創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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皆さんこんにちは!

自宅のカレンダーを眺めていて、もう11月も終わるのかあ・・・と、
時が経つのがすごく早く感じました。
つい先日物件を探しに歩き回っていたのに・・・という感じです。

今日は先日彼と話していたことについて少し書きたいと思います。

電車の中で新・人間革命17巻の広告を発見。
そこに書いてあったキャッチフレーズ。

『自分が変われば世界は変わる』(だったと思います・・・・)

これを見てちょっと話しました。

  ******************* 

キヨ「自分が変われば世界は変わるなんて有りえないよ。
   だって、私が変わっても世界なんて革命できないもん。」
(我ながら幼稚な意見だ・・・)

彼「いや、自分が変われば世界は変わる。」

キヨ「え?なんで?」

彼「世界中を青くしたければ、全てのものに青ペンキを塗るなんて
  時間や手間のかかることをするのではなくて、
  自分が青いサングラスをかければいい。
  幸せになりたければ、自分の脳をいじって
  幸せと感じる感覚に強制的にすればいい。
  世界を変えようなんてするのではなくて、自分が変わればいいんだよ。」

  ******************* 

自分が革命家になって世界を変えようなんて思うよりも、
自分の見方が変われば世界は変わる。
なるほど。それなら確かに「自分が変われば世界は変わる」ことになりますね。

バカの壁に書いてあったことを思い出しました。
『例えば君が病気になったとして余命何ヶ月と宣告されたとしよう。
 そしたらあそこに見える桜の木が違って見えるはずだ。
 では、桜が変わったのか?それは、自分が変わったにすぎない。』

自分が変われば世界は変わる。
果たして電車の広告では、どのような意味で使われていたのでしょうか。

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コメント

ありゃ~(*_*)HNが抜けてましたね、ごめんなさい!失礼しました。m(__)m

>ミントさん

>>聖教新聞がHPから読めると聞いてちょっと読んでみました。
>>ありゃあなんでしょうね、正直な感想としては、戦時中の新聞のようですね。
>>鼓舞して鼓舞して煽って煽って、という感じですね。

そうなんですよ(^_^;)
以前私の家に友達がきて新聞を見て一言

「北朝鮮??」

でした(@_@)

確かに・・・ですよね(^_^;)

>小川さん

(ハンドルネーム欄にお名前が無かったのですが
 小川さんですよね?)

>>キヨさん、学会が“違う”のは破門前と後で比べるとよりわかります。
>>ここ数年ではあまり変わらないと思うので、できれば破門前と
>>昭和30年代頃の池田氏の言動等を今と比べるといいと思います。

情報ありがとうございます^^
学会員の間では、破門前後の出来事はあまり知識としてないのでしょう。
「昔のことだから」と言って見ぬフリをしているのでしょうか・・・
しかし、2世3世の人はこの歴史さえも知らないのでしょうね。
学会の書物には書かれていませんから(^_^;)
私もちょっと調べてみたいと思います。

こんばんわー。

>キヨさん
聖教新聞がHPから読めると聞いてちょっと読んでみました。
ありゃあなんでしょうね、正直な感想としては、戦時中の新聞のようですね。
鼓舞して鼓舞して煽って煽って、という感じですね。
前にも彼に新聞を少し持ってきてもらって読んだのですが同じような内容でした^^;
彼いわく、テレビ欄くらいしか見るとこないそうですが@(ほんとかなー)

> さん
ブログ読んでいただいてありがとうございます。

>>ミントさんの彼がとても優しいのが伝わってきて是非頑張って学会と関係のない幸福な家庭を築いてほしいと思いました

ありがとうございます。
ただしあわせになりたい、それだけでがんばろうと思います。
ちからをいただきました。感謝です。

ミントさん、先程ミントさんのブログ全文見ました。大変でしたね。ミントさんの彼の優しさが伝わってきて是非頑張って学会と縁のない幸福な家庭を築いてほしいと思いました。
キヨさん、学会が“違う”のは破門前と後で比べるとよりわかります。ここ数年ではあまり変わらないと思うので、できれば破門前と昭和30年代頃の池田氏の言動等を今と比べるといいと思います。古くても学会の書物は捨てない人が多いですから二世、三世の家ならあるかもしれません。私の母も後生大事に持ってましたしf^_^;なんだかタイトルと違う話しばかりになってしまってごめんなさい。m(__

>ミントさん

学会発行の書物は、学会賛美のみなので読んでいて
「またこのセリフ・・・」と思うことが多々あります(^_^;)
池田氏の同じような指導のために何千円もする本を買い
(しかも新品で買わないと怒られます)新聞を購読し財務をする・・・
これでは貧乏になるために信仰しているようなものです。
それを自己満足でしているのならば良いのですが、
「1口(1万円)は財務できるわよね?」と真剣な眼差しで訴えかけてくる
女子部には正直参ります・・・私には結構大きな金額ですし(=_=;)

それに聖教新聞でしたら学会の公式HPから無料で一面が読めますよ^^
大体の雰囲気を掴めるかと思います。

>小川さん

>>本の『人間革命』ですがあそこに書かれている事は、学会では当然本当の事として
>>書かれています。その書かれている事と今やっている事の違いがわかれば
>>いいのではないでしょうか。

私は全巻を読んでいないので細かくはわからないのですが、
確かに「書かれている事と今やっている事の違い」は発見できそうに思います。

>>『人間革命』だけではなく『大白蓮華』でも突っ込み所満載です。
>>学会の書物で歴史を勉強するのではなく、書物から嘘を発見する事ができるのです。

私はもう新聞は購読していないのですが、
先日部屋を整理していて大百が出てきまして、パラパラと読んでいたら
私が活動家の時と全然変わらない内容でした(^_^;)
内容が濃くなっているわけでもなく、同じことの繰り返しのように感じます。
突っ込みどころが満載なのは私も同意です^^

こんにちわ

>小川さん
早速のお返事ありがとうございます。
池田氏ですか・・・彼は池田氏はどうも尊敬してないみたいなんですよ。
なので、彼の本も読んでいないとのこと。
2人で話しても池田氏の話が全くでてこないので・・・
歴史を調べるですか。それはいいですね。
簡単な歴史くらいしか私も知らないので、
彼と一緒に勉強してみるといいかもしれないですね。
>>学会の書物で歴史を勉強するのではなく、書物から嘘を発見することができる
その目線で書物を読むと新しく得るものがありそうですね。是非やってみたいと思います。

>キヨさん
お言葉に甘えて^^ありがとうございます。

>>人間革命は自伝なので本当の歴史がかかれているとは思わない方がいい
わかりました!
歴史としてではなく、自伝として読んでみようと思います。

やはり事情がわかっている方のお話はためになります。
自分のためにも、彼のためにも、一緒に勉強していきたいと思います。
積極的賛成を今までしていなかった彼はきっと、消極的賛成でいたのでしょうね。
それなので学会のことをあまり深く知っていないというような気がします。

まさしく自分が変われば世界は変わる、ですね。
少しずつほんの少しずつですが、自分の考えが見えてきて、彼もどうも落ち着いてきたようです。
ゆっくりゆっくり、皆様の助けを借りながらがんばらせていただきます^^

キヨさん、早速のお返事ありがとうございますm(__)m
本の『人間革命』ですがあそこに書かれている事は、学会では当然本当の事として書かれています。その書かれている事と今やっている事の違いがわかればいいのではないでしょうか。私が読んだ『人間革命』は母の物でしたのでかなり古いものです。昔の『人間革命』と今の『人間革命』、書かれている事が違えばそれはそれで学会の嘘がわかります。『人間革命』だけではなく『大白蓮華』でも突っ込み所満載です。学会の書物で歴史を勉強するのではなく、書物から嘘を発見する事ができるのです。

