皆さんが創価学会のことを勘違いをしてもらっては困るんです。』

★勘違いも何も、このブログの記事は私の実体験です。
最初の記事にも書きましたが、
「※尚、このブログの記事につきましては、私一個人の経験に基づいて
書かれています。このブログの内容が創価学会の「全て」とは
くれぐれも受け取らないようにしてください。 」
と注意書きも書いてあります。

『ここを訪れるキヨさんと同意の方々は、
ある意味自分の居場所を探しておられる方々です。
そんなときここを読むと安心感が得られ心が和むことでしょう。
でもそのため退会し、将来再び折伏を受け再入会しここのブログを思い返した時
キヨさんの情報が間違っていれば本当に不幸なことです。』

★私の情報が間違っていれば、とおっしゃっていますが、
私が何か間違っていることを言っていますか?
私の価値観をそのまま綴っているだけですが。
実体験を元にし、捏造なんてしていませんし(^_^;)
それに、私のブログを読んで退会し、後再入会した後に
「今までのブランクはキヨの責任だ!」と言われましても、
それは常識的に考えておかしい発言だと思いますよ。
私は皆さんに学会からの退会を強要している気はありませんし、
そんなつもりで記事を書いていません。
私の思ったことをブログに書いているだけなのに、
それによって「キヨに責任がある」と言われたら何のテーマであれ誰もブログなんて
書けなくなってしまいますよ(^_^;)?


>缶コーヒーのボウズさん

具体的な情報の提示、感謝いたします。
コメントは遠慮せずに、どんどんしてくださいね(^^)

たま様。
コメントありがとうございます。
>先生も人間です。過ちもミスも犯します。
→師弟というのならばどうして師のミスを指摘なさらないのですか?

「原爆投下は仏罰」~これの何処が過ちなのか?ミスなのか?
何故先生が謝罪しなければいけないのか、私には理解出来ません。
→『会長講演集 第三巻』 P290~291からです。
本当にそのように思われているのですか?
前防衛大臣はどうして辞任されたのでしたっけ?
非人道兵器によって罪も無い何十万人という人が殺された、彼らは何か罪を犯したのですか?
少なくとも自分が発言したことに関して責任をとられたとは到底思いませんがいかがですか?

あなたが仏罰という意味を何処まで理解されているのか?
→そりゃ知りませんよ。私は学会ではないのですから、当然でしょ。
たま様は仏罰が何であるのかご存知のようですね?是非無知な私にご教授願いませんか?
もっとも、学会論理の仏罰ですか?

>すべてを受け入れている人たちとは何処までのことを言うのでしょうか?
先生が死ねと言えば自殺するのですか?
誰かを殺せと言えば殺人を犯すのですか?
先生の指導をすべて自身の信仰に生かしていくことが師弟の根本ではないのですか?
→極論を振りかざしてますね。
仮にそれを言って誰かが実行すればオ○ムと同じですよ(というよりか今度こそ本当に先生には裁判を受けて刑務所に入っていただくことになりますよ)
世界から表彰されている人格者の池田先生がそのようなことをおっしゃるのですか?
すごい宗教ですね・・・
指導を自分なりに考えることこそ大切なことではないのですか?
「池田先生のすべて活かす」というのであればそのように教義に書けばよいではないですか?
それで済みませんか?


>●「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」
投票を依頼することは、日本の国を良くするために行う選挙運動です。
→すみません長いのでカットしましたが、折伏のために民主主義を利用しても許されると思われているのですか?
これは大聖人のお手紙「立正安国論」に基づくものです。
→都合の良いときだけ日蓮を用いないでください。
選挙と鎌倉時代に書かれた書物がどのように関連しているのですか?

それと、聖教新聞の推進や贈呈自体これらには、友好活動と言う行動が伴います。
→自分が負担してまで配る新聞に何の意味があるのですか?
>その行動そのものが、折伏であります。
→ということでしょうか?
我が国には信教の自由という法律があります。
当然誰がどの宗教に属しても自由であることは言うまでもありませんが、その宗教活動の自由も認められております。
→失礼ですが、憲法を見れば分かります。
そんな常識は「釈迦に説法です」

活動の中には布教と言うことが含まれので折伏には何ら問題はありません。
強引云々の話は、人間関係を築かずに物事を頼んだりする、各個人の問題であります。
→強引な取立てをする闇金会社の責任ではなく実際の取立人に問題があるという理屈と同じではないですか?
人に折伏をするようにしておきながら、個人の責任だとは団体としての責任を果たしてないのではないでしょうか?
私が他の宗教教団から勧誘を受ければ、当然人間関係を築く前に折伏を致しますよ。
→折伏以前にそういった行為を不愉快と感じませんかと聞いているのです。

最近になりようやく各党マニフェストが出て参りましたが、ほとんどが実現不能な内容ばかりで、根本の財源が曖昧なままこれではお話になりませんね。
学会員の中にも、老若男女の方々が毎回必死に政治学習に取り組んでおります。
→それでいて民主党や共産党の悪口をお互いに刷り込むのですね。
朝日新聞の「声」に書かれていたことをしているのではないで伸すか?
私みたいに頭の悪いヤツにも、懇切丁寧に議員自ら教えて頂いてますし、疑問があれば質問をぶつけております。
→当然、公明党以外に共産党や民主党の議員さんにも質問しているのですよね?

