創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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コメントして下さった、しゅーさんへ

5月12日にしゅーさんが私のブログへコメントして下さいました。
コメントは非公開でしたが、しゅーさんのような学会員さんがかなり私のブログを
読んでくれいています、取り急ぎですが、書かせて頂きます。

しゅーさんは学会3世(福子)で、信仰心は強く、しかし学会の体制に疑問を持っている方です。
選挙や折伏、他宗教を邪教と言う排他的な部分等、疑問に思っていることが多い。
しかし大切な人と、学会問題を巡って別れる道を選ばざるを得なかった。

しゅーさんがもしこの記事を読んでくれましたら、
まず、安心してください、と伝えたいです。
そして、このブログを読んで下さってありがとうと言いたいです。
しゅーさんのように、信仰心(御本尊へ)はあっても、
学会の体制に疑問を持っている学会員さんは非常に多いです。
そして、そのように疑問を持つ事自体、何か悪い事が起きるのではないか?
学会を批判していることになるのではないか?(=仏罰が起きるのではないか?)と
考えてしまうお気持ちもとてもわかります。

私が安心してください、と言ったのは、そのような考えを持つ事はとても自然なことで、
むしろ自分が信仰している宗教に、何一つ疑問を持たないことの方が不思議な事だと思うんです。
自分が幸せになるための宗教です。
どんどん疑問をもって追求していっていいと私は思います。
だって、自分自身の宗教なんですよ?
創価学会のために信仰している宗教ではありません、しゅーさんご自身の宗教なんです。

学会から離れると決めた日、仏罰が起きるかもしれないと私も怯えていました。
怖くて眠れなくて、身体の震えが止まりませんでした・・・
もし明日、交通事故に遭ったらどうしよう?
大切な人がいなくなったらどうしよう?
こんなことばかり本気で考えていました。

当時付き合っていた彼にも私の怯えようをかなり心配して、
「もし俺がこれから事故に遭ったとしても、絶対に仏罰なんて思うなよ!!」
と何回も言われていたぐらいです(^^;)

でも実際学会から離れてみると、そこには全く違う世界が私には見えました。

私は今まで”御本尊”ではなく、”創価学会”を信仰していたんだなと思い知らされました。

しゅーさんが思いとどまっている、悩んでいるのは、
その”辞めたら何か悪い事が起きる”という恐怖感ですよね。
そして、よく聞く”あの人は退転したから病気になった!”という系の言葉。
よく考えてみて下さい、これって、とっても恐ろしい言葉なんです。
だって、誰にもわからないんです、”退転=病気(悪い事)”という因果関係は、
決して私たちが知り得る事はできないことなんです。
それを決めるのは、創価学会でもなんでもない、自分自身の心です。
退転=病気と決めつけるその思考回路が既に、創価学会に洗脳されている、
とても恐ろしい事だと思うんです。

未来の事は、誰にもわかりません。
ひょっとしたら、明日私は風邪を引くかもしれない。
ひょっとしたら、明日私は誰か素敵な人と巡り会うかもしれない。
ひょっとしたら、明日私は元彼と街でばったり会ってしまうかもしれない。

それを、信仰を辞めたから未来を決めつけるなんて、とても悲しいと思うんです。
幸せになる為の宗教を辞めて、なぜ不幸になるのでしょうか?
それは、一回信仰してしまったら決して元に戻れない、一方通行の宗教なのでしょうか?
現に創価学会は、脱退=不幸、みたいなイコールの関係が成り立ってしまっています。

生まれた時から学会員(福子)であれば尚更、学会の外から学会をみたことが
少ないと思いますが、それは決して遠い距離ではなく、
一歩、いや、半歩でも踏み出せば、見える世界だと私は思います(^^)
"怖い"って感じている瞬間に、もう既に少し見えている世界です。

しゅーさんが今とても悩んでいること、とても伝わってきました。
学会の話で口論になった時、自分の恋人の口から自分の信じているものを
否定される言葉が出たとき、とても悲しく、傷つきます。
しかし、同時にその恋人も傷ついているはず。

信仰を保って功徳を実感するのはとても良いことだと思います。
しかし宗教を理解できない人間にとっては、信仰とは非現実的なものにしか見えません・・・
日本では精神的に無宗教の人がとても多いですし、信仰をしていると言うだけで
変なレッテルを張られる事もありますよね。

しゅーさんが今でも深く悩んでいる事、恋人を失った喪失感、
宗教って何なんだろ?と考える日々、とても、とても辛いと思います。
でもこれだけはわかってほしい、しゅーさんのように悩んで苦しんで、
壁にぶつかっている方々が、このブログにたくさん来てくれました。
同じような悩みを持っている人がこんなにも多いのか!!と驚いた程です。
と同時に、創価学会の問題点も浮き彫りになってきました。

創価学会に抵抗感・嫌悪感を持っている人はとても多いです。
結婚を視野に入れてくるとどうしても問題になってきてしまいます。
相手の両親が熱心な信者なら尚更、自分の子供に入会を迫られるのではないか?
そして、自分の両親(家族)にまで・・・と考えてしまうのは自然なことです。
しゅーさんが御本尊を大切にする気持ちが一生続くと確信しているように、
しゅーさんの恋人様も、しゅーさんと結婚したら、一生創価学会に関わる事になる、と確信していると思います。
それほど宗教というものは大きいもので、人生を左右するもの、
そしてそれをよく理解しているからこそ、安易に認める事ができない。