>小川さん

はじめまして!お越しいただき嬉です(^^)
小川さんは脱会した2世なのですね。
ありがたいなんて言って頂いてとても恐縮です(>_<)
こちらこそよろしくお願いしますね。

>>私が学会に不信をもったのは池田氏の言うことが前と今では180度違うし
>>やっている事も違うという所です。そこのところを突いてみても学会から
>>は答えは出ません。学会がいくら素晴らしいと言ってはみても学会員達
>>の素行を見れば百聞は一見に如かずで信仰者としての姿ではありません。
>>《続きです》学会に不信を抱くネタは沢山ありますが創価学会の歴史を
>>知る事もありだと思います。

学会の歴史をちゃんと調べてみることは、
学会員にとっても大切なことですよね。
人間革命は自伝なので(代筆ですが(^_^;))
本当の歴史が書かれているとは思わないほうがいいですね。
私も時間が有ればもっと調べてみたいと思っています。

《続きです》学会に不信を抱くネタは沢山ありますが創価学会の歴史を知る事もありだと思います。

キヨさん、はじめまして。私も脱会した二世です。キヨさんのブログはおおぜいの悩める人達の力になっていると思いますしメディアも取り上げない今、キヨさんのブログは本当にありがたい事です。これからもよろしくお願いします。
ミントさん、私が学会に不信をもったのは池田氏の言うことが前と今では180度違うしやっている事も違うという所です。そこのところを突いてみても学会からは答えは出ません。学会がいくら素晴らしいと言ってはみても学会員達の素行を見れば百聞は一見に如かずで信仰者としての姿ではありません。

>ミントさん

こんにちは!

全然私のブログ使っちゃっていいですよ^^
こういう交流の場を作るためにこのブログは
存在していますしね。

皆様

是非ミントさんのブログの記事へコメントして
ください。URLはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/heartsks

コメント欄ですので人が流れるか不安ですが・・・
載せておきます。


キヨさんこんばんわ、ミントです。
ブログ紹介までしてもらってしまってすみません。ありがとうございます。

>>なんだかとても恐ろしい。この「なんだか」が非情に厄介なのですよね

本当にそう思います。
なんだかという概念がはっきりしないので、
どうにもこうにも・・・っていう感じですね。

>>学会問題は決して解決できない問題ではない

キヨさんのような立場の方に、そう断言していただけると心強い限りです。
やっぱり浮き沈みでもう無理だーとなってしまうときもあるので。


ところで、ここにきている2・3世の学会員さんに教えてもらいたいのですが、
どのような時に不信感を抱きましたでしょうか?
彼が100%学会を振り切れないのは、決定的に自分の中で不信感が爆発してないからだそうなのですが・・・
(私との結婚話でもめたことでは不信感は足りないのだろうか・・・)
なにかこうゆうことがおかしいと思ったきっかけだったなどあれば教えていただければと思います。

キヨさんココ借りてしまってごめんなさい!
一応自分の方にもスレ立てしておきます。

>ミントさん

こんにちは!コメントありがとうございます^^

>>もうなにかを怖がったり、なにかに縛られたりするのはいやだ。
>>自分ですべての善し悪しを判断できるようになりたい。
>>でも、彼の奥底での怖さや、学会への気持ちは100%は
>>やはりわかってあげられません。

ミントさんが彼氏様に対して、「わかってあげたい」と思っている時点で
その気持ちは相手を思いやっている証拠だと思います。
特殊な世界観に住んでいる学会員なので、
理解できない部分はもちろんたくさんあると思います。
でも、それを「理解できない」と伝えることもとても大事ですよね。
そこから学会を見つめなおすきっかけになると思います。

自分の立場を正当化するような言い方は嫌いなのですが・・・
生まれたときから学会員だと、「なんだか怖い」「不幸になる」という
意識があり、なかなか言葉ではうまく表せないのですが
それは学会を疑ったときに全面に出てきます。
なんだかとても恐ろしい、この「なんだか」が非常に厄介ですよね。

彼氏様の近くにミントさんがいることで、彼の不安が和らいでいると思います。
そして彼氏様も今は様々な葛藤の中で生活していると思います。
でもそれはきっと、ミントさんが思い描いている以上に大きいもの・・・
強制的に学会に染められて教育され続けた結果、
こういう問題に発展してくる、これはとても大きな創価学会問題ですよね。
ミントさんもきっと精神的にも疲れ、付いていけない部分もあるかと思いますが、
学会問題は決して解決できない問題ではない、ということを思ってくだされば幸いです。

>>簡単なことですが、失恋をすると世界が暗く敵のように思えるし、
>>恋の始まりは世界が輝くように思えます。
>>世界が自分に合わせて都合よく変わるわけではなく、
>>自分のこころや見方次第で世界は変わる、私はそんな風に思います。

そうですね、自分の心次第で世界は変わる、私もそう思います。

皆様へ

ミントさんのブログは、とても学会問題で悩んでいる方に読んでほしいブログです。
このコメントを読んで下さっている読者の方おりましたら、
このブログにリンクしてありますので是非お読みになってください。
きっと共感できる部分が多々あると思います。

リンクさせていただいてるのにコメント初めてのミントです。
改めまして、はじめまして。

私の彼も創価学会3世です。
ここ何年か、結婚にあたって色々考えて話した結果、彼が精神的脱会(いずれは退転)をしたいという意思を持っていて、日々格闘しています。
(いわゆるキヨさんのところの男女逆ですね^^;)
もうなにかを怖がったり、なにかに縛られたりするのはいやだ。自分ですべての善し悪しを判断できるようになりたい。
でも、彼の奥底での怖さや、学会への気持ちは100%はやはりわかってあげられません。
うまく言葉にできないこともたくさんあると思います。
キヨさんのブログを読ませていただくと、彼の頭の中でも、こんな風に葛藤があるのだなあとすごく支えになっています。

キヨさんの言葉、ほんとによく自分を見つめて書いていらっしゃるなーと日々感嘆してみています。

>自分が変われば世界が変わる。
簡単なことですが、失恋をすると世界が暗く敵のように思えるし、恋の始まりは世界が輝くように思えます。
世界が自分に合わせて都合よく変わるわけではなく、自分のこころや見方次第で世界は変わる、私はそんな風に思います。

>ちぃちぃさん
はじめまして。ミントと申します。
僭越ながら、私もつたない文章でブログをやらせていただいてます。
文字にしてみる、ということは、自分の心や気持ちを推敲するということにはとてもいい手段だと感じました。
ちぃちぃさんのコメントを見て、なんだかこうゆうふうに考えている方もみえるんだな、とすごくほっとするような文を書いてらしたので思わずコメントしてしまいました。

これからはどんどんコメントも入れさせていただきたいと思います。
長々となりましたが、よろしくお願いします^^

>aiさん

>>信仰があってもなくても、ひとの生き方には
>>何の違いもないと思えるようになりました。
>>身に起きたさまざまなことを宿命だとか業だとか思わず、
>>淡々と出来る限りベストを尽くしながら生きることが、
>>人間らしいとさえ思っています。