あなたのご友人の依頼について、とやかくは言いませんがまずお互い人間関係を築くのが先ではないでしょうかね。
→少なくとも私とその友人の人間関係はたま様が思われているような薄い関係ではございませんのでご安心ください。

我々が投票を依頼するのは公明党だけではありません、人物本位で様々な方を推薦しております。
→当然、批判している民主党や共産党の人でも人物本意で推薦しているのですよね?
年金を未納していた公明党の3人は問題があるとは思いませんか?
学会の幹部が座談会で言っていたのと同じことを言っていますね。



●名誉欲ですか面白いたとえです。名聞名利を貪る事はまさに欲望の固まりです。
先生は常々幹部に「学会は権威主義、ならびに名聞名利であっては絶対にならない」と、指導されております。
聖教新聞に紹介されているように毎日毎日、世界から名誉賞や名誉市民賞等々沢山いただいております。
すべて我々会員のために受けて頂いております。
→聖教新聞では「池田会長に」や送った相手は「池田博士の(は)」というように池田氏が主語になってますが、学会に送られているというのであれば国語的におかしいですよね?
「創価学会は~」や「SGIは~」という主語にならなきゃおかしいじゃないですか?
第1、池田氏が受賞したと書いてあるのですから、池田氏本人に渡していることですよね?
明らかに学会は権威主義、名聞名利じゃないですか?
そんな人物をどうして尊敬できましょうか?

>それが面白くないのか嫉妬や憎悪の念を抱く輩が居ます。
実に嘆かわしい乞食坊主たちです。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ですかな
→別に嫉妬してませんよ。恥ずかしい・情けないと思っているだけです。
権威でしか自己の団体を主張できないことに哀れんでいるのです。


●根拠は教義なので解らんでしょう。
世間には自らの努力で成功されている方が居られます。
逆にいくら努力しても失敗ばかりしている方が沢山居る。
どちらの割合が多いのでしょうか?
→おやおや、私はどうやら折伏相手ではなく、アンチとして扱われたようですかな
人を折伏といっているのに>根拠は教義なので解らんでしょう。とはどうでしょうか?

>●唱題をするだけで後は何も行動せず功徳だけ待っていれば「おすがり信心」ですよ。
それにしても今時「くわばら くわばら」と言葉が呪文だと言うことも意味も分からんでしょうね、せいぜい「怖い 怖い」と理解してる人が多いんじゃないですかね。
→物のたとえです。悪しからず。

>子供の入会に関しては、世間で言えばお宮参りみたいなもんで何ら不思議ではありません。
これも既出の他宗教教団に属する方々は当然その宗教教団に子供を入信させるわけですよね、大人になって選びなさいなんて言う宗教教団があれば教えて下さい。
2・3世が信仰という壁にぶち当たるのは当然のことです。
それを乗り越えてこそ、はじめて発心するのです。


●どうぞその寸鉄の掲載日を具体的にお示し下さい
→多すぎるのでまとめるまでにしばしお待ちくだされ。



●もう一度キヨさんの文章をお読みになることをお勧め致します。
→そうですね。お互い読まれたほうが良いですね!!
●十分にね
既出のコメント等では「皆様どうですか?」等々発言はありますが
今回の文章は明らかに批判ですね。
→キヨ様がコメントされておりますのでとりあえずはパスして置きます。
ですが、あまり被害妄想にとらわれるのはいかがでしょうか?
「そうした見方もあるのか」と考えてみても良いと思いますが?

>「ダブルスタンダード」の明確な提示をお願い致します。
→平和を愛する団体がどうしてイラク戦争に反対しないのですか?
一応世界190ヶ国に団体があるのですよね?
そのどこからも反対の声が出ていませんよ
どうしてですか?
原水爆禁止の署名を国連に提出した団体がどうしてインド・パキスタン・北朝鮮の核実験に際して抗議しなかったのですか?
SGI会長名で出された形跡がありませんが
いかがお考えですか?
温首相が来日したときに池田氏はどうして中国の核軍縮を求めなかったのですか?
面会したことをことさら強調していますが、国家権力と日々戦っておられる先生らしからぬ行動ですよね?
さらに、ミャンマーで民衆が軍によって拘束・撃たれました。
「民衆とともに」という言葉を良く使うのですが他国の民衆は無視ですか?
これが仏法を通して世界平和を目指す団体ですか?
日顕氏や竹入氏の浪費を批判していますよね?
今回の防衛事務次官の浪費・癒着をどうして批判しないのですか?
権力を監視せよとえらそうに言っているのに長いものに巻かれていますよね?

言ってることとやっている事、ぜんぜん違うじゃないですか?

キヨ様、削除してくださりありがとうございます。
荒らしてしまいました。
申し訳ありません。

キヨさん
缶コーヒーのボウズさんにもコメントしましたので重複する部分は割愛してコメントしますね。

『他の宗教でも幸せになれる~中略~折祈が必須らしいので無理ですね。』
●と言うことは、他宗教にも寛容な宗教は認めるけど強要してくるキリスト教やイスラム教は変だと言うことなんですね。
布教はどの宗教教団でも必須ですから当然のことですよ。

『そのように~中略~「否定できない状態」なのは事実です。』

●絶対的真理はないとおっしゃっていたキヨさんです。
キヨさんのようなとらえ方をしてる方はほとんど居ないでしょう。
師匠のために命がけで戦う、当たり前のことです。
スポーツでも茶道・華道・舞踊等々の世界でも一流の方は師匠の為に命がけで戦っておられますよ。
間違ってもないのに何で否定出来るのですか?

