創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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私の両親は、父は母と結婚した時に入信したらしいので、
どちらかというと母のほうが信仰熱心です。
地区婦人部長をやっているので、「かなり」活動熱心だと思います。

私は、その信仰によって気持ちが救われることは
(お祈りして気持ちが落ち着くなど)とても良いことだと思います。
祈ることによって日々頑張れる、生きる喜びが生まれる、
そういう信仰ならその人の人生を豊かにしているのですから、
否定は絶対にしません。

現に私も、自分が大好きな音楽を聴くと気持ちが安らぎます。
ライブへ行くと元気が「超」出ます。
私の人生から音楽を取ってしまったら、私の人生は
とても面白みの無い、味気ないものになってしまうと思うのです。

しかし音楽をいくら好きでも、ライブに行き過ぎて体調を崩したり、
お金が無くなって借金したり(かなり極端ですが)したら
それこそ本末転倒です。人生を豊かにする一種の手段なのに、
逆にそれによって人生を追い込まれたら私は嫌です。
音楽を好きでい続けるためにも、適度な距離が必要なのです。

もちろん、その道のスペシャリストとして生きていく覚悟があるのなら、
それに命を掛けてもいいのなら、距離なんて必要ありません。

宗教もそうだと思うのです。私の自論ですが、
家庭崩壊させてまでお金の寄付をする必要はありません。
体調を崩してまで、会合に出席する必要はありません。
友達に嫌われてまで、折伏する必要もありません。
家庭を大切にできない人が、他人の幸せを祈れるわけがないと思っています。

私は幼い時から活動熱心な母の姿を見てきました。
それは立派なことだと思っていました。
例え私や姉が寂しい思いをしたって、
それは「広宣流布」には必要な「寂しさ」だったからです。

近所の学会員のお母さんには
「キヨちゃんのお母さんにはいつもお世話になっているよ。」
と言われましたし、
「キヨちゃんのお母さん、凄い頑張っているんだね、私も頑張らなくちゃ。」
と何回も言われました。

お母さんは頑張っているんだ、人に勇気を与えてるんだ!!

とその思いだけが、寂しさを和らげる手段でした。
私が活動家だった頃も、お母さんが話す内容はいつも「創価学会」。
「池田先生がいつまで最前線で指揮をとって下さるかわからない。
 だから私達は先生にお応えするために頑張らなきゃ!!」
といつも言っていました。

夕飯時にはいつもお母さんはいない。
休日ももちろんいない。

だから、たまにお母さんと一緒にデパートに買い物に行くと、
「これ買ってあげようか?」と言われても、
「いいよいいよ。」と遠慮しました。
休日に一緒に出かけることなんてあまりないし、
買ってもらうのはなんだかすごい悪い気がして、
それに、デパートで「創価学会」をあまり話さないお母さんが
なんだかとても変で、でもなんだか嬉しくて、それだけで充分でした。
なので小さい頃は今以上に物欲が無く、趣味が「貯金」でした・・・

今は、私は自分の子供に私と同じ思いはさせたくない
と思っています。私みたいな思いをするのは、私だけで充分です。
私の子供にまで、同じ思いをさせる必要なんて全くありません。

私が幼い頃感じていたあの寂しさは、
まぎれもない「寂しさ」だったからです。
それは今でも埋まることは無く、心に残っています。

だた普通に、家庭円満で暮らしていければ、
みんな揃って食卓を囲めたら、
創価学会の話ばかりの会話じゃなければ、
お母さんの手作りのお弁当を食べていられたら、

私はもう少し、変わっていたんじゃないかな、と思っています。

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コメント

>釈迦ファンさん

初めまして、コメントありがとうございました!

そうですね、幼い頃覚えた寂しさと疑問は、今でも強烈に残っていますし
感じることができて良かったと思っています。
彼との出会いは、膨らんで限界だった私の気持ちを
一気に開放してくれた、大きなきっかけとなりました。

釈迦ファンさん、恥ずかしかったなんて思わないで下さい!
私はたまたまそういう環境で育っただけなんですから。
釈迦ファンさんにも、釈迦ファンさんにしかできなかった
たくさんのご経験があると思います。その経験って、すごく大切ですよね。

>>特に、創価学会に対しては一方的な嫌悪感のみを持っていました。

この気持ち、すごく良くわかります。
現に私も、「学会はなんとなく嫌い」と言われた事がかなりあります。
でも、メディアを通してなど、そういう風に捉えてしまうのは仕方がないことですね。
誰も嫌な思いをしていなかったら、こんな風に報道されていないでしょうし・・・

>>人と、その信仰は、他人の人権を侵害しない限り、別に考えるべきなのに。

他人の人権を侵害している部分が創価学会にはあると、
大多数の人は思っているようです。
そうですね、学会の中でも良い方はたくさんいました。
でも、私が感じる「学会の中の良い人」は、他の学会の人に嫌われていました・・・
嫌われているのを知った時、とても悲しくなったのを覚えています。

いいっすね

通りすがりの、非学会員・仏教好きです。

キヨさんが、宗教に対して非常にフラットな考え方をされてらっしゃること、学会を離れてもなお学会員の方々を思いやる、そのやさしさに感動しました。

幼い頃に覚えた寂しさと疑問、学会員として熱心に活動された日々、彼との出会い、新たな気づき、全部あってのことなんでしょうね。

私なんて、20代前半の頃を振り返ると、宗教に対してそんな相対的な視点を持てておらず、読んでいて恥ずかしかったです。
特に、創価学会に対しては一方的な嫌悪感のみを持っていました。
人と、その信仰は、他人の人権を侵害しない限り、別に考えるべきなのに。

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こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

Author:キヨ
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