人間は他の生物と違って生きる意味を追いつづける生物だと思います。
その中で、信仰というなんらかの不思議な力、または生きることに
意味付けしてくれる信仰が生まれるのは自然なことだと思います。
しかし、aiさんのおっしゃる通り信仰が無くても人間らしい生活はできますよね。
闇雲に宿命や業などを取り出して考えるのは悲しいです。
自分の力、ベストを尽くして生きる人生は、信仰があるないに関わらず
素晴らしいと思います。ただ、信仰に溺れて世間が見えなくなってしまう
ことが多々あるように、節度をわきまえなければ上手に活用できないでしょう。
いきなり何十年も前の学校の友人から電話がかかってきて
選挙を頼まれても、正直良い気分にはならないですしね。

>>創価学会でなきゃ幸せになれないなんて、
>>信じられません。

私も信じられません。
○○でなきゃ幸せになれないなんて、非常にナンセンスです。
現に幸せ一杯で生きている人は沢山いますしね(^^)

『人生って本当にいろんなことがあるけれど、
結局一つずつ努力して解決していくしかないのだなって。』

その通りですね(^^)
同感です。

応援して頂いてとても嬉しいです。ありがとうございます。
私は私らしく、しっかりと自分の人生を歩んでいきたいと思っています。

>たまさん

信仰心を保持することはとても大変だと思います。
しかし、それを保持できなかった人にも様々な事情があります。
それを決して否定しないでほしいと私は思っています。

たまさんの人生の中にも様々な出来事があるとと思います。
私はたまさんがそれを信仰心で乗り越えられ、
充実した日々を遅れるのならば素晴らしいことだと思います。
しかしそれを強要したりはしてほしくないのです。
信仰は、自分で選べる自由なものなのです。

>ちぃちぃさん

チョココさんのブログ読まれたのですね(^^)
私もとても参考になりました。
旦那様の気持ちが痛いほどわかって、なんだか不思議な気分でした。

>>キヨさんのことを応援している、そっくりな立場の元女子部がいることを
>>お知らせしたくてコメントしました。

このお言葉、とても励みになります。
ありがとうございます(^^)

>>バリの人は、学会が批判されてると感じてカァっとなって、じっくり読まず、
>>推敲もせずコメントをアップしているのではないかなぁ。。。
>>きちんと読めば本当に言いたいことはそこではないと分かるはずなのですが。
>>元バリの私の想像ですが、現役バリさんは、アンチブログを直視できなくて
>>熟読できてないのではないでしょうか。

私もそう思います。
自分の価値観をなんだか否定されている気分になり、
あまり深く考えずにコメントしてくる方が多いのでしょう。
熟読すればするほど自分に魔が入ってくると思ってしまってるのかもしれません。
そうすると、そこで思考がストップしてしまい、深く考えることが
できなくなってしまうのでしょうね。

>>ブログ運営は気力体力時間を費やすと思います。
>>「今の暮らしとキヨさんのお体」を大事にすることを第一としてくださいね。
>>応援してます。

はい、ありがとうございます(^^)
決して無理せず、自分のペースで更新していこうと思います。
最近はだんだんと書くことも少なくなってきましたので
更新もまばらですが(^_^;)是非またいらしてくださいね(^^)

みなさまこんばんは。

こちらに来られるバリさんのご意見を見て、
そんなに創価学会に依存しなくても、人は生きられますよと言いたくなってしまいます。

私は信心を辞めています(退転)が、
やめる前となにも変わっていませんし、
不幸な状態にはなっていません。
現実の毎日を淡々と生きています。(笑

結婚して二十数年、
私にも、創価学会員であったときも、
辞めた後もいろんなことはありました。
解決できたことも出来なかったこともありましたが、みんな仲良く生きています。

そしてつくづく、思っています。
人生って本当にいろんなことがあるけれど、
結局一つずつ努力して解決していくしかないのだなって。

今日は私の10年らいの友人たちのことを書いてみます。
わたしの友人たちは、創価学会員ではありません。
ひとりの人は最初の子どもを生後数日で亡くしてます。
そして10年後、ご主人をも事故でなくしています。
だけど、毎月命日にはお寺さんに来てもらい、供養しながら感謝を忘れず遺産で、子どもたちとまっすぐに生きています。

もう一人の人は、2年前癌の手術を受けています。今、抗がん剤を飲んでいますけど、明るく
前向きです。この人とは何回か会ううちに、
「友達になっても宗教の勧誘とシャ○レとかの物品販売なしね、
わたしいやな思い出あるから、ぶしつけなこと言ってるけど、ゴメンネ」と言われて友達になった間柄です。ものすごいイイ人。

最後に一番親しい子は、5年前ご主人が癌で余命一年と宣告されながら、奇跡的に回復され、現在お元気になられています。
彼女は家計を助けるために始めたパートが楽しくて、今キャリアウーマンみたく頑張っています。

私は彼女たちの生き方に刺激され、
感動さえ覚えています。

信仰があってもなくても、ひとの生き方には
何の違いもないと思えるようになりました。
身に起きたさまざまなことを宿命だとか業だとか思わず、
淡々と出来る限りベストを尽くしながら生きることが、人間らしいとさえ思っています。
宿命転換をするため?の学会活動は
ともすれば人間性を疑われることがあります。
友人たちも職場やご近所の学会員さんからの選挙や新聞購読のお願いには、
顔をしかめています。

創価学会でなきゃ幸せになれないなんて、
信じられません。

☆どの記事もコメントも読ませていただいて、
キヨさんの考え方はしっかりしていて、
とても素敵なお嬢さんだと思われます。
キヨさん、
自分の思われるとおりに進んでいってくださいね。応援しています。






実は私も約10年間内部アンチでした。
学会2世3世なら必ずぶち当たる壁を乗り越えずにいました。
学会から逃げようと、様々な手を尽くしました。
でも真剣に向き合ってくる同志からは逃げれなかった。

社会の大きな大きな壁にぶつかったとき、同志の一言が胸に刺さった。
その時はじめて腹が決まった。
時間はかかったけど、空白の10年間決して無駄ではなかった。
覚えておいてほしい、多くのバリバリの活動家は皆初めは信じてなかったことを、何度も何度も疑いの心を持っていたことを。

丁寧なお返事をいただき、とても嬉しいです。
チョココさんとこも、実は読了しました。
チョココさんのブログもスタンスも、すごく共感しました。
お二人のようにブログできたらいいですが、
私には難しそうです・・・
キヨさんのことを応援している、そっくりな立場の元女子部がいることをお知らせしたくてコメントしました。
キヨさんが何度も(3度も!)推敲して丁寧にコメントをアップしていること、読んで伝わってましたよ。
バリの人は、学会が批判されてると感じてカァっとなって、じっくり読まず、推敲もせずコメントをアップしているのではないかなぁ。。。きちんと読めば本当に言いたいことはそこではないと分かるはずなのですが。
元バリの私の想像ですが、現役バリさんは、アンチブログを直視できなくて熟読できてないのではないでしょうか。
誤字脱字が多い、質問に答えてない、記事を読まずに自分の言いたいことだけ書きなぐっているように思える文である、などから、そんな想像をしました。
ブログ運営は気力体力時間を費やすと思います。「今の暮らしとキヨさんのお体」を大事にすることを第一としてくださいね。応援してます。


>ちぃちぃさん

初めましてこんにちは(^^)
記事とコメントを全部読んでくださったんですね!
ありがとうございます、嬉しいです。
私のコメントは長くて読みにくかったでしょう(^_^;)

>>私もこの間まで女子部の活動家でした。キヨさんと同じような過程で
>>今はすっかり精神的脱会状態です。そして、価値観も、
>>キヨさんととっても近いので、とっても共感して読んでます。
>>読めば読むほど、精神的脱会にいたる過程も価値観も、
>>「これは私?」とあまりにも似てるのでびっくり。

とても似ているのですね(^^)
このブログにリンクしてあります『創価の彼、無宗教の私』
というブログの管理人さんのチョココさんにも同じことを
言われた事があります。彼女は私と正反対の立場(彼女は元々無宗教)
だったのに、とてもお互いのブログに共感できしたので、
ちぃちぃさんにもお時間あれば是非読んでほしいブログです。

>>キヨさんと私が違うのは、キヨさんがすごく聡明で、懐が深いところです。
>>コメント欄でも、決め付けや失礼としか思えないものにも、
>>丁寧で論理的で相手を尊重したレスをつけておられる。
>>まねできません!