『それに頭の中で尊敬し~中略~寄付でもしているのでしょうか・・・』

●接遇の事ですか?
キヨさんは親御さんや、祖父母に贈り物をしませんか?
お母さんが買って贈った椅子は金額ではありません真心です。
キヨさんもお手紙を添えて真心のこもった感謝のプレゼントをお母様に贈れば解りますよ。
後はどう使われようと、見返りを求めない喜捨の精神が大切なんですよ。

『そうなのですか~中略~内部から聞いたことありませんが。』

●すべて折伏に広宣流布につなげていけば功徳になりますよ。

『叶わない場合もあるのならば~中略~おっしゃいますか?』

●すぐに叶わない場合もあると言う意味ですよ。
祈り学んで仏智をつけて行動(折伏)し、そして努力をした結果、願いが全て叶うのであって勉強もしてないのに、祈っただけで試験に受かるはずもなく、祈っただけでギャンブルで負けて貯まった借金が帰ってくるはずもないですからね。

『自分で勉強もせず~中略~正直とてもそうは思えません。』

『たまさんの言う勉強というのは、一体どの程度すれば
「勉強したこと」になるのですか?』
●生涯です。キヨさんの祖父母も学ばれてませんか?
それだけこの仏法は難信難解なのです。

『それに~中略~もう何と言いますか正直酷いですね・・・』

●これは教学で勉強していると思いますが「三証」があるかないかですよ。
これがないと他者には通用しません。
何をどのように考え、そしてリアルに彼意外に誰に支えられてきたのか
以前にものべましたが、ネットは魑魅魍魎の世界、甘い汁を吸い自分の身勝手な意見を正当化させようとする輩が徘徊する、ブログや掲示板はチャンとした知識がないとネットとリアルの境界が解らなくなり本当に怖いんです。
そんな世界に浸ってしまうと、中々抜けられないんです。

『では~中略~やめられたんですけどね(^_^;)』
●その都度その都度「なんで?どうして?」と疑問に思ったことを確認し話し合えば良かったのに、当時の自分の悪かったところを認めず、組織や学会員に転嫁してしまうのです。

『私は非難なんてしていませんよ。
もちろんこのブログは非創価学会員視点で書かれたものなので
「賛美」にはなっていません。しかし非難に聞こえてしまったら残念ですね。』
今回はかなり強烈に批判してますよ(^^ゞ)

『たまさんはなぜ~中略~私はその想いには応えられません。』

●キヨさんが、やめようがやめまいが自由です。
ただ、キヨさんの思いこみや間違った書き込みで読んでいる皆さんが創価学会のことを勘違いをしてもらっては困るんです。

『学会に~中略~とは言えますね。』

●この例のブログであれば応援致しますよ。

『嫌なら関わるな~中略~世の中にたくさんいらっしゃるのです。』

●親御さんが居るかぎり関わりは続くでしょうが、生活にまで嫌な思いを持ち込むことはないかと思います。
ここを訪れるキヨさんと同意の方々は、ある意味自分の居場所を探しておられる方々です。
そんなときここを読むと安心感が得られ心が和むことでしょう。
でもそのため退会し、将来再び折伏を受け再入会しここのブログを思い返した時
キヨさんの情報が間違っていれば本当に不幸なことです。
現在のブログを続けている限り学会に対しての不平不満がやがて、憎悪や憎しみに変わります。そのことが親御さんに向けられれば、親子の縁が切れない以上そのことも不幸なことです。

>缶コーヒーのボウズさん

こんにちは!
途中送信のものは削除しましたのでご安心くださいね。

丁寧にコメントしてくださりありがとうございます。
こうしてコメントしてくださるのはとても勉強になりますので、
気にせずにどんどんコメントください!

>たまさん

(追記)
私がこの記事で学会批判をした、と受け取っているようですね。

「まず創価学会員にとって、学会以外の宗教では幸せになれません。
池田大作氏の言葉が絶対的真理を持ち、それを否定することは有り得ません。
新聞啓蒙・折伏・選挙活動・財務、これらをすればする程功徳があります。
自分の信仰心を揺るがすものは全て「魔」です。
祈りが叶わないことは無い、叶わないことは「叶うまで」祈るのです。
一家和楽の信心(家族全員学会員)でないと幸せになれません。 」

この部分の記事は、全て私が活動家だったときに
実際に内部で聞いた言葉ですよ。それをそのまま書いているだけです。
この言葉に対して、

「このような価値観が根底に植えついている中で、
様々な人の価値観を寛容に受け入れられることができるでしょうか?
私は正直とてもそうは思えません。
そして自分の行動を客観視し、その行動が果たして自分にとって
「有益なのか」をしっかりと判断できるとも思えません。」

