創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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(まだまだ結婚は先ですが)
先々週彼と一緒にウェディングフェアへ行ってきました。
将来に向けて貯蓄も必要ですし、本格的に見積もりを出してもらおうと
行ったのですがやはり結婚式は高いですね(^_^;)
頑張って貯金したいと思います(@_@)

ちなみに私と彼は教会式を希望していますので、
人前式(結婚式に来てくれた人に誓う)や神前式(神に誓う)ではありません。
私としては本格的な教会で挙げたいのですが、
(ホテルチャペルは小規模なためいまいち雰囲気が乏しい感じが・・・)
やはり遠方から来てくださる人を考えるとホテルウェディングが・・・と上手く行きません(^_^;)
これから色々悩むんだろうな~と考えると楽しみな反面恐ろしいです。

では、今回のテーマですが、
「創価学会式結婚式」です。

私自身は学会式の結婚式に出席したことは無いのですが、
学会員時代に聞いた話と、ネットで調べた範囲での知識ですがここに載せたいと思います。
(あくまでも参考程度にしてくださいね、私は実際出席したわけではないので(^_^;))

まず、学会員時代に聞いた話で私が持っていた知識では、

1、創価学会の会館で挙げる。
2、御本尊の前で指輪の交換をする。
3、お経をあげる。
4、婦人部やら壮年部やらの偉い幹部さん方が
  何やら大勢でお祝いしてくれる。(お話も有り)
5、大体30分ぐらいで終了する。

とういう感じでした。
ネットで調べた限りでは、以下のような式次第らしいです。

1、新郎新婦入場
2、方便品、寿量品の読受
3、親族固めの杯
4、三々九度
5、指輪交換
6、祝いの言葉

(4の三々九度ですが、これは献杯の礼で一杯のお酒を三口で飲む行事です。)

大体30分ぐらいで終了するらしです。
費用もかからず(お礼で何千円か包むぐらいらしいですよ)
ただ友達は呼びにくいので別に披露宴が必要ですね。
内輪でやりたい学会員さん同士ならピッタリではないでしょうか。
ただ・・・どちらかが学会員でこの式をあげるのには
色々と問題が発生しそうです。


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試験も無事(?)終りました(^^)
応援してくださった方々、どうもありがとうございました(^^)
いや~でも正直難しかったです・・・(*_*;)
試験が終わってちょっと気が抜けているのですが、
やらねばならないことが多く残っているので
また気合を入れていきたいと思います。
これからもよろしくお願いします(^^)

さて、学会時代のことを思い出したのですが、
とある小規模な会合へ行き、一人一人が近況報告をしてた時のこと。
その時は大きな選挙が終わってほっと一息ついた時期でした。

    ******************

Aさん「頑張ってお客さんに選挙頼めました・・・本当に良かったです。」
(Aさんはショップ店員でした)

Bさん「それは素晴らしいね!自分の職場から輪を広げるのは大切よね。」

Aさん「はい・・・(涙ぐみながら)。仕事も辛かったですが、皆さんに支えられて
    ここまでくることができて本当に嬉しいです。」

Bさん「頑張った分仕事にもちゃんと活きるよ!!おめでとう!!」
(Bさんも涙ぐみながら激励)

    ******************

この会話途中私は「お客に頼むの!?」と思わず突っ込みそうになりましたが
「凄いなあ・・・よく勇気あるな」と感心してしまいました。
私なら洋服を買いに行って店員から選挙頼まれたら
仲良かろうが正直引いちゃいます。
それで快諾してしまった日には次のステップ「新聞啓蒙」「折伏」と
続いてしまう気がするのでそのお店には行かなくなるでしょう。

Aさんが純粋に「日本を良くしたい!!」と思って頑張っている姿は、
私は素直に凄いな、と思います。
Aさんは本気で「選挙や新聞啓蒙や折伏をすることが世界平和に繋がる」
と考えているのです。純粋で、まっすぐで、一生懸命で、
友達としてはとても良い人なのですが、そこに「創価学会」が入り込むと
普段おとなしい彼女も「池田先生は素晴らしいんだよ!!」と
まるで別人のような姿になります。

普段の彼女とは違う一面が、はっきりと見えてしまうのです。
そしてそれは、外部から見るととても異様に映るものです。

私は外部から異様な目で見られていることも知っていました。
しかし、自分は正しいんだと思っていました。
「周りの外部はいつかわかる時がくる・・・」と。

「だって創価学会は絶対に正しいもの。」
そう純粋に思っていた時期が、本当に無知だったなあ・・・と
深く考えさせられる日々です。

皆さんこんにちは!