全然懐広くないですよ(>_<;)
むしろ狭いから自分が納得できないコメントに突っ込みをいれてしまう
のだと思います・・・学会員の方は(過去の私も含めて)矛盾点が多すぎて、
「この信仰をすれば幸せになれる!」の一点張りですので、
どうしても理解できないんですよね。

>>私も、活動家学会員からどうやって学会をやめたかとかのブログと
>>かやりたいとも思ったこともあるのですが(学会を辞めたいと思っても
>>やめられない人の参考に・・・)、どんなコメントにも、時間を使い推敲し、
>>相手のことを思って丁寧に返事するだけのキヨさんみたいな能力も
>>思いやりも足りないので・・
>>キヨさん、大変と思いますが応援してます。

応援ありがとうございます(^^)
ちぃちぃさんもブログを書こうと思ったことあるんですね。
余裕があれば是非書いてほしいと思います。
どんなブログでも、体験談はとても参考になります。
私も様々なブログを参考にさせていただいていて、
正直色々な方に支えられています。
それに、ちぃちぃさんに思いやりがないだなんて、私は全然思いませんよ(^^)

感情むきだしの文章を書いてしまう時はもちろんあると思います。
でも、書いた後に3回ぐらい読み返してみると(私は3回しているのですが)
「ああ~・・・この単語は変だな」とか客観的に読んでどうかが
わかるようになってきたんです。
それでも、ライターさんみたいな能力も全然ないので
「なんじゃこりゃ!?」ってことはアップしてから発見することが
結構あるんですけどね(*_*)日々修行です(>_<;)

>>かつてのバリの時の私は、こういったブログや掲示板を見つけると
>>悲しくなってました。学会を悪く言って、人を惑わして・・・かわいそうに!
>>この書いてる人、不幸になっちゃう!みたいに。で、当時の私がもし、
>>こういったブログにコメントをつけてたら、ここに登場されてる
>>バリの方と同じようなことを言っただろうなと思います。

すごくわかります~(>_<;)
そうなんですよね~・・・私は活動家の時アンチブログを見ただけで
『なんだか悪いことをしている』気がしていました・・・
見ただけでどうこうなるなんて有り得ないんですけどね(^_^;)
そして、ブログにコメントしていたら間違いなくそのアンチの方を、
まるで自分が相手を何らかの魔から助け出す救世主のような気持ちで
書き込んでいるのでしょう。本気で「相手のため」と思っていますからね。
(本気で思っているところがかなり問題なのですが・・・)

>>ブログ主さんは、決して学会を全否定なんてしていないのに、
>>お互いの価値観を認められたらと思っているだけなのに、
>>バリの目から見たら批判的とか全否定に見えてしまうのでしょうか

私が活動家の頃そう思っていましたし、私のブログにコメントしてくださる
学会員さんを見ると、恐らく否定されているように読めてしまうのでしょうね。
確かにこのブログは創価学会の問題を取り上げていますので、
学会賛美の部分は出てきません(賛美できないので書かないだけですが)。
となるとやはり「否定されている」と受け取ってしまうのでしょう。
もちろん、常識としていかがなものか、と思うことに対しては
私も反論しますが、その反論が批判と受け取られるのでしょうね。
今考えると、「何でそんなにヒステリックになっていたのだろう・・・」と
不思議なくらいです(^_^;)

全ブログと全コメントを一気に読ませて頂きました。
私もこの間まで女子部の活動家でした。キヨさんと同じような過程で今はすっかり精神的脱会状態です。そして、価値観も、キヨさんととっても近いので、とっても共感して読んでます。
読めば読むほど、精神的脱会にいたる過程も価値観も、「これは私?」とあまりにも似てるのでびっくり。
キヨさんと私が違うのは、キヨさんがすごく聡明で、懐が深いところです。
コメント欄でも、決め付けや失礼としか思えないものにも、丁寧で論理的で相手を尊重したレスをつけておられる。まねできません!
私も、活動家学会員からどうやって学会をやめたかとかのブログとかやりたいとも思ったこともあるのですが(学会を辞めたいと思ってもやめられない人の参考に・・・)、どんなコメントにも、時間を使い推敲し、相手のことを思って丁寧に返事するだけのキヨさんみたいな能力も思いやりも足りないので・・
キヨさん、大変と思いますが応援してます。
かつてのバリの時の私は、こういったブログや掲示板を見つけると悲しくなってました。学会を悪く言って、人を惑わして・・・かわいそうに!この書いてる人、不幸になっちゃう!みたいに。で、当時の私がもし、こういったブログにコメントをつけてたら、ここに登場されてるバリの方と同じようなことを言っただろうなと思います。
ブログ主さんは、決して学会を全否定なんてしていないのに、お互いの価値観を認められたらと思っているだけなのに、バリの目から見たら批判的とか全否定に見えてしまうのでしょうか(私はバリの時そう見えました。学会否定に見えて吐き気がするくらい。今の目で見れば、どちらが誠心誠意の言葉なのか、どちらが思い込みでつっぱしっているのかがわかるのですが、当時は冷静に読めなかった。)

>いちごさん

こんにちは!

>>もう創価学会に属さない。活動しないのであれば
>>こんな今のキヨさんにとって意味があるのでしょうか?

心の整理、という感じではいけませんか?
このまま私自身が創価学会と縁が遠のいたとしても、
私の家族が創価学会員である以上、
私は学会と縁を持ち生きていかなくてはいけません。
(創価学会を私の中から完璧に消去することは不可能だと思っています。)

私自身が今辛くなかったとしても、このような体験をした
というブログがあってもいいのではないかな、と思っています。
現に私が悩んでいた頃、私のような学会員だった人の視点で
書かれたブログがあればと思っていました。
でも実際ネットにあるブログは、非学会員の方が書いている
ブログが多かったのす。誰も読まなくても、私が読み返し、
創価学会の問題をないがしろにしないことで意味が生まれます。
それに、ブログは自己満足の世界でいいと思いますよ。

>>創価学会に対して文句があるのであれば
>>直接本部に講義にいくのが筋じゃありませんか?
>>筋が通っていない事が嫌いな私は本部に質問しに行きましたよ。
>>幹部にも文句言いましたよ。

学会本部に直接文句を言う、これが筋なのですか?
学会本部へ抗議して、創価学会問題で苦しむ人が全ていなくなると
本気で思っているのでしょうか?もちろん中には解決することもあると思いますよ。
しかし、創価学会の恋人を持ったとして、それに苦しんでいる時に
本部に何を言って、一体何が解決するのでしょうか?
また、反対の立場でもそうです。直接の解決法を、本部が提供してくれるとは
正直思えません。

>>私は疑問に思っていることをためておけない性格なのでブログだけで
>>気持ちをはきだして自己満足はできません。

そうですか、私といちごさんの性格が違うだけで、何も問題ないと思いますよ。

>>こうやっていろんな人からコメントがくることに対して嬉しいのでしょうか?