と自分なりの意見を述べたまでですが。

たまさんが、創価学会を非難されたと思ってしまうのはしょうがないです。
ここは、「創価学会が嫌でやめた私が」書いているブログなのですから。
学会員が読んで良い気分を味合わないのは「充分」予測できます。
それが嫌でしたらお読みにならないほうがよいと思います。

>ミュウさん

はじめまして!コメントしてくださりありがとうございます。
ミュウさんの彼女様も学会員なのですね。

>>先日、彼女には別れ話を切り出されました。やはり、活動に専念するためには、
>>恋人という存在がいらない、と言われました。でもその一方で、
>>僕のことは好きだという。自分の中で僕への感情が、
>>活動に猛進することの妨げになっているそうです。

様々なブログを読む中で、本当に多いシチュエーションです(>_<;)
「活動に専念したい、でも彼氏がいると集中できない」
これは私も本気で思っていました。なぜこう悩むのか、それは
「恋愛に流され活動できないと仏罰があたる(又は福運が逃げる、
成仏できない、生活のリズムが狂うなどなど)」
と本気で思い込んでいるからです。
「活動に集中できない=いけないこと」なんでしょうね。

女子部はしきりにこう言われます。
「女子部時代にしっかりと活動して福運を貯めましょう」と。
○○時代に福運貯めましょうって・・・という感じなのですが(^_^;)

>>とりあえず、今はお互い何がベストなのか、じっくり考えてみようということに
>>しました。僕は彼女が大好きだし、本気で幸せにしたいと考えています。
>>しかし、その気持ちではどうにもできない次元で彼女が物事を
>>判断してしまったら・・・。今はそれが非常に不安です。

そうですね、お互いじっくりと時間をかけて考えることが大切ですね。
私は振り返ってみるとこう思うんです。
絶対に止めないと思っていた創価学会を、自分の命の次に
大切な御本尊よりも優先して大切にできる彼を見つけられた、
今までも何回か創価学会のことでもめた彼氏もいたけれど、
今の彼は自分の価値観をも覆す出会いだったと思っているのです。

自分の信仰を変える、又は捨てることは、いけないことだとは決して思いません。
自分の信念がしっかりしていれば(例えば、この人を大切にするぞ!など)
良いと思うのです。そこに「池田先生に応えなければ」となぜなるのか?
自分や相手の幸せのために考え方を変えて何が悪いのか、と思うのです。
創価学会はそこに「やめると罰があたる」などという根拠の無い刷り込みをして
人の気持ちをコントロールしているようにしか見えません・・・

>>僕は別れることは絶対に最良の選択肢ではないと考えています。
>>徹底的に二人で話して、お互いが納得できる何かしらの中間点が
>>見つけられたら。今はそう願って、自分なりにどうしたらいいか、考えています。

私も、別れるのが最良の選択だとは思いません。
二人が想い合っての幸せが一番だと思います。
納得するまでお互いが根気よく話し合う必要がありますよね(>_<)
こんなブログでよろしければ、読んでやってください。
私もゆったりですが、記事を更新していきます(^^)

缶コーヒーのボウズ様 はじめまして

→確かに他の宗教でも幸せになれるかもしれないし~中略~迷惑だと思っている人も現実なんですよ。

●まず「創価学会員にとって、学会以外の宗教では幸せになれません」
これ対し、それではその他の宗教教団では教義に、自らの宗教教団以外で幸せになれると説いている宗教教団はあるのですかと聞いているだけで、その他宗教教団に属する方々は当然その宗教教団の教えにより幸せになれると学習されているわけですよね。個人の考え・感じ方はそこに属する信仰の度合いにも寄りますが、日本人特有な複数の宗教教団に属する方々も居られるでしょうから様々でも良いんじゃないですかね。
迷惑云々の話は、人間関係を築かずに物事を頼んだりする、各個人の問題であります。

>池田大作氏の言葉が絶対的真理を持ち、それを否定することは有り得ません。
→私の友人の学会員も同じことを~中略~偉大なる指導者は対外的にご自身の過ちを謝罪されないのでしょうか?

●先生も人間です。過ちもミスも犯します。
「原爆投下は仏罰」とは、何時どんな時に誰に向かって語った言葉かは分かりません
これの何処が過ちなのか?ミスなのか? 
あなたが仏罰という意味を何処まで理解されているのか?
何故先生が謝罪しなければいけないのか、私には理解出来ません。
すべてを受け入れている人たちとは何処までのことを言うのでしょうか?
先生が死ねと言えば自殺するのですか?
誰かを殺せと言えば殺人を犯すのですか?
先生の指導をすべて自身の信仰に生かしていくことが師弟の根本ではないのですか?

