創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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創価学会は「排他的で攻撃的」とよく指摘されます。
排他的とは、自分や自分の仲間以外のものを拒む傾向があるということです。

なぜそのように言われるのか?
それは創価学会の教えの中に「学会以外の宗教は全て邪宗だ」
という考え方があるからです。
それに攻撃的というのは、学会で月1回行われる本部幹部会同時中継や
学会の機関紙である聖教新聞での内容が言われています。

私はもちろん熱心な活動家でしたから、本部幹部会同時中継には必ず
毎月参加していました。そのスクリーンに映し出された学会員は
皆とても元気が良く、ハキハキした声で堂々と喋ります。
それはそれで良いのですが、問題なのは喋っている内容。

「極悪非道な○○を絶対に許してはいけません!!」
「あのクソ坊主は死んだら絶対に地獄へ落ちます!!」
「学会を裏切った○○!!恩を仇で返すとは何事か!!」

などと、本当に「!!」とつけるほど大声で話すのです。
これだけでも平和団体とは思えない罵声叱咤の数々。
現にこのような発言は毎回本部幹部会で見られます。

一度母に
「なぜ学会はあんなにも敵に攻撃するの?
 別にこっちが正しかったら放っておけばいいんじゃないの?」
と聞いたことがありました。すると母は、

「例えば、人間の身体に癌細胞があったとするでしょ?
 癌細胞は身体にはもちろん悪い。だから徹底的に全部取り除きたい。
 放っておくと全身に転移してしまう恐れがあるからね。
 邪宗も同じ。放っておくと癌細胞のように広がってしまう。
 だから徹底的に叩くのよ。」

幼なながらこの説明には納得してしまいました。
そうか~、確かに癌細胞なら徹底的にやっつけないとなあ・・・
ぐらいにしか考えていませんでした。

しかし、この説明を正しいと仮定するならば、
「創価学会以外の宗教は、学会に対して不利益を被っている」
と考えなくてはなりません。

確かに、創価学会が拡大していく上で他宗教は邪魔な存在。
ライバルが減るには越したことはありません。
しかし、ここで考えなくてはならないことが2点あります。

まず1点目は、
ならどうして創価学会は他宗教の偉人と呼ばれる人を尊敬し、
その偉人たちを称えているのか。

そして2点目は、
「ライバルが減る=戦う相手が減る」ということの重大性です。

まず1点目から見ていきましょう。
池田大作氏は対話を非常に大切にし、世界中を飛び回り
世界各国の偉人と言われる人々と交流しています。
それは事実だと思うのですが、相手の人格を敬い、
堅い握手をするということは相手の人生観を認めたことになるのでは
ないでしょうか。現に池田氏は世界の偉人達に対して非常に
堅実で誠実な態度を取っていると聖教新聞などではうかがえます。

これは、非常に矛盾していることです。

他宗教が全て癌細胞なら、その相手との交流を自ら進んで行うなど
危険極まりない行為です。例えとして、マハトマ・ガンジーにおいては、
彼は敬虔なヒンドゥー教徒です。彼を称え、賛美するということは、
彼の生き様を認めていることになります。

「宗教を超えた絆」

学会ではよく耳にする言葉です。
では、100歩ゆずって世界各国の偉人たちはよしとしましょう。
しかし、創価学会と敵対している富士大石顕正会を見てください。
顕正会とは日蓮正宗から生まれた宗派です。
創価学会も日蓮正宗から生まれました。

仮にこの顕正会の信者にとても人格的に優れた人がいるとしましょう。
学会の人は、相手がどんなに人格的に優れていたとしても、
顕正会と聞いたらすぐさま敵対視するのではないでしょうか。
相手の人格を見ようとせずに、邪宗だからダメだと。
「今まで良い人」だったあの人が顕正会だとわかったとしたら、
今まで通りの好感を素直に持てますか?
もしかしたら、相手の些細な欠点を見つけ誇張し、
「あの人は顕正会なんだ、何か変だと思っていたんだ。」
などと言い出すのではないでしょうか。
(これは私の身の回りの学会員が実際よく発言していたことなので、
 私一個人の決め付けではありません。)

要するに、世界から賛美賞賛されている人格者を
称えることにより、自分の組織は正しく
世界平和を謳っている団体だと認識させ易くなるのです。


そして2点目の、
「ライバルが減る=戦う相手が減る」ことの重大性についてです。
これは単純に「ライバルが減って学会万歳!!」という問題ではなく、
もっと深い意味があると思うのです。