正直、嬉しい反面複雑な心境です。
コメントなんて全く無く、誰も創価学会問題なんて抱えていない状況になれば
それが一番嬉しいのですが、コメントを見るたびに「同じ悩みだなあ~・・・」
と学会問題の深刻さを身にしみています。

>>そうであるならば、私は来ません。

もちろん、読みたくないブログを読む時間があったら
他のことをした方が有意義ですので、それはいちごさんが決めれば良いといますよ。

>>いつまでそうやって自分の殻に閉じこもるのですか?
>>嫌なら嫌とか、人間にぶつけて下さい。

親や女子部や友達(学会員)にも色々聞いたり意見が対立したりしました。
意見をぶつけた上で、このようなブログを書いています。
このようなブログを立ち上げる人は、誰かしらと学会問題で
対立した経験がある方がほとんどだと思います。
嫌だとぶつけても解決しない、どうしようもない、と思って
ブログを書いている人はとても多いと思いますよ。
私はこのようなことが変なことだとも、悪いことだとも思いません。
ネットという不特定多数の人間が見る場所です。
このような場所で意見交換するのは、とても価値のあることだと思っています。

コメントの返事ありがとうございます。今が幸せならなによりです。幸せいっぱいのブログではなく、もう創価学会に属さない。活動しないのであればこんな今のキヨさんにとって意味があるのでしょうか?創価学会に対して文句があるのであれば直接本部に講義にいくのが筋じゃありませんか?筋が通っていない事が嫌いな私は本部に質問しに行きましたよ。幹部にも文句言いましたよ。今が幸せならば、憎しみ、気持ち悪いみたいな感情はやめたほうが良くないと思いませんか?辞めるのであれば関心もなくなり本当にほっとくと思いますが・・・。私は疑問に思っていることをためておけない性格なのでブログだけで気持ちをはきだして自己満足はできません。こうやっていろんな人からコメントがくることに対して嬉しいのでしょうか?そうであるならば、私は来ません。いつまでそうやって自分の殻に閉じこもるのですか?嫌なら嫌とか、人間にぶつけて下さい。

たまさん

いつまで同じことを繰り返すのでしょうか?
肝心の部分は「この仏法は正しい」といったことを言うだけで説明ができず、キヨさんと何度かやり取りして反論に窮すると出てこなくなり、違う記事になるとまた出てきて同じような「学会内部でしか通じないことを世間一般でも通じるかのように語る」ということをしてますね。

キヨさんは律義にレスをしてますが、非学会員・非活動学会員の多くの読み手は「たまさんはのコメントには説得力がない」と思っているでしょう・・・そして学会のことを少しでも知っている人は「活動家学会員の典型的なひとりよがりだ」と判断してるんぢゃあないだろうか。

ところで、以下の点について伺います。

>そうか仏法対話が何なのか気づいていると思ってました。
>その方が幸せになるまで面倒を見ていくのです。これが折伏なのです。
>決して1人ではありません地域の方全員で面倒を見るのです。これが家庭訪問なのです。

学会員に「相談に乗ってほしい」と言って来た人の面倒をみるというのなら、わからないでもない。
しかし「折伏」と書いているということは、友人関係などを通じて「相談してもいない人に『あなたの面倒をみます』という意味で話をする」ということですね。

簡単に「面倒をみる」と仰いますが、一体全体「人格」とか「自立」とか「尊厳」といったことをどうお考えですか?
友人などを「一個の自立した人格を持った人間」と認識していれば、安易にその人の人生に関わることを「面倒みる」などという、およそ「一個の人間として見ない」「人の尊厳を軽視した」ようなことは軽々には言えないはずです。

本当に心から打解けて話ができる間柄なら「余計なお世話かもしれないが」「あなたの為と思って言うが」というのはあるでしょうが、創価学会員の折伏というのは「会社の同僚」「学生時代の友人」といった「およそ親友レベルなんかぢゃない」ことがほとんどですね。

私は、こういうのを傲岸不遜だと言うのです。
「絶対正しい教え」を錦の御旗として掲げたら、他人の価値観、人格、尊厳を否定して「面倒みる」などと言えるというのでしょうか?・・・こういうのは選民意識にまみれた態度です。

以前にも書きましたが、たまさんは「教えられたことを自分で考えて咀嚼していないのではないか」と思います。
「仏法対話は私には必要ではない」「他人に人生についてとやかく言われる筋合いはない」と言う人の価値観を否定することが平然とできてしまう、そのことの恐ろしさに想像力を働かしてほしいと思います。
「創価の教えは絶対正しい」というのを「仮に」ということで一時的にどこかに置いておいて、多様な価値観ということを考えることはできませんか?
そうでないと同じことの繰り返しで、またもやキヨさんからの真っ当な反論に「学会でしか通用しないこと」を言うだけになると思うなあ。

>たまさん

>>そんなPR的なことをしても意味がないですよね。
>>平和活動にもならないと思います。

では創価学会はPR的な活動ではなく、
より生活に密着した実践的な平和活動をしているのですか?
(例えば飢え苦しんでいる方に金銭的援助をしたり)

>>そうか仏法対話が何なのか気づいていると思ってました。
>>その方が幸せになるまで面倒を見ていくのです。これが折伏なのです。
>>決して1人ではありません地域の方全員で面倒を見るのです。
>>これが家庭訪問なのです。

以前にも違う学会員の方に同じようなことを言われて話し合ったのですが、
「面倒を見る」ということは宗教において必要なのか?ということです。
幸せになれるまで、とおっしゃっていますが、幸せになれるまでの
基準は人それぞれで、その人が幸せになっていないと言いつづけたら
ずっと面倒を見なくてはいけないのですか?
自分が幸せになるための宗教だと思うのですが。

家庭訪問されるのを嫌がっている部員さんもいます。
嫌がっても「相手の為に」という態度はいかがなものかと思います。
嫌なことをされ続けたら、とても幸せになれると思いません。
誰もがその仏法対話を必要としている、と考えないほうがいいと私は思います。

尚、3連休はほとんどコメントができないと思いますので、
予めご了承ください(>_<)

>仏法対話といっても様々だと思います。
~中略~
人それぞれ持っている文化・宗教が違うのですからね。

はい、その通り対話と言っても様々です。
その方の機根に合わせて対話しなくてはなりません。
その前に、しなくてはならないこと、それは友達になることです。
まず、自分を信頼してくれている大切な友に語るのです。
世界中のSGIのメンバーも同じで大変な苦労重ねて友好を深めて対話の輪を広げて居られます。
友情には宗教や文化の垣根がないのです。

>それに、単に「世界が平和になるようそれぞれ気をつけましょう」的な、
~中略~
仏法を受け入れられない国も沢山あると思いますし。

うむ・・・
そんなPR的なことをしても意味がないですよね。
平和活動にもならないと思います。

『自分の身近な大切な人に仏法対話をする、その方が自分を変えて幸せになる。』
とおっしゃっていますが、その方が幸せになれるかどうかもわかりません。
~中略~
それらを明確にしてから始めて、果たしてそれが世界平和に役立つのかが話し合えるのだと思います。

そうか仏法対話が何なのか気づいていると思ってました。
その方が幸せになるまで面倒を見ていくのです。これが折伏なのです。
決して1人ではありません地域の方全員で面倒を見るのです。これが家庭訪問なのです。

>たまさん

前半部分はちょっと保留にします。
私自身あまり考えずにコメントしてしまうことは出来る限り避けたいので(^_^;)
中には話していることが根本的に方向性がずれていることもありますからね。

