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私は自分が物心ついたときから親と会合に参加していました。
小学生の時は学会の合唱団にも所属し、
中学生の時は中等部の何かの代表(名前を忘れました)で、
高等部の時はグループ長(名前が正しいか怪しいですが)、
学生部の時は地区リーダーや他にも様々な役職を兼任していました。
なので学会活動することが普通であり、
また自分が活動することによって親も喜びました。
私が本格的に信仰を始めたのは小学生の時でしょうか。
勤行をするのが日課になり、会合へも親と一緒に行く。
これは当たり前で、池田大作氏の書いた本を読み、感動し、
小学生なのに友達に仏法対話(創価対話?)してました。
今考えると凄まじく信仰熱心な小学生だったと思います。
中学生になって環境がガラっと変わり、しかし会合へは
できるだけ参加してましたし、自分から司会などもやっていました。
この頃は親の前で勤行をするのが少し恥ずかしく、
自分の部屋でしていたのを思い出します。
高校生になって、クラスに私と同じような環境で育った
学会員の女の子がいました。なのですぐ仲良くなり、
会合でも一緒になったりとても安定した高校生活だったと思います。
しかし反抗期だったので、勤行はあまりしなくなりました。
ここまでは、実家で暮らしていたので自然に創価学会と
触れる機会が多かったのでしょう。
問題は学生になり一人暮らしになってからです。
母親は私が信心根本に生活できるかが非常に不安だったと思います。
しかし私は母の期待通り、物凄い信仰熱心な女子部となりました。
私は18歳の時から一人暮らしを始めたのですが、
当時仕送りは一切なく、奨学金とバイトで生活をしていかなくては
なりませんでした。なので「自分で自分を生かしている」という
強い思いがあったのです。しかも、女子部からはこう言われていました。
「20歳までは親の信心で守られるけれど、
20歳を超えたら自分の信心でやっていかなくてはいけない。」
なので今は18歳で守られているから大丈夫だけれど、
あと少ししたら自分で自分の信仰を支えていかなくてはならないんだ!!
と怖くなったのを覚えています。そこで女子部は言います。
「キヨちゃんはもう一人暮らしでご両親の目が届かない。
だからもう自分で全部福運積んでいく決意で信心しないとね!」と。
こう言われた私は、とても学会活動を疎かにすることなんてできませんでした。
活動を疎かにすることは、自分の生活に直結してくると考えたからです。
自分はもう親から守られていない、だから自分の生活のリズムを
ちゃんと正しくしていかなくてはいけない。
生活の良いリズム=深い信仰心と学会活動
だったのです。
自分が生きていくために信仰しなくてはいけない、こう思いました。
なので、私は今までも活動家でしたが、一人暮らしになってから
より活動家になったのです。
自分の生活のため、生きるために、真剣に信仰しないと!!という感じに。
でも日々活動するなかで、青年部幹部会で罵声を浴びせる幹部の姿や
女子部の言動には不信感を持っていましたので、
100%信じていたわけではないのですが・・・
「真剣に信心すれば、バイト先も就職先も最高の場所が見つかるよ!」
その当時の私には、この言葉はとても魅力があったのです。
小学生の時は学会の合唱団にも所属し、
中学生の時は中等部の何かの代表(名前を忘れました)で、
高等部の時はグループ長(名前が正しいか怪しいですが)、
学生部の時は地区リーダーや他にも様々な役職を兼任していました。
なので学会活動することが普通であり、
また自分が活動することによって親も喜びました。
私が本格的に信仰を始めたのは小学生の時でしょうか。
勤行をするのが日課になり、会合へも親と一緒に行く。
これは当たり前で、池田大作氏の書いた本を読み、感動し、
小学生なのに友達に仏法対話(創価対話?)してました。
今考えると凄まじく信仰熱心な小学生だったと思います。
中学生になって環境がガラっと変わり、しかし会合へは
できるだけ参加してましたし、自分から司会などもやっていました。
この頃は親の前で勤行をするのが少し恥ずかしく、
自分の部屋でしていたのを思い出します。
高校生になって、クラスに私と同じような環境で育った
学会員の女の子がいました。なのですぐ仲良くなり、
会合でも一緒になったりとても安定した高校生活だったと思います。
しかし反抗期だったので、勤行はあまりしなくなりました。
ここまでは、実家で暮らしていたので自然に創価学会と
触れる機会が多かったのでしょう。
問題は学生になり一人暮らしになってからです。
母親は私が信心根本に生活できるかが非常に不安だったと思います。
しかし私は母の期待通り、物凄い信仰熱心な女子部となりました。
私は18歳の時から一人暮らしを始めたのですが、
当時仕送りは一切なく、奨学金とバイトで生活をしていかなくては
なりませんでした。なので「自分で自分を生かしている」という
強い思いがあったのです。しかも、女子部からはこう言われていました。
「20歳までは親の信心で守られるけれど、
20歳を超えたら自分の信心でやっていかなくてはいけない。」
なので今は18歳で守られているから大丈夫だけれど、
あと少ししたら自分で自分の信仰を支えていかなくてはならないんだ!!
と怖くなったのを覚えています。そこで女子部は言います。
「キヨちゃんはもう一人暮らしでご両親の目が届かない。
だからもう自分で全部福運積んでいく決意で信心しないとね!」と。
こう言われた私は、とても学会活動を疎かにすることなんてできませんでした。
活動を疎かにすることは、自分の生活に直結してくると考えたからです。
自分はもう親から守られていない、だから自分の生活のリズムを
ちゃんと正しくしていかなくてはいけない。
生活の良いリズム=深い信仰心と学会活動
だったのです。
自分が生きていくために信仰しなくてはいけない、こう思いました。
なので、私は今までも活動家でしたが、一人暮らしになってから
より活動家になったのです。
自分の生活のため、生きるために、真剣に信仰しないと!!という感じに。
でも日々活動するなかで、青年部幹部会で罵声を浴びせる幹部の姿や
女子部の言動には不信感を持っていましたので、
100%信じていたわけではないのですが・・・
「真剣に信心すれば、バイト先も就職先も最高の場所が見つかるよ!」
その当時の私には、この言葉はとても魅力があったのです。
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コメント
そうですか。キヨさんは、奨学金とバイトで学生生活していたのですね。それは並々ならぬものだと察します。
創価の家庭で育つということがわかりました。創価の純粋の血脈は、今日のキヨさんの疑問となった訳ですね。
創価の家庭で育つということがわかりました。創価の純粋の血脈は、今日のキヨさんの疑問となった訳ですね。
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こんにちは。
並々ならぬスケジュールでしたが、
楽しかったのでとても良い経験になっています。
今では自分の環境にとても感謝しています。
純粋に信じていた(疑わなかった)ことは
今でも自分が信じられません。疑ってかかるイヤな性格なので・・・
自分の性格に問わないところに、マインドコントロールの恐ろしさを
とても感じます。