人間は、ライバルがいると競争意識が生まれ、
より頑張ろうとする気持ちが生まれることが多いと思います。
創価学会にとってライバルがいるということは、
より一層仲間意識を強化し、日々の活動に励む原動力になっている
のではないでしょうか。もし世界中が創価学会員だけだとしましょう。
そしたら、学会員は他人の幸せのために一生懸命お題目をあげるでしょうか。

世界が創価学会員だけになるのは不可能だと私自身思うのですが、

身近なライバル(他宗教でも一個人でも)がいなくなったら、
創価学会は活動する原動力(邪宗を倒すぞ!!という気持ち)
が大幅に減少してしまう恐れがあります。


他宗教を叩くということは、非常に危険な行為でもあり
自分の首を締めることになりかねないということです。

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コメント

本当の法華経

僕は日蓮にその原因があるとみています 他の法華経愛好家はみな人格が丸いですよ 法華経って低姿勢で他人を攻撃しないお経なんです むしろ回向文といって他人の幸せを願うのです 自分の目で読んでみてはいかがですか 折伏なんてどこにも書いてないですよ

>仏法とはさん

おはようございます!
PTSD(心的外傷後ストレス障害)、トラウマですね。
PTSDの基本的症状の中に、
『トラウマの原因になった障害、関連する事物に対しての回避傾向』
というものがあります。(wikipewdia参照)
確かに私はこの傾向からまだ抜け出せていません。
現に学会員との接触を自分から避けていますし、学会関連の書物
(賛成派、否定派内容関係なく)を見ると一瞬気に留めてしまいます。
そういう意味では、私は完全にPTSDから解放されていません。

ただ、「完全に脱会は無理」とは言い切れないと思うのです。
もちろん私みたいに生家が創価学会であって熱心な信者の場合、
それは脱会までとても長い年月を要するケースが多いと思われます。
しかしその脱会できるまでの必要日数はとても個人差があり、
その人の性格が考慮されなくてはなりません。
その点については、仏法とはさんもおっしゃっていますよね。

あと、
>>キヨさんの頭の中には、創価・大作・日蓮しか無い様にお見受けしますが、日本の仏教教団には様々の宗祖がおり血脈には有名な高僧が沢山います。現在もしかりです。

という内容について、私もその通りだと思います。
(仏教についてはまだまだ知識が乏しいため申し訳ないです)
しかし、創価学会が仏教の全て(あるいは大部分を占めている)
とは全く思っていません。このブログでは「仏教」について語るのではなく、
「創価学会」について語っていますので、どうしても
学会に偏った発言になってしまうのはご了承ください。

もちろん日蓮正宗(その中でも色々宗派がわかれますが)
を含めどのような仏教が存在するのかは非常に興味深いことであり、
これから知識として私自身学んでいけたらと思っています。

コメントありがとうございました!

創価の信者(幽霊会員は除きます)になれば、1年活動しておかしいと思って精神的脱会するのには、3年かかります。10年いれば単純計算をして、心の解放まで30年かかります。このような期間は人によって異なります。長くいればいるほど、PTSDになる可能性があります。キヨさんの場合は生家が創価ですので、完全に脱会は無理だと思われます???親兄弟を捨てるというのは、仏の道に反します。ただ舵を切って方向転換は可能です。現在無宗教ということですが、軽いPTSDにかかっているようにお見受けします。それはキヨさんが正直で誠実で、恋人も善かったのだと思います。恋人は、真の善知識かもしれません。日蓮を拝むにしても色々宗派があります。日蓮宗は法華ですが、日本の仏教団体に加盟して他宗と仲良くやっています。地球や太陽が丸い意味がわかっていたのでしょう。唱題も法華経(品が違う所もありますが)も読みます。キヨさんの頭の中には、創価・大作・日蓮しか無い様にお見受けしますが、日本の仏教教団には様々の宗祖がおり血脈には有名な高僧が沢山います。現在もしかりです。軽いPTSDのようですので文句があったら言って気分を晴らし、落ち着いたら日蓮以外の宗祖や教義を見てみたらいかがでしょう。あくまでも伝統仏教です。積み重ねたノウハウがあります。くれぐれもおかしな新興仏教団体はダメです。ご参考になればと思います。