>>世界中の人なんて物理的に無理なので、1人でも良いんです。
>>自分の身近な大切な人に仏法対話をする、その方が自分を変えて幸せになる。
>>その方がまた別の方に語る。
>>その1つ1つの積み重ねが世界中の人々に広がりやがて国家元首までもを動かし
>>世界を平和に導いていくことが広宣流布なのです。

仏法対話といっても様々だと思います。
どのような対話を広げていくかが問題ですね。
ただ単に「この仏法は正しい、なぜなら~」と言っているだけでは
世界中には受け入れられないでしょう。
なぜなら、世界中には様々な文化・宗教があります。
それらの人々の文化を守りつつ、仏法対話をするのはとても難しいと思います。
仏法はインドから生まれた一種の文化です。
文化を世界中に広め、共感してもらうことは不可能だと思います。
人それぞれ持っている文化・宗教が違うのですからね。

それに、単に「世界が平和になるようそれぞれ気をつけましょう」的な、
誰にでも受け入れられる対話を広げても効果は皆無でしょうし・・・
それならば「仏法対話」でなくても「ただの平和活動」でいいんですからね。
そこにお釈迦様がどうこうとか、そのようなことは持ち込まなくてもいいのですから。
仏法を受け入れられない国も沢山あると思いますし。

『自分の身近な大切な人に仏法対話をする、その方が自分を変えて幸せになる。』
とおっしゃっていますが、その方が幸せになれるかどうかもわかりません。
なので、仏法対話とは一体何なのか、どのような内容なのか、
また、世界平和の基準とは一体何なのか、を明確にしないといけないのではないでしょうか。
それらを明確にしてから始めて、果たしてそれが世界平和に役立つのかが
話し合えるのだと思います。

追記の部分はキヨさんの素直な気持ちが表れており
凄く好感が持てました。

つまりは【=】に置き換えて下さい。

>世界中に仏法対話をして世界に平和がおとずれる・・・
要するに、創価学会の法華経(仏教)を広めることが世界平和に繋がる、
ということですよね?

世界中の人なんて物理的に無理なので、1人でも良いんです。
自分の身近な大切な人に仏法対話をする、その方が自分を変えて幸せになる。
その方がまた別の方に語る。
その1つ1つの積み重ねが世界中の人々に広がりやがて国家元首までもを動かし世界を平和に導いていくことが広宣流布なのです。

>たまさん

>>その後の部分で彼は脳をいじると書いてある、キヨさんも心=脳ととらえている
>>つまり「自分が変われば世界は変わる」主題に置いて根本は心が変わるかどうか
>>なのではないでしょうか?

電車での広告ではそうだと思います。

>>つまり時間や手間のかけ青いペンキを塗る努力は、たとえ時間が経ち消えてしまっても
>>心にしっかりとくさびを打ち込むことが出来き心が根底から変わるでしょうが
>>青いサングラスをかけているそのときだけ青く見えても、
>>外してしまえば元に戻るように、つもり一時は変わったとしても、
>>根底からは変わらないのです。
>>結果的に同じように見えても、その差は歴然としております。

すみません、昨日は彼と話すことができなかったので
あくまで私の意見になります。

あくまでサングラスは比喩だと思います。
サングラスは「手軽に外せる」という条件付ですよね?
ようするに、サングラスをかけるように脳をいじってしまえばいい、
ということではないでしょうか?手間を掛けたからしっかりと
心に焼き付けられる、というのはここでは問題になっていません。
「そんな手間のかかることしなくても簡単に世界を青くできますよ」
ということを言っているのだと思います。
なので、自分が変われば(脳をいじって青く見えるようにしてしまえば)
世界は間違いなくその人にとって青くなるのであり、
それは根底から変わることだと思います。

自分が世界を変えるなんて不可能だ(であろう)、
なら自分の見方が変われば自分にとって世界は変わるのだから
(例え他人にとって世界が変わっていなくてもそれは問題ではない)
結果的には世界が変わったことになる。

ということですね。

追記:
ちょっとまぎらわしいですね私のコメント。
『心が変わるか変わらないかは問題ではない気がします』と私は言っていますが、
「脳=心」と私は思っているので矛盾が生じてしまう気がします。
う~ん・・・このテーマについてはもう少し考えてみます。

>>何故『自分が変われば世界が変わる』のか、自分が変わるつまり「人間革命」です。
>>世界が変わるつまり「広宣流布」なのです。

後半「つまり」と繋げる理由がわかりません。

世界中に仏法対話をして世界に平和がおとずれる・・・
要するに、創価学会の法華経(仏教)を広めることが世界平和に繋がる、
ということですよね?

>考えてみたのですが、彼が出した例において、
>心が変わるか変わらないかは問題ではない気がします。
>たまさんはこの例において、心をどのような位置付けでとらえているのですか?
その後の部分で彼は脳をいじると書いてある、キヨさんも心=脳ととらえている
つまり「自分が変われば世界は変わる」主題に置いて根本は心が変わるかどうかなのではないでしょうか?

つまり時間や手間のかけ青いペンキを塗る努力は、たとえ時間が経ち消えてしまっても心にしっかりとくさびを打ち込むことが出来き心が根底から変わるでしょうが、青いサングラスをかけているそのときだけ青く見えても、外してしまえば元に戻るように、つもり一時は変わったとしても、根底からは変わらないのです。
結果的に同じように見えても、その差は歴然としております。

何故『自分が変われば世界が変わる』のか、自分が変わるつまり「人間革命」です。
世界が変わるつまり「広宣流布」なのです。

>いちごさん

はじめまして!お越しくださりありがとうございます。

>>私は、いわゆる2世です。現在、結婚して1年経ちました。旦那は形だけ入会しました。
>>女子部の時は活動家ではなく、今もたまに活動には参加する感じです。
>>わがままかもしれないけど自分のペースで学会活動しています。

自己紹介ありがとうございます(^^)
私は自分のペースで活動することが大切だな、と思います。
無理に頑張って体調を崩したりするのは本末転倒ですよね。

>>キヨさんはそうとう頑張ったんでしょうね。学会でもいろんな人がいますが、
>>活動している人=熱心な信者とは限りません。影で頑張っている人ほど、
>>熱心だと思います。

私は熱心に活動していた、と自分では思っているのですが、
恐らく周りの女子部と比べると(比べるものではないですが)
あまり熱心なタイプではなかったのかもしれません。
選挙も誰構わず頼んでいたわけではないので(^_^;)
熱心という基準がどのようなものか、私は活動云々ではなく、
真剣にその信仰と向き合っているかだと思います。
活動していなくても、真剣に御本尊と向かい合い、御書を通し
自分の人生を深めていく、これが大切なんじゃないかな、と思っています。

>>真面目に活動に参加していて、もしかして信頼していた人に
>>何か非難されませんでしたか?私は真面目に活動しているのに・・・。
>>て、思いませんでしたか?