→実際にあると思い込んでいる人が~中略~同じことだと私は思います。

●「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」
これを理解していない、キヨさんみたいに勘違いしてる方々は居られますよ。
投票を依頼することは、日本の国を良くするために行う選挙運動です。
これは大聖人のお手紙「立正安国論」に基づくものです。
それと、聖教新聞の推進や贈呈自体これらには、友好活動と言う行動が伴います。
その行動そのものが、折伏であります。
我が国には信教の自由という法律があります。
当然誰がどの宗教に属しても自由であることは言うまでもありませんが、その宗教活動の自由も認められております。
活動の中には布教と言うことが含まれので折伏には何ら問題はありません。
強引云々の話は、人間関係を築かずに物事を頼んだりする、各個人の問題であります。
私が他の宗教教団から勧誘を受ければ、当然人間関係を築く前に折伏を致しますよ。
最近になりようやく各党マニフェストが出て参りましたが、ほとんどが実現不能な内容ばかりで、根本の財源が曖昧なままこれではお話になりませんね。
学会員の中にも、老若男女の方々が毎回必死に政治学習に取り組んでおります。
老齢の方々には本当に頭が下がります。
私みたいに頭の悪いヤツにも、懇切丁寧に議員自ら教えて頂いてますし、疑問があれば質問をぶつけております。
あなたのご友人の依頼について、とやかくは言いませんがまずお互い人間関係を築くのが先ではないでしょうかね。
我々が投票を依頼するのは公明党だけではありません、人物本位で様々な方を推薦しております。

>自分の信仰を阻むものが「魔」です。
自身の欲望や煩悩に流されてします事です。
→では、たま様の論理ですと学会員の~中略~差し上げたら宜しいのではないのですか?

●名誉欲ですか面白いたとえです。名聞名利を貪る事はまさに欲望の固まりです。
先生は常々幹部に「学会は権威主義、ならびに名聞名利であっては絶対にならない」と、指導されております。
聖教新聞に紹介されているように毎日毎日、世界から名誉賞や名誉市民賞等々沢山いただいております。
すべて我々会員のために受けて頂いております。
それが面白くないのか嫉妬や憎悪の念を抱く輩が居ます。
実に嘆かわしい乞食坊主たちです。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ですかな

→根拠が分かりません。
では、学会員でなくて祈らなくても努力して成功している人物をどのように思われますか?

●根拠は教義なので解らんでしょう。
世間には自らの努力で成功されている方が居られます。
逆にいくら努力しても失敗ばかりしている方が沢山居る。
どちらの割合が多いのでしょうか?

>おすがり信心や他力本願では叶いません。
一家和楽の信心(家族全員学会員)でないと幸せになれません。
→‘ご本尊’に向かって唱題している時点で‘他力本願’ではないのですか?
雷が鳴って「くわばら、くわばら」といっている人に「おすがりめ」というのですか?
●唱題をするだけで後は何も行動せず功徳だけ待っていれば「おすがり信心」ですよ。
それにしても今時「くわばら くわばら」と言葉が呪文だと言うことも意味も分からんでしょうね、せいぜい「怖い 怖い」と理解してる人が多いんじゃないですかね。

→‘一家和楽’と言っていますが~中略~学会はもっと学ぶべきです。
●『一家和楽の信心(家族全員学会員)でないと幸せになれません』
これはキヨさんの文章を私が消し忘れました。すみません。

子供の入会に関しては、世間で言えばお宮参りみたいなもんで何ら不思議ではありません。
これも既出の他宗教教団に属する方々は当然その宗教教団に子供を入信させるわけですよね、大人になって選びなさいなんて言う宗教教団があれば教えて下さい。
2・3世が信仰という壁にぶち当たるのは当然のことです。
それを乗り越えてこそ、はじめて発心するのです。

→あらあら、聖教新聞の「寸鉄」はまさに
>自ら何も考えず周りに流され、それを他人の責任に転嫁する。
ではないですか?
「価値観を寛容に受け入れる」というたま様の論理と明らかに矛盾してますよね?
書いていてお気づきになりませんでしたか?
●どうぞその寸鉄の掲載日を具体的にお示し下さい

→すくなくともキヨ様は「有益」と~中略~ご自分でお書きになられているいるではありませんか?

●もう一度キヨさんの文章をお読みになることをお勧め致します。

→「なんで?どうして?」と~中略~失礼ではないですか?

●少なくとも活動をしていたキヨさんは、始める前に「なんで?どうして?」と考えてから、活動を始めたんではないですか?

→キヨ様は批判されていましたか?
少なくともキヨ様が~中略~「知りもしないで」ということではないのですか?

●十分にね
既出のコメント等では「皆様どうですか?」等々発言はありますが
今回の文章は明らかに批判ですね。
「ダブルスタンダード」の明確な提示をお願い致します。

乱文乱筆申し訳ございません。でわでわ。

>たまさん

缶コーヒーのボウズさんもコメントしてくださいましたが、
私もコメントしますね。
(尚、たまさんのレスは『』でくくらせていただきます。)

『>まず創価学会員にとって、学会以外の宗教では幸せになれません。
●他の宗教も同じですね
逆に他の宗教でも幸せになれるという、宗教を教えて頂きたいのですが?』

他の宗教でも幸せになれる、という宗教は私は知りません。
宗教とはそういうものだと思います。
私が言っているのは、「この宗教で無いと幸せになれない」と
豪語し、強要してくる宗教は変だということです。
自分たちの世界の中で完結してくださればいいのですが、
折祈が必須らしいので無理ですね。

