創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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こういうブログをやっていると、よく言われることがあります。
学会員の方から言われるのですが、

「キヨさんは真の功徳を受けたことが無いから
 この仏法の確信が掴めなかったんだ。」 と。

う~ん・・・こんなことを言ってくれるが優しさなのか
ただの忠告なのか捨て台詞なのかわからないのですが、

そもそも、真の功徳って何でしょうか?

かなりの疑問です。
これは考える価値があるかも・・・と思って考えてみました。

まず、真とは何か。
電子辞書常備なので早速引いてみます。(大辞林参照)

○真・・・まこと。本当。ほんもの。真実。真正。真理。真剣なこと。

ふむふむ。では功徳とは何か。

○功徳・・・良い果報(幸せなさま)を得られるような善行。
      以前に良いことをしたために、実現した良い報い。

ちょっと書いていて思ったのですが、とても変ですね。
この二つの単語は、組み合わせることができないのではないか?
と今思いました。
なぜなら、「本物の良い幸せなさま(果報)」なんて、
この世に存在しないですし、誰が「これは真の功徳だあ!」と
他人の功徳について言えるでしょうか?

では仮に、宝くじ3億円が当選したとしましょう。
学会員の人は決まってその時は「功徳だね!」と言うと思いますが、
そのお金で遊びほうけて信心が疎かになったとしたら
結局「魔が入って信心が疎かになった」と言うでしょう。
功徳だね、と言っている時もあれば、魔だと言う時もある。
真の功徳は、そんなにも曖昧なものなのでしょうか?
真は、真理。真理とは誰も否定することができない事実なのです。

「真の功徳を受けたことが無い」なんて
他人に言えないことがわかったところでこの話題は終了!?
となってしまうのも勿体無いので、後半の「仏法の確信」について
ちょっと書きたいと思います。

仏法の確信、はい、掴めていますよ。

「この仏法では私は幸せになれない」

という確信を。

「キヨはそんなに御書について学んでいないでしょ、
 そんなことは言えないはずだよ。」

と言われるかもしれませんが、
ではあなたは、

仏法の確信は、ここまで御書(仏法)を勉強すれば
掴めるという基準があるのですか?
それに、あなたは仏法の確信を掴んでいる人にも、
「あなたはまだ御書(仏法)を充分に勉強していない、
もっと勉強しなさい。」と言えるのですか?

要するに、学会で言う「仏法の確信」の基準は、
「どんな難があっても学会を信じぬく強い信念があるか、ないか」
ではないでしょうか?

私には、
「どれだけ強くマインドコントロールされているか、いないか」
に聞こえてしょうがないのですが・・・

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コメント

>SAOさん

お久しぶりです^^
コメントありがとうございました。

>>人間それぞれの考えかたが違うように、功徳も人によって感じ方が違うんじゃないでしょうか。

その通りだと思いますよ。
功徳がそもそもあるかどうかも個人の価値観ですしね。

>>功徳について他人が評価するのはどうかと思うけど、自分が真の功徳だと思ったら
>>そうなのかも知れませんよ。幸せの感じ方だって人によって違うんだし。

はい、もちろんその通りです。
その人が自分の人生について「真の功徳」と思うのはいいと思います。
他人が評価するのが変だなと思うだけです。

>>後になってそれが真の功徳ではなかったと気づいたとしたら、
>>それはそれでいいんじゃないですか?

はい、いいのではないでしょうか。
私は思わない、というだけなので^^

>>数学とは違うんだし、これが正解だ!なんていえないと思う。

そうですね、私はこの世に真実なんてないと思っています。
真実と信じるしかできないと思っています。

お久しぶりですー。だいぶ前にコメントさせてもらったSAOです。
うまくいえないですけど、人間それぞれの考えかたが違うように、功徳も人によって感じ方が違うんじゃないでしょうか。
功徳について他人が評価するのはどうかと思うけど、自分が真の功徳だと思ったらそうなのかも知れませんよ。幸せの感じ方だって人によって違うんだし。
後になってそれが真の功徳ではなかったと気づいたとしたら、それはそれでいいんじゃないですか?
数学とは違うんだし、これが正解だ!なんていえないと思う。

>釈迦ファンさん

こんにちは!

>数学者と物理学者の例でいきますと、他の学問の研究結果にインスピレーションを受けて、
>自分のフィールドにフィードバックする、というようなことは結構やるんじゃないでしょうか。
>学者さんのような賢い人たちの話でなくても、私も、他業種の方の話を聞くことが
>自分の仕事のためになる、という体験は時々あります。

もちろん、あると思います!先程の例が悪かったのかもしれません(^_^;)
私が先日見た『数学者はキノコ狩りの夢を見る~ポアンカレ予想・100年の格闘』
という番組の中で、一人の数学者がこのポアンカレ予想を証明するのですが、
ポアンカレ予想に深く結びついたと考えられていたトポロジーという学問は
実は全く証明には必要なく、必要なのは微分幾何学だったと一人の数学者が
証明してしまったんですね。
この場合、トポロジーをずっと研究してポアンカレ予想というものを
証明しようと頑張ってきた人々は「微分幾何学使うの!?」と
あっけにとられ、誰一人としてその数学者の証明についていけなかったそうです。