そうですね、もちろん思いました。
なので、「信仰ってそうじゃないでしょ」って思うようになったのです。
他にも色々やめる理由はあるのですが、女子部の言葉は深く心に残っています。
もちろん、学会の人が全員そのような人だとは思いません。
が、幹部になればなるほどそれは色濃く出ていますよね。

>>でもそういう時にこそ教学が必要なんじゃないかな。て思います。

そういう時に教学で立ち直れるのなら、また頑張れるのならば、
それは良いことだと思います。
が、私は「創価学会」という組織自体に所属することが
とても嫌になったので、結果やめる、という選択肢をとったにすぎません。
教学が必要な人はそれを持ち人生を過ごしていけばいいのではないでしょうか。

>>御書を中心に御本尊だけを信じていればいろんな事に流されず、
>>本質が見えてきます。キヨさん、少し活動を辞めて、休んで下さい。
>>また、元気になるのを待っています。

私はもう活動することはないでしょう。法華経自体に魅力を感じていないので(^_^;)
宗教、というものに魅力を感じない、と言った方が正しいかもしれません。
それに、私は今とても元気ですよ(^^)幸せ一杯の毎日を過ごしています。
こんなにも平凡で幸せな人生を送れるなんて、私は正直思っていなかったのです。

色付きの文字
はじめまして。流れてここにたどりつきました。私は、いわゆる2世です。現在、結婚して1年経ちました。旦那は形だけ入会しました。女子部の時は活動家ではなく、今もたまに活動には参加する感じです。わがままかもしれないけど自分のペースで学会活動しています。キヨさんはそうとう頑張ったんでしょうね。学会でもいろんな人がいますが、活動している人=熱心な信者とは限りません。影で頑張っている人ほど、熱心だと思います。女子部の時は仕事で月1回の会合に出れるのが精いっぱいだったので、活動家だった私。てキヨさんはさも熱心な信者だったのよ。と伝わってきますが、真面目に活動に参加していて、もしかして信頼していた人に何か非難されませんでしたか?私は真面目に活動しているのに・・・。て、思いませんでしたか?違っていたらごめんなさい。けっこうそういう事で今まで頑張ってきた人が信心やめるケース多いので。役職になれなくて。とか、あの人に嫌な事言われて。とか、活動の中にはたくさんありますよ。でもそういう時にこそ教学が必要なんじゃないかな。て思います。ちなみに私は幹部ていばっている人、大嫌いです。役職のある人ほど信用していません。役職につく。ていう事はそれだけ業が深いんだよ。という話しを役職ある先輩から聞いた事があります。御書を中心に御本尊だけを信じていればいろんな事に流されず、本質が見えてきます。キヨさん、少し活動を辞めて、休んで下さい。また、元気になるのを待っています。

>たまさん(さっきの私のコメントの追記です)

>>色眼鏡で見ても見方は変わるけど心までは変わらないよ。

考えてみたのですが、彼が出した例において、
心が変わるか変わらないかは問題ではない気がします。
たまさんはこの例において、心をどのような位置付けでとらえているのですか?
青いペンキを塗ることも、青いサングラスをかけることも、
結果的にそのかけた人物にとっては青く見えるのだから
何も問題がない気がします。手間の問題ですからね。

自分の脳=心を強制的に「幸せを感じる感覚にする」ことは、
本人にとって心=脳まで変わったことになると思います。

>たまさん

>>人には、必ず信念がありその信念に基づき、日常が展開されております。

そうですね。

>>しかし、残念なことに信念についてあまり自覚がない。

果たしてそれは残念なことでしょうか?
信念とは固く信じて疑わない心、行動の基礎となる態度を言います。
たまさんが残念だとおっしゃっているのは、信仰を持っていない人が、
信仰によって生み出される信念を信仰者と比べて持っていないことを
「残念」だと言っているのですか?

>>自分を支えている信念を自覚するのは、それが崩れたとき
>>つまり、人生の深刻な壁にぶつかり、それまでの生き方を見つめ直す時に
>>自覚する。
>>その時に、何を「信じ」何を「信じない」かで悩む

これは普通のことですね。

>>池田先生は、『「信」は生の基本的条件であり人間は「信じる」「信じない」
>>を選択できない。選択できるのは「何を信じるか」ということだけです。

結果的に信じていなくても、「信じていない自分」を信じているのであって、
「何を信じるか」のみを選択できる、というのは納得です。

>>そしてこの「何を信じて、何を信ずるべきでないか」を体系化したのが宗教
>>であり、その意味で宗教は万人の人生・日常と不可欠に関わっていると』
>>といわれてます。

「何を信じて、何を信ずるべきでないか」を体系化したのが宗教、
う~ん・・・人間は生きる意味がほしくて生み出したのが
宗教だと私は解釈しています。
要するに、無宗教の人にも個人個人の哲学がある。
(これは宗教ではありませんが)

>>さらに先生は『仏法の「信」とは、理性を振り捨てて妄信的に帰依するような
>>「狂信」では決していけない、敬虔な探求心を出発点として智慧を育んでい
>>こうとする、理性的な精神の営みなのです』と、理性は決して自己満足とい
>>う傲慢に陥ってはならない、ましてや自分を無くして、大きなものに取り込まれ
>>てはいけない、「信」なくして「智慧」はないし、智慧として現れない信は偽物
>>なのです。

創価学会の方がこの言葉どおりなら良いのではないでしょうか?
大きなもの(創価学会という組織)に取り込まれず、
啓蒙ポイントなど競っていないで、やみくもに選挙活動もせず、
教義を人に強要せず、脱会した人の気持ちも受け入れられる組織になり、
自己満足で終わることなく智慧を育んでいただければと思います。

>言葉が矛盾しています。
私はそう信じているだけにすぎません。
絶対に信じていることなんて自分自身にはないと思っていますが、

人には、必ず信念がありその信念に基づき、日常が展開されております。
しかし、残念なことに信念についてあまり自覚がない。
自分を支えている信念を自覚するのは、それが崩れたとき
つまり、人生の深刻な壁にぶつかり、それまでの生き方を見つめ直す時に自覚する。
その時に、何を「信じ」何を「信じない」かで悩む
池田先生は、『「信」は生の基本的条件であり人間は「信じる」「信じない」を選択できない。選択できるのは「何を信じるか」ということだけです。
そしてこの「何を信じて、何を信ずるべきでないか」を体系化したのが宗教であり、その意味で宗教は万人の人生・日常と不可欠に関わっていると』といわれてます。
「信じない」という選択が出来ないはずがないと思われますが、一切のものを信じないという「懐疑主義」を主張する人も結局「疑う」こと自体を信じてることになるのです。
さらに先生は『仏法の「信」とは、理性を振り捨てて妄信的に帰依するような「狂信」では決していけない、敬虔な探求心を出発点として智慧を育んでいこうとする、理性的な精神の営みなのです』と、理性は決して自己満足という傲慢に陥ってはならない、ましてや自分を無くして、大きなものに取り込まれてはいけない、「信」なくして「智慧」はないし、智慧として現れない信は偽物なのです。
「信じる」と言うことが「解(智慧)かる」 「解(智慧)かる」ということは「変わる」
ということ。
逆に、変れないというのは、疑うと言うことを信じてしまってるのです。

>たまさん

たまさんは、
仏法対話をすれば世界平和が平和になる、という考えなのですね。

>>色眼鏡で見ても見方は変わるけど心までは変わらないよ。

う~ん・・・これは結構興味深い発言なので今日の夜にでも
彼と話してみますね。

>>絶対と言うことがないと、絶対に信じますか?

言葉が矛盾しています。
私はそう信じているだけにすぎません。
絶対に信じていることなんて自分自身にはないと思っていますが、
ただ一つ例外で、「我思う、ゆえに我あり」これは絶対的真実なんじゃないかな、と
思っています。

>しかし大多数の方が「自分がしなくても誰かがする」という意識を持っている限りは実現しないことですよね・・・

だからこそ変えるための対話が必要なのではないでしょうか

>それは、どのような対話内容なのでしょうか?

仏法対話だよ。

>どこの部分で思ったのか教えていただけると嬉しいです。

彼氏の言葉の青いサングラス云々に対して
>自分の見方が変われば世界は変わる。
この言葉ですね。

絶対と言うことがないと、絶対に信じますか?