『>池田大作氏の言葉が絶対的真理を持ち、それを否定することは有り得ません。
●何故絶対なのでしょうか?
先生は師匠であり教祖でも何でもありませんよ』

そのように(絶対的真理)池田氏を捉えている学会員は皆無だと
おっしゃりたいのですか?でしたらそれは間違っています。
現に私は内部で「池田先生の為に命をかけて戦う!!」と
泣きながら豪語していた方を普通に見ましたし、
明らかに「崇めている状態」でした。
缶コーヒーのボウズさんもおっしゃっていましたが、
学会員の方は絶対に池田氏を否定しませんよね?
例え否定したくても、「否定できない状態」なのは事実です。

それに頭の中で尊敬し、慕っているのならわかるのですが、
例えば学会本部へ行った時に池田氏に贈り物をする、
これはなぜするのですか?私の母は以前10万前半の椅子を贈っていました。
池田氏は全国から届く贈り物をどうしているのでしょうか?
恵まれない国や子供に寄付でもしているのでしょうか・・・

『>新聞啓蒙・折伏・選挙活動・財務、これらをすればする程功徳があります。
●何故新聞啓蒙に功徳なんてあるのでしょうか?
選挙に財務何で功徳なんて居るのでしょうか?
我々活動は折伏しかありません。
その他は折伏の為のアイテムでしかありません。』

そうなのですか、それは始めて知りました。
では、財務も選挙も新聞啓蒙も功徳は出ないのですね。
しかしそんなこと、池田氏や内部から聞いたことありませんが。

『●祈りが叶わないことは無い、叶わないことは「叶うまで」祈るのです。
何をどのように祈るのかが大切であり、すぐ叶う場合もあれば、
叶わない場合もあります。
祈れば何とかなると安易な気持ちで祈っても叶うはずがありません。
仏法は道理であり、現実のうえで努力しないで願いが叶うものではありません』

叶わない場合もあるのならば、なぜ「祈りは全て叶う」と
学会はおっしゃっているのですか?
それとも、そんなことは言っていないとおっしゃいますか?

『自分で勉強もせず間違った価値観が根底に植えついている中で、
何で正しい進行が解るのでしょうか?
表面上活動していて、自ら何も考えず周りに流され、
それを他人の責任に転嫁する。
このようなことで本当にに活動していたといえるのでしょうか、
折伏するため様々な人の価値観を寛容に受け入れられることが
できるでしょうか?私は正直とてもそうは思えません。』

たまさんの言う勉強というのは、一体どの程度すれば
「勉強したこと」になるのですか?
それに、「正しい信仰」なんて、一概に言えるものなのでしょうか。
私は「この宗教は正しい」なんて自分で確信している以外
他者には通用しないことだと思いますよ。
それに、私は自分で考え、それにもちろん周りの支えもあり
精神的にやめることができました。
それを『自ら何も考えず周りに流され、それを他人の責任に転嫁する。』
などという言葉でくくるのは、もう何と言いますか正直酷いですね・・・

『自ら思考がストップさせておいて、闇の中に居たとしても、
すべて自分の責任ではありませんか。
活動家の時に「なんで?どうして?」と考えることが無いほど、
お気楽な信心をしてたのでしょうか?』

では、何の疑問も持たずに学会員であることが
「思考がストップしていないベストな状態」とでもおっしゃるのですか?
それに、活動家の時に「なんで?どうして?」と考えたからこそ
やめられたんですけどね(^_^;)

『非難するのであればもっともっと勉強してからね。
そうでなければ、学会に一切かかわらないことです。』

私は非難なんてしていませんよ。
もちろんこのブログは非創価学会員視点で書かれたものなので
「賛美」にはなっていません。しかし非難に聞こえてしまったら残念ですね。

たまさんはなぜこのブログに書き込みをしてくださるのでしょうか?
私の考えに物申したいのでしょうか。
「学会はそんなキヨさんが思っているほど嫌な場所ではない」
と私に伝えたいのですか?
だとしましたら、私はその想いには応えられません。

学会に一切かかわらないこととおっしゃっておりますが、
例を挙げてお答えします。

例えば、Aさんが数年間ストーカー被害に遭っていた。
しかしそれが解決し、この体験は苦痛な物だったけど多くの人に伝え、
少しでも被害に遭っている人の参考になればと思いブログを立ち上げた。

そこで、
「あなたはもうストーカー被害は解決したのだから、
ストーカーが嫌いならばこんなブログは書くな」
と言えますか?
もちろん、「あなたの傷はまだ癒えていないかもしれないから、
このようにストーカー被害のことを書いて傷が深くなるのはよくないよ」
とは言えますね。

嫌なら関わるな、これはある意味その通りだと思います。
しかし、私は創価学会をはこれから嫌でも関わって
生きていかなくてはならないのです。
本人が関わらないかはあくまで本人自身が決めることであり、
他人が決めることではないと思います。
嫌でも関わらなければならない人は、世の中にたくさんいらっしゃるのです。

>たま様

はじめまして

馬鹿なので途中で送信してしまいました。

改めて書き直します。

では、まいります

あなた様の文章を読んでいて私が感じたこと・感じていることを書きたいと思います。

>●他の宗教も同じですね
逆に他の宗教でも幸せになれるという、宗教を教えて頂きたいのですが?
→確かに他の宗教でも幸せになれるかもしれないし、なれないかもしれません。
しかし、そこは信仰する個人の考え・感じ方によって様々ではないでしょうか?
たま様にとって学会がご自分を幸せにしてくれるのならそれでいいじゃないですか?
しかし、迷惑だと思っている人も現実なんですよ。