今回はマインドコントロールについてです。

久しぶりに会った学生時代の友人が・・・・
という話は私の周りでもよく聞く話です。
「なんであの人が!?」と思うことも多々有ります。
人の性格は、マインドコントロールにはあまり関係がないのかもしれません。

まず、マインドコントロールとは何か。

『強制によらず、さも自分の意思で選択したかのように、
あらかじめ決められた結論へと誘導する技術、またその行為のこと。』
                         (ウィキペディア参照)

(ここが洗脳と違うところですね。
洗脳は『物理的暴力あるいは精神的圧迫などの強い外圧がある』ことです。)

ネットで色々調べていたのですが、
全体的にとても共感できる記事があったのでここで紹介させて頂きます。
参考URLはこちらです。(尚、以下の引用部分は青文字で表します)

マインドコントロール下にあっても、自分がやっていることが一般常識から
見たら異常なことだろうな、ということは認識できる。
のみならず、救出のために 説得された時、相手の言っている論理も理解できる。
理解はできるのだが、 自分の世界観のほうにより
価値を置いてしまっているため、行動を変えようとは思わないのだ。

よく「なんで?そこまで解っているのに間違いがわからないの!?」
という状況がありますが、自分の世界観に価値を置いてしまっているのですね。

例えば、「仏罰があたる」という気持ちに対して、私達は相手に対して
「仏罰なんてあるわけないじゃん!もう少し客観的に考えようよ。」と
言うと思います。が、本人にとってみれば「そうなんだけど・・なんだか怖い。」
という反応がほぼ間違いなく返ってきます。
本人は「仏罰があたる世界観に価値を置いてしまっている」のですね。

下記の工程はマインドコントロールに徐々にかかっていく
順序が書かれています。

少しだけ、本人の持っている価値観(ものの見方、スキーマ)を揺らす。
壊すのではなく、「そんな考えも あるのかあ」と匂わせるくらい。
                  ↓
その揺れが戻らないうちに、そちらの考え方を 強化する方向で
ちょっとした経験をさせる。「ふーん、こういうこともあり得るかもね」。
好奇心をかきたてる。
                  ↓
「もうちょっとやってみて、本当にこの考えが正しいか確かめてみようかな」。
時々、答えを得るためにコミットメントが必要な関門が設けてある
(例えば高額のセミナーとか)。
                  ↓
「いや、別に全面的に信じてるわけじゃないんだが、
その可能性を確かめるためにも 体験してみるしかないかな」。
                  ↓
一回コミットしてしまうと、受ける前に感じた疑問は 忘れてしまう。
                  ↓
「思ったほど変では無いな。半分は間違いだとしても、
何か得るものがあるかもしれない。
本当に間違いだと分かったらいつでも止められるし」。
そうやって、ごく僅かづつ、価値観をずらしてゆくのだ。。


この工程を読んで、私はとても恐ろしくなりました。
普通に日常生活で行われていることだと思ったからです。
最初は疑問を持ち、否定的だったとしても、やり方によっては
「何か得るものがあるかもしれない。」とまで変わってしまう・・・
もしその対象が社会的に見てとても恐ろしい団体だったら・・・

マインドコントロールには一度はまると、 まず自分一人で脱出するのは無理である。
しかし、マインドコントロールを行う集団以外の場所で人と多く接し
議論する場があると、集団の方針を検証することができる。
内省のフィードバックサイクルとは別に、「この行為によって、社会にどのような
影響を実際与えたのか」を考えることができる。
いくら理念が崇高でも、結果が出なければ空論に過ぎない。
そこに気づけるかどうかが運命の別れ道のように思える。


一人で脱出しようと思うこと自体がまず無理なのでしょう。
友人でも家族でもネットの世界でも、その集団以外の場所で
話し、議論し合うことが一番の近道だと私も思います。
同じ組織の中で相手を論破しようと考えるのは非常に危険です。

自分の心が操られていたことを認めるのは、かなり抵抗がある。
他に影響されず自分の人生を自分で決めて行動できる人は「強い人」であり、
他人に心理的に依存しなければ生きてゆけない人は「弱い人」である、
という価値観は広く受け入れられているからだ。
マインドコントロール下にある人も、その価値観に縛られている。
本人は、自分で決めていると信じているからだ。
そして、「指導者(教祖、グル)に依存しているのだろう」という周囲の声を笑い飛ばす。
君達こそ、目に見えない社会常識とかいうものに依存しているんじゃないか、と。

あくまでも自分で決め、行動していると思っている、けれども実際は
「そういう行動をとるように仕向けられた」というのが正しいと思います。
非常に日常生活と密接に絡んでいるマインドコントロール。
決して特別なことではなく、当たり前のように社会に浸透している事実、
自分が「私はそんなのに引っかからないよ」と言っているのは
「私は癌なんかにならないよ」と言っているようなものであり、
その言葉の根拠は何も無いのです。

こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

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Author:キヨ
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