創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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みなさんこんにちは、お久しぶりです。
最近は定時で仕事を上がれることがあるので、夕飯を作れるぐらいの余裕ができました。
日々楽しく頑張っております。皆さんはお元気でしょうか・・・?
さて、今日は私にとっての宗教とは、という内容でお話しします。

とある学会員さんから、とても共感できるコメントを頂きました。
非公開ですので内容を詳しくお話しすることはできませんが、
一部紹介したいと思います。

その方は、活動を続ける理由をこんな風に表現していました。

「亡くなった方のご供養と、功徳に対する感謝の気持ち」

日本人の多くは例え無宗教であっても、墓前に立てば手を合わせ、祈ります。
私は霊魂や生まれ変わりなど死後の世界を信じていませんし、墓前に立ってもそこに大切な人が眠っているとは思いません。

では、なぜ私は祈るのか?
私が手を合わせて祈る理由は、亡くなった方を忘れず、想い続けるために行う自分への戒めの意味があります。
自分がお世話になった人、尊敬してた人、愛していた人、人それぞれ想いがあり、
自分を支えてくれた大切な人を生涯忘れないようにするため、祈ります。
この学会員の方も、常に亡くなった方への感謝の気持ちを持ち、敬意を払い活動しているのだと思います。

そして、この信心の中で「功徳」と呼ばれるものに出会い、実感していった。
この学会員さんは、しつこい布教活動をしていません。
それは、今の学会の体制に何らかの疑問があるからだと思います。

信仰に励み、功徳を感じ、それによって自分の生活にやりがいが出てくる、これはとても良いことだと思います。
何を功徳と感じるかは主観的な問題ですし、その人なりの感じ方を大切にすべきだと思います。
大切なのは、宗教とは他人に迷惑をかけてまですることなのか?ということ。
しつこい新聞啓蒙・折伏・選挙活動など、人にとよっては不快に感じることを、
ちゃんと「迷惑をかけてしまっている」と認識でき、防止できるかどうかが、大切なことだと思います。

私は人生において宗教に重きを置いていないですが、これから何かの信仰をするかもしれない。
創価学会の信仰をまたするかもしれないし、しないかもしれない。

それは誰にも分からないし、誰かに強要されるべきものでもありません。

自分で考え、自分の生き方を摸索していく。
宗教をその中で必要と思えば、いつでもできる。

私がこのようなブログを作り様々な方とお話しているのは、
自分の生き方そのものを振り返ることにも繋がります。
そして、これっておかしいよね?と思うことが、果たして皆も感じているのだろうか・・・
もしかしたら私だけではないのか・・・という不安も解消してくれました。
ここへ来てコメントしてくださる人も、同じような体験をしている人が多いことに、
驚きと、そして安心感があるのではないでしょうか。

それに、「こんなブログにきて、悩んでいることを吐き出しても何もならない、もっと組織にぶつけないと駄目だ」
と主張する学会員さんがとても多い。しかしその言葉は、私にはとても他人事のように聞こえる。
イジメられている人に向かって、「イジメられる側にも責任がある」と言っているように私には聞こえます。
悩んでいる人はギリギリまで追い詰められ、まさに今崖っぷちに立たされているということを知ってほしい。
なぜこの場で発言するのかを、真剣に考えてほしい。

宗教の問題はとどまる事無く、増え続けているように感じます。
まだまだ色々な問題が出てくるかと思いますが、前向きに、そして真剣に、これからも考えていきたいですね。

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こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

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