>池田大作氏の言葉が絶対的真理を持ち、それを否定することは有り得ません。
●何故絶対なのでしょうか?
先生は師匠であり教祖でも何でもありませんよ
→私の友人の学会員も同じことを言っておりました。
師匠とはいえ、全知全能ですか?
ミスは犯しますよね?
そうなったとき、学会員は池田氏のミスや過ちを指摘してますか?
「原爆投下は仏罰」というようなことを言ってますよ。
私が調べた範囲ではその形跡はありません。
むしろ、教祖のように池田氏のすべてを受け入れている人たちが学会内にいませんか?
ローマ教皇でも過ちを犯せば、謝罪しています。
しかし、池田氏はそういったことをしましたか?
賛否色々あれ、ボクサーの人や横綱は謝罪を
していますよ。
偉大なる指導者は対外的にご自身の過ちを
謝罪されないのでしょうか?

>●何故新聞啓蒙に功徳なんてあるのでしょうか?選挙に財務何で功徳なんて居るのでしょうか?
我々活動は折伏しかありません。
その他は折伏の為のアイテムでしかありません。
→実際にあると思い込んでいる人がいるんじゃないですか?(キヨ様のブログをよく読まれたのですか?)
知り合いに公明党への投票を依頼すること、自分が負担してまで他人に聖教新聞と呼ばれる‘プロパガンダ新聞’を配ることがどうして折伏なのですか?
‘折伏’のために民主主義を利用しても良いと言うようにしか私には感じませんでした。
かのヒトラーも合法的に独裁者になりました。
‘折伏’という錦の御旗を振りかざし、他人に強引な勧誘をすることに問題は無いと言い切れるのですか?
ご自分が他の宗教にそうした行為をされたことを想像した事はありますか?

たま様、学会員の方は一度でも他の政党のマニフェストを比較研究し、自分なりの結論を出して他人に公明党への投票依頼していますか?
私の友人も私に依頼してきましたが、その根拠は非常にあいまいでした。しかも、賛同してくれれば嬉かったとの言葉までありました。
少なくとも人に賛同してもらうには道筋を立てた論理が必要ではないですか?
三角形の合同条件(中学校で学習しましたよね?)
あれには仮定と条件を組み合わせて結論を導き出しますよね?
いきなり結論を聞いて納得する人いますでしょうか?
学会の人が選挙のたびに公明党といってくるのはそれと同じことだと私は思います。


>自分の信仰を阻むものが「魔」です。
自身の欲望や煩悩に流されてします事です。
→では、たま様の論理ですと学会員の偉大なる指導者池田氏は「魔」の塊ですね。
偉大なる指導者様は毎日のように名誉職やら名誉市民賞などを受賞されてますが、それは「名誉欲」という二次的欲求ではないでしょうか?
仏教という宗教とはあまりにかけ離れた行為だと私は思いますが、いかがですか?
他人を救って差し上げる前に自分たちの団体の偉大なる指導者を救って差し上げたら宜しいのではないのですか?

>●祈りが叶わないことは無い、叶わないことは「叶うまで」祈るのです。
何をどのように祈るのかが大切であり、すぐ叶う場合もあれば、叶わない場合もあります。
祈れば何とかなると安易な気持ちで祈っても叶うはずがありません。
仏法は道理であり、現実のうえで努力しないで願いが叶うものではありません。
真剣な祈りとともに、だれよりも工夫し、努力してする姿勢があってこそはじめて、厳しい状況を切り開く生命力と仏の智慧がわき、願いが叶っていくのです。
→根拠が分かりません。
では、学会員でなくて祈らなくても努力して成功している人物をどのように思われますか?

>おすがり信心や他力本願では叶いません。
一家和楽の信心(家族全員学会員)でないと幸せになれません。
→‘ご本尊’に向かって唱題している時点で‘他力本願’ではないのですか?
雷が鳴って「くわばら、くわばら」といっている人に「おすがりめ」というのですか?
‘一家和楽’と言っていますが、子どもの意思を尊重しないで‘福子’というわけの分からないことで入会させるというのはいかがなものですか?
少なくとも子どもには自分の宗教を選ばせる権利があるのではないのでしょうか?
そういう当たり前のことをさせないような行動をしているから2・3世と言われる人たちが苦しんでいることを学会はもっと学ぶべきです。

>自分で勉強もせず間違った価値観が根底に植えついている中で、何で正しい進行が解るのでしょうか?

>表面上活動していて、自ら何も考えず周りに流され、それを他人の責任に転嫁する。
このようなことで本当にに活動していたといえるのでしょうか、折伏するため様々な人の価値観を寛容に受け入れられることができるでしょうか?
私は正直とてもそうは思えません。
→あらあら、聖教新聞の「寸鉄」はまさに
>自ら何も考えず周りに流され、それを他人の責任に転嫁する。
ではないですか?
「価値観を寛容に受け入れる」というたま様の論理と明らかに矛盾してますよね?
書いていてお気づきになりませんでしたか?