この場合、トポロジー学者に微分幾何学の本を渡しても、
「いやいやいや!何を言ってるんだい!トポロジーを使わずして
 この証明が解けるかあああ!!」と言ったでしょう。
でも実際は数学とは全く関係ない温度とかエネルギーだとかが
証明の中に出てきて証明されてしまった。
このように、お互いが絶対に影響しあわないと思い込んでいる場合、
「相手の学問」なんて関係なくなってしまうんですね。
フォードバックする気も起きないというか・・・

しかし、私達の生活の中では自分の持っている価値観などとは
違った方向(または知らない方向)へ興味を向けるのは
とても良いことだと思います。
現に私も偏見を持たずに物事に目を向けられたら
どんなに視野が広がるかと思います^^

>うーん、解説に関しては、宗教家が教学上の立場から書いたものよりも
>、歴史学の立場から捉えたものを読みたいですね。

そうですね、私もそれが良いと思います。
そうすると・・・原書で読むことになるのでしょうか^^;
私が紹介できたらよかったのですが、
私は歴史学の立場で捉えたものを知らないので・・・><;

> もったいないとのことですが、
> 正直私はあまりもったいないとは思わないんです。(すみません^^;)

いえいえ (^^)
私が書いたのは、「功徳」だとか「仏法」にこだわる学会員の方にとって、もったいないな、という意味です。
数学者と物理学者の例でいきますと、他の学問の研究結果にインスピレーションを受けて、自分のフィールドにフィードバックする、というようなことは結構やるんじゃないでしょうか。
学者さんのような賢い人たちの話でなくても、私も、他業種の方の話を聞くことが自分の仕事のためになる、という体験は時々あります。

> 私は以前「池田先生から頂いた」とされる
> 立正安国論の解説本みたいなものを持っていましたが、

うーん、解説に関しては、宗教家が教学上の立場から書いたものよりも、歴史学の立場から捉えたものを読みたいですね。
学会がどうこうではなく、あまり著者の宗教的熱意が勝った本だと、読むのが疲れます。
日蓮さんにまで手を伸ばすのは、まだ先の話ですが・・。

釈迦ファンさん

こんにちは!

>創価学会の方々は、そんなに「御書」にこだわるのですか?

恐らく、神父さんが持っている聖書のようなものなのでしょう。
(神父さんのように経典を毎日読んでいる方は稀ですが)
御書に書いてあることが、全ての根本となっているため、
他の教義を読もうとする気持ちがまったく湧きません。

>もったいないですね。
>他の経典も良いものがありますし、他宗教の文書も読んでみると面白いし、ためになるのに。
>特に、御釈迦さんのファンとしては、中村元さん訳の初期仏典がおすすめです。

もったいないとのことですが、
正直私はあまりもったいないとは思わないんです。(すみません^^;)
(ためになるかは読んだ人が判断することだと思っているので)
学会は御書という(どこまで本物かはわからないですが)経典があります。
釈迦ファンさんがおっしゃっていることは、
数学者が物理学者に「この数学書読んでみると面白いよ、ためになるのに・・」
と言っているようなもので、物理学者に言わせれば、
「いやいや、この物理学の本を読んでご覧よ!」と言っているようなものです。
学問を追求している身、解り合えない部分があるのかもしれません。
(釈迦ファンさんがお薦めしてくれていることは良いことだと思いますよ!)
そこにプラスして上記で書いたような「他の教義を読もうとする気持ちがまったく湧かない」
状態ですと、「文献として面白そうだから読んでみよう」という
気持ちさえも一切湧かなくなってしまいますよね・・・

>私は「御書」をまったく知りませんから、将来、余裕ができれば読んでみたいです。
>そのときは、とりあえず歴史で習った「立正安国論」からかと思うんですが、
>これも「御書」に含まれるんですよね?

読んでみるのもいいのですね^^
私は読む気は起きないのですが・・・
(そもそも宗教の経典に興味が無いので)
立正安国論は代表作ですね。
私は以前「池田先生から頂いた」とされる
立正安国論の解説本みたいなものを持っていましたが、
半年前ぐらいに御書以外全部捨ててしまいました^^;
このブログを書くにあたって、とっておけばよかったな~
と思うことがたまにあります・・・

創価学会の方々は、そんなに「御書」にこだわるのですか?

もったいないですね。
他の経典も良いものがありますし、他宗教の文書も読んでみると面白いし、ためになるのに。
特に、御釈迦さんのファンとしては、中村元さん訳の初期仏典がおすすめです。

逆に、私は「御書」をまったく知りませんから、将来、余裕ができれば読んでみたいです。
そのときは、とりあえず歴史で習った「立正安国論」からかと思うんですが、これも「御書」に含まれるんですよね?

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こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

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