学会から距離を置いても、私は仏罰が当たった!なんて思った事は一度もありませんでした(^^)
そりゃ、病気になったことも、仕事で辛い時も、プライベートでも色々ありました。
しかし、私は仏罰だなんて一度も思いませんでした。
それは、そんな風に考えたら悲しいと、私自身が一番わかっているから・・・
人生山あり谷あり、こんな簡単なこと幼い頃からわかっていたはずなのに、
いつの間にか大人になって、変化が怖くなっている自分に気付いたのです。
友人が、”大変って、大きく変わるって書くんだよ”と言っていました。
本当にその通りで、辛くて大変だ・・・と思ったとき、辛いのは当然のこと。
大きく変わっている最中なんですからね(^^)辛くないはずがないんです。

しゅーさんが学会から距離を置く事に強い抵抗感を持つのであれば、
こう考えてみてはいかがですか?

自分のなかの本尊に対する信仰心さえ揺るぎなければいいんだ、と。

学会から離れてみて、わかることはたくさんあると思います。
しかし、しゅーさんにとって大切なのは、自分自身の信仰を保つ事。
それであれば、その気持ちさえ離れなければ、自分の中の柱は揺るがないと思います。
創価学会を拝んでいるわけではないのですからね(^^)
大切なのは、自分の気持ちです。
創価学会でも他の誰でもない、自分の気持ちです。

なんだか私も感情のまま書いてしまいましたが・・・(すみません)
皆さんにも聞いて欲しくて、書いてしまいました。

今日は天気が良い土曜日!
心もこの空のように澄みきって過ごしたいですね(^^)


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こんにちは、キヨです。
コメント読ませて頂いております!
コメントとても嬉しいです、どうもありがとうございます!

ゴールデンウィークも終わり、また仕事に追われる日がやってくるぞ~!と
意気込んでいましたが、そんなに忙しくもなく、あれ??と拍子抜けしています(^_^;)
たまにはのんびり仕事もいいものだな~と気楽なキヨですが、今日はこんなタイトルで。

”学会に不信感を抱くきっかけ”

私が学会に不信感を抱いたのは、女子部の先輩の言動でした。
(詳しくは 私が学会をやめるきっかけ にて)

良い結果=功徳
悪い結果=信心不足・魔


どう考えても=(イコール)にはならないようなことが学会では当たり前という事実。
でもここで皆さんにわかってほしいことは、
このイコールの関係が悪いことだ!!とは私は思っていないのです。
なにが悪いかっていうのは、

このイコールの関係を、他人にも強要すること

だと思っています。
私も最近よく思うんです。
例えば、以前私がおみくじを引いた時こんなことが書いてありました。
”どんなに仕事が忙しくても、辛くても、心はいつも平穏に、豊かに心がけていきましょう”
このおみくじを引いた時、本当に仕事が忙しくてやっと取れた休みでした。
そして疲れきっていた私の心に、とても染みる言葉でした。

何が言いたいのかと言うと、あまりにもおみくじの内容が自分の生活とリンクしていたので、
”ああ~~神様はやっぱりどこかで見ててくれるんだな~”となんだか嬉しい気持ちに。
良いことをすれば良い事が、悪いことをすれば悪いことが自分には返ってくる、
神様を信じているわけではないけれど、
こんなジンクスみたいな感覚が、私の中にはあります。

だけれど、これを他人に押し付けることはしたくないですし、するべきだとも思いません。
他人の努力や結果を、何かの天秤にかけて評価したり、
それを、信心頑張った功徳だよ!と言ったり・・・

この”信心の功徳だよ”という言葉は、私も数え切れないほど言われたのですが、
正直かなり傷つきます・・・
バリ活の時は、うんうん、と素直に受け入れられたのですが、
この言葉を受け入れれば受け入れるほど、違和感が生まれました。

良い結果(結果的に良くなった結果も)を功徳と思うことは自由ですよね。
それでまた頑張れるのであれば、それは私の持っているジンクスみたいなものです。

私の母親もよく言うのですが、どうやら私が就職できたのは
学生時代に信心を頑張ったからだそうです。
女子部で頑張った時期があったから、就職できたと実家へ帰る度に言われます(本当に)。
あんたの努力もそうだけれど・・・やっぱり女子部の時に闘った功徳だわ!と・・・
やっぱりって何っ!!って思います。

学会の方は、本当に信仰の功徳だと思っています。
そう思う事がいけないことではありません。
でも、言葉の重みをわかってほしい。

言葉って、本当に凄い力を持っていると思うんです。
小さい頃に言われた何気ない一言を、ずっと覚えていることとかありませんか?

何でもかんでも功徳で終わらせようとする。
学会の人は、きっとその人の努力も評価しているよと言うと思います。
全てが信仰の結果ではない、あなたの努力も素晴らしいと・・・
でも、実際に聞く言葉は、

”大学に合格した!これは功徳だ!”
”仕事が上手くいった、功徳って素晴らしい!”
”悩みが解決した!真剣に祈った功徳だ!”

こんな言葉ばかりです。

自分の努力を、信仰のオブラートに包むことなく、いっぱい褒めてあげたらいいと思うんです。
素直に、率直に。
だって一番頑張ったのは、あなた自身なのですから(^_^)
自分さえ褒められない人に、他人を褒める事なんてできるのでしょうか?

繰り返しになりますが、

私は、努力が一番自分を裏切らないと思っています。

努力は自分を裏切らない

信仰は自分を裏切らない

前者の言葉が、私には真理です。




こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

キヨ

Author:キヨ
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