>そして自分の行動を客観視し、その行動が果たして自分にとって「有益なのか」をしっかりと判断できるとも私には思えません。
→すくなくともキヨ様は「有益」とお考えになったのではないですか?
そもそも何を持って「益」とするのですか?
その根拠を示す必要がたま様にはあるのではないのですか?
というより、「価値観を寛容に受け入れる」と、ご自分でお書きになられているいるではありませんか?

>自ら思考がストップさせておいて、闇の中に居たとしても、すべて自分の責任ではありませんか。
活動家の時に「なんで?どうして?」と考えることが無いほど、お気楽な信心をしてたのでしょうか?
→「なんで?どうして?」と考えられたから学会と距離を置いたのではないのですか?
そこには様々な葛藤があったと邪推しておりますが、それを「お気楽」と表すのは失礼ではないですか?

>非難するのであればもっともっと勉強してからね。
そうでなければ、学会に一切かかわらないことです。
→キヨ様は批判されていましたか?
少なくともキヨ様がご自身の考えていらっしゃることを「皆様どうですか?」と提示されていらっしゃるのではないのですか?
それを非難ととらえるのも致し方ないでしょうが・・・
批判する人を「学会のことを知りもしないで」と言っておりますが、ご自分が信奉されている団体の主張と実際の行動の「ダブルスタンダード」にも気付かないことこそ、「知りもしないで」ということではないのですか?


キヨ様いつもお世話になっております。
すみません。途中で送信してしまいました。
前に書いたものを削除していただけると助かります。
もしかしたら皆様わざとスルーされていたのかもしれませんが、私のような愚か者がこういったところでコメントを書くべきではなかったのかもしれませんが、あまりにもひどい内容でしたので、
つい怒って書いてしまいました。
火に油を注いでしまったかもしれません。
お許しください。

はじめまして。
はじめてこのブログを見させていただきました。
なぜこのブログを見たかというと・・・僕の彼女も熱心な学会員だからです。キヨさんのブログには「あ~聞いたことあるw」、と思う話も結構あったため大変おもしろく、興味深く見させていただきました。
先日、彼女には別れ話を切り出されました。やはり、活動に専念するためには、恋人という存在がいらない、と言われました。でもその一方で、僕のことは好きだという。自分の中で僕への感情が、活動に猛進することの妨げになっているそうです。
とりあえず、今はお互い何がベストなのか、じっくり考えてみようということにしました。僕は彼女が大好きだし、本気で幸せにしたいと考えています。しかし、その気持ちではどうにもできない次元で彼女が物事を判断してしまったら・・・。今はそれが非常に不安です。
正直、周囲の友人たちに相談しても「創価だからやめとけ」って言われるだけだと思います。ですから、なかなか気持ちを明かせるところがなくて、ここに書き込ませてもらいました。
僕は別れることは絶対に最良の選択肢ではないと考えています。徹底的に二人で話して、お互いが納得できる何かしらの中間点が見つけられたら。今はそう願って、自分なりにどうしたらいいか、考えています。こちらのブログにあることも、いろいろと参考にさせていただきたいと思います。

なんだか、まとまらない文章ですみません(汗)

>まず創価学会員にとって、学会以外の宗教では幸せになれません。
●他の宗教も同じですね
逆に他の宗教でも幸せになれるという、宗教を教えて頂きたいのですが?

>池田大作氏の言葉が絶対的真理を持ち、それを否定することは有り得ません。
●何故絶対なのでしょうか?
先生は師匠であり教祖でも何でもありませんよ

>新聞啓蒙・折伏・選挙活動・財務、これらをすればする程功徳があります。
●何故新聞啓蒙に功徳なんてあるのでしょうか?
選挙に財務何で功徳なんて居るのでしょうか?
我々活動は折伏しかありません。
その他は折伏の為のアイテムでしかありません。

自分の信仰を阻むものが「魔」です。
自身の欲望や煩悩に流されてします事です。


●祈りが叶わないことは無い、叶わないことは「叶うまで」祈るのです。
何をどのように祈るのかが大切であり、すぐ叶う場合もあれば、叶わない場合もあります。
祈れば何とかなると安易な気持ちで祈っても叶うはずがありません。
仏法は道理であり、現実のうえで努力しないで願いが叶うものではありません。
真剣な祈りとともに、だれよりも工夫し、努力してする姿勢があってこそはじめて、厳しい状況を切り開く生命力と仏の智慧がわき、願いが叶っていくのです。

おすがり信心や他力本願では叶いません。
一家和楽の信心(家族全員学会員)でないと幸せになれません。

自分で勉強もせず間違った価値観が根底に植えついている中で、何で正しい進行が解るのでしょうか?
表面上活動していて、自ら何も考えず周りに流され、それを他人の責任に転嫁する。
このようなことで本当にに活動していたといえるのでしょうか、折伏するため様々な人の価値観を寛容に受け入れられることができるでしょうか?
私は正直とてもそうは思えません。

そして自分の行動を客観視し、その行動が果たして自分にとって「有益なのか」をしっかりと判断できるとも私には思えません。

自ら思考がストップさせておいて、闇の中に居たとしても、すべて自分の責任ではありませんか。
活動家の時に「なんで?どうして?」と考えることが無いほど、お気楽な信心をしてたのでしょうか?

非難するのであればもっともっと勉強してからね。
そうでなければ、学会に一切かかわらないことです。

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こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

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