>たまさん

>>たとえば、地球温暖化現象
>>一人一人の心がけが世界規模で温暖化に歯止めをかけることが出来ます。

そうですね、地球温暖化については一人一人の意識が変わることが
とても大切だと思います。しかし大多数の方が「自分がしなくても誰かがする」
という意識を持っている限りは実現しないことですよね・・・

>>我々の対話により、世界平和を語ることで
>>広宣流布が進み、戦争やテロをなくすことが出来る。
>>何も特別なことはすることはない、目の前で悩み苦しんでいる方と対話をするだけだからね。

世界平和を語ることでテロをなくすことができるのならば、
それは、どのような対話内容なのでしょうか?

>>色眼鏡で見ても見方は変わるけど心までは変わらないよ。

私の記事を見てそう思ったのならば、
どこの部分で思ったのか教えていただけると嬉しいです。

>>絶対と言うことが『絶対』に無いと信じるより
>>人間のあらゆる可能性を信じる方が楽しいよ。

比べるものではないと思います。

自分が変われば世界は変わる

たとえば、地球温暖化現象
一人一人の心がけが世界規模で温暖化に歯止めをかけることが出来ます。
世界中で起こっている戦争やテロ、それらによって苦しんで居られる方々が沢山居られます。

我々の対話により、世界平和を語ることで
広宣流布が進み、戦争やテロをなくすことが出来る。
何も特別なことはすることはない、目の前で悩み苦しんでいる方と対話をするだけだからね。

色眼鏡で見ても見方は変わるけど心までは変わらないよ。
絶対と言うことが『絶対』に無いと信じるより
人間のあらゆる可能性を信じる方が楽しいよ。

創価学会では、「世界を変える」= 「広宣流布による世界平和実現」となるんですか?
まさかそんな大仰な話だとは思いませんでした・・。

>旧式さん

旧式さんはとても素敵な仕事場にいるのですね。

>>季節や天候だけではなく、その時その時の気分によってもその色合いが違ってきます。

そうですよね、私もそう思います。
同じ景色でもそこに感情が加わると瞬く間に姿を変化させます。
昨日もいつもの会社の帰り道、とある商店街を通るのですが、
森山良子さんの「30年を2時間半で・・・」を聴いていて
なぜだか急に懐かしい気持ちになりました。
いつも通っている商店街がとても素敵に見えて、
こんなにも素敵な場所だったんだと始めて(^_^;)気付きました。

ミスチルのその歌の歌詞、とても良いですね。
私もよく思うんです。(ちょっとこの歌とは違うかもしれませんが)
「ああ~こんなの絶対無理!できるわけがない!」と。
でも案外やってみると簡単だったり、苦労しても何だかんだ言って
こなせてしまったりしています。もちろん本当にできないこともありますが・・・

>>明け方に昇る朝日を眺めまして、少しいつもと違った街の景色に出逢えました。
>>そんな事を明け方にボンヤリと考えておりました。勤務中にもかかわらず・・・(爆)

学生の頃、とあるファミレスでホットココア一杯で朝方まで
友達の相談にのっていて、朝日が登り始める頃ファミレスを出たのですが、
その時の朝日は忘れられないですね。なんというか・・・
とても清々しい気持ちでした。
紅の豚ではないですが、「世界って本当に綺麗」に見えた朝日でした。

>釈迦ファンさん

こんにちは!

>>自分が変われば現実に世界が変わる、ということも、変化の規模を問題にしなければ、
>>当たり前なことではないでしょうか。

そうですね、規模を問題にしなければ当たり前なことだと思います。
しかし、この規模が問題なんですよね(^_^;)
どのように変化させたいのか?具体的なことを学会員に問うと究極的には恐らく、
「世界中の人が創価学会員になること」でしょうね。
でも仮にそんな世界になったとしても、本質的なに変化しているかどうかは別問題ですが・・

>>たとえば、意識的に笑顔で過ごすようにすると、周りの人たちが豊かな気持ちになれるだとか、
>>そういうことです。
>>更に、その結果、周りの人たちが笑顔で過ごすようになれば、その周りの人たちも・・・・
>>とバタフライ効果みたいに考えてゆくと、ダイナミックな変化もありえるでしょうし。
>>また、置かれた立場によっては、直接にダイナミックな変化をもたらすことも当然可能です。

もちろんそのような効果もあると思います。
しかし笑顔だけではこの世の中は平和にはならない気がします。
(あくまでも例なのであまり突っ込むべきところではないかと思いますがすみません・・・)
置かれた立場の人、例えば池田氏の言葉は学会員にとっては
とてつもない力がありますよね。カリスマ性が高いというのでしょうか。
そのような力を「世界平和のため」に使っているのか?と問いたくなります。

オイラが勤めております場所は高台で街を見下ろす事が出来ます。
この場所に来て半年も過ぎ、その景色がとても気に入っております。
夜景も派手ではないにしろ、たくさんの家庭の窓明かりが散らばっておりましてとても綺麗です。
朝は街の向こうの山から昇る朝日がとても清々しく、春夏秋とその度に色々な表情を見せてくれます。昨日、初雪が降りまして冬はどんな景色を見せてくれるのか非常に楽しみでございます。

そして、季節や天候だけではなく、その時その時の気分によってもその色合いが違ってきます。
楽しい事があった日には鳥のさえずりもどこか懐かしい歌のように聴こえます。
星空を眺めれば澄みきった空にオリオン座を見つけてポカンと口を開けたままこの街のどこかに居るであろう人を思ったり。

ここ数日は世の中を灰色に塗りたくったような気持ちで街を見下ろしておりましたので、深い闇の中で一人ぼっちのような気持ちでおりました。
ちょっとした喪失感です。

昨夜、初雪の後のシンと澄み渡った星空を眺めておりまして、いつもより大きく見える星空がとても印象的で、更に目を凝らしますと暗闇の中にそれでも一生懸命瞬いている星が沢山見えることに気が付きました。
北極星やオリオン座、北斗七星・・・ハッキリ見える星々も綺麗ですが、昨夜は宇宙のはるか遠く、ずっと遠くで微かに輝いている星たちに目が釘付けになっておりました。
オイラにはそれがとてつもなく健気で切なくて、それでいて何処か力強くて・・・何て言ったら良いか判りませんが、暗く沈んだ心にやけに沁みたのでございます。

キヨさんの記事を読んで「あ~そういう事か・・・」と思いました。

何となく起き上がる力が湧いてきました。

最近良く聴くミスチルの「旅立ちの唄」にこういう歌詞がございます。

転んだ日は はるか遠くに感じていた景色も
起き上がってよく見ると なんか辿り着けそうじゃん

明け方に昇る朝日を眺めまして、少しいつもと違った街の景色に出逢えました。

そんな事を明け方にボンヤリと考えておりました。勤務中にもかかわらず・・・(爆)

自分が変われば現実に世界が変わる、ということも、変化の規模を問題にしなければ、当たり前なことではないでしょうか。

たとえば、意識的に笑顔で過ごすようにすると、周りの人たちが豊かな気持ちになれるだとか、そういうことです。
更に、その結果、周りの人たちが笑顔で過ごすようになれば、その周りの人たちも・・・・とバタフライ効果みたいに考えてゆくと、ダイナミックな変化もありえるでしょうし。

また、置かれた立場によっては、直接にダイナミックな変化をもたらすことも当然可能です。

御釈迦さんファンの日本人としては、こんな話も思い出してしまいます。
http://www32.ocn.ne.jp/~abcq/mag1-143.html

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こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

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Author:キヨ
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