仏法とはさん

早速のご回答ありがとうございました!
なるほど、仏法とはさんのおっしゃっていた「強い念」の意味がわかりました。
もし仏法とはさんに不快な思いをさせてしまったら申し訳ないのですが、
私自身は、「念」というものの存在に関しては現在否定的な考え方なのです。
しかし、仏法とはさんがおっしゃっている、

>>実は宗教の経本や関係書籍などには「強い念」が入っているものです。人によっては「興奮」したりするものです。「聖書」「コーラン」でも同じことです。

という内容に関しては、実際私が熱心な学会員の頃に読んでいた御書には、
「何か」不思議な力があるように感じていました。
その神秘的な対象のもの(私なら御書)に接触することは、
私にとっては仏法の真髄であるものに触れるという点で神秘的な何かを見出し易くなっていたのでしょう。
しかし、私はキリスト教の聖書を実際読んでもそれを感じ取ることはできない点から、
それは読む人間の今までの経験に基づいて構成されたことではないかと思うのです。
(熱心なキリスト教の方が教会に入って居心地の良さを感じるように)

しかし。仏法とはさんが「強い念」を私のブログ・文章から
感じ取ってくださったことを嬉しく思います。
内容の賛否はともかく「伝わっている」という実感が
あるからです。

これからも何か感じたことがありましたら、コメント頂けると嬉しいです。

「念」とは「霊的なエネルギーのパワー」を言います。キヨさんのHPを見てましたら、だんだん頭か締め付けられる感じでムーとしましたので「強い念」と表現しました。論語にも「怪力乱心を語らず」(君主は、人知では計り知れない神秘や不可思議な現象については語らないものだ)とありますし、私は愚鈍の身の上ですので余り語ることはできません。しかし、あえて言うならば世の中には不思議なことがある。ということです。「念」が良いか、悪いか。は別問題です。それはキヨさんご本人が決めることです。キヨさんのご家族は皆、学会員ですね。幼いころから、聖教新聞を読み、ご家族から話を聞き、ご本尊に手をあわせ勤行をし、経本や宗旨の関係書籍を読んだはずです。実は宗教の経本や関係書籍などには「強い念」が入っているものです。人によっては「興奮」したりするものです。「聖書」「コーラン」でも同じことです。宗教に染まった体からは、自然と「念」が出てます。人と接しても、紙に字を書いても、HPを作っても「念」が出ています。わかる人にはわかります。字数に限りがあると思いますのでこの辺にしときます。疑問があれば出来るだけお答いたします。

仏法とはさん、日蓮についていろいろと解説してくださり、
ありがとうございました!
創価学会はフランスでもカルトと認定されていますし、
私もそう認定されるのは仕方の無いことだと思っています。
他人への迷惑行為を迷惑ととらえられない教義にしばられ、
学会員はそれには気づかず活動していますが、
それが本当の幸せと確信してしまっているのは非常に恐ろしいことです。
それに最後の「強い念を感じました」というものは、具体的にどのようなことでしょうか?「念」という言葉が少し気になったので・・・
私の読解力がつたないばかりに申し訳ありませんが、
もしこのコメントを読む機会があったとしたら、
是非ご回答して頂けると幸いです。

拝見しました。よく創価カルトに疑問を持ちましたね。創価や日蓮正宗の教義は知っています。日蓮は、比叡山で修業をして30歳の頃「立宗」をしました。私としては30歳というのは、小僧の年代です。仏教他宗を誹謗しました。お世話になった天台宗だけは誹謗しませんでした。確かに法華経は、聖徳太子の時代から最も尊い経典として、太子も講義し著作も残しました。太子は十七条憲法で「和をもって尊しとなせ」と教えを残しました。各地の僧は、憲法を写し取りました。比叡山は当時は仏教総合大学でした。飛び出した日蓮はまだ青かったですね。もっと色々の勉強をすべきでした。他宗を誹謗すれば、怒るのが当たり前です。歳を取って身延山で弟子の教化をはかるころは、若干丸くなりました。「太陽が丸いのがなぜなのか?」わかったはずです。創価学会も池田大作も、心が清浄なら「なぜ地球が丸いか?」わかるはずです。大作も創価も、日本の仏教教団を一切認めていませんが、「和の心」や「人間の生きる道」がわかれば丸くなるはずです。ものごとがわからないというのは、「カルト」の証拠です。さすが、学会員のHPということで見てましたら、ひしひしと「強い念」を感じました。

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こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

キヨ

Author:キヨ
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