創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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みなさんこんにちは!

試験までもう少し!
(ってまだ試験終わってないの!?と突っ込まないでくださいね)
なんだかテーマが学校の道徳みたいですが、
今日は「考える重大さ」がテーマです。

私達は日々生活する中で、何らかの情報を仕入れ、
それを自分の判断基準にし活動しています。

例えば、
”○○本日限り大特価!!”というチラシを見て買い物に行く。
テレビでお天気情報をチェックしてから出かける。
友達が面白いと言っていた漫画を立ち読みしに行く。
などなど、何らかの情報を手に入れ、それを自分の中で消化し、
「それは自分にとって有益か無益か」を判断しています。

ここで大切なのは、その情報は果たして本当に自分にとって有益かどうか。
本当に自分のためになるのか、ですね。
そしてもう一つ、ちゃんと自分で納得しているかどうかです。

私は元々大雑把な性格で、いいんじゃない?と思った程度で
物事を実行しているタイプでした。(これは危ない・・・)
私の彼は物凄い慎重派、自分が納得するまでとことん調べるタイプです。
彼の性格の影響もあり、私はもう少し慎重にならなきゃ・・・
と思わされる日々です(^_^;)

物事を深く考えない癖が植わっていると、
宗教においてとても厄介になってきます。
そして、それを治そうと思った時にとても苦労します(^_^;)
(今まで考えていなかった分とても疲れます)

学会員を例にとって考えてみましょう。

まず創価学会員にとって、学会以外の宗教では幸せになれません。
池田大作氏の言葉が絶対的真理を持ち、それを否定することは有り得ません。
新聞啓蒙・折伏・選挙活動・財務、これらをすればする程功徳があります。
自分の信仰心を揺るがすものは全て「魔」です。
祈りが叶わないことは無い、叶わないことは「叶うまで」祈るのです。
一家和楽の信心(家族全員学会員)でないと幸せになれません。

このような価値観が根底に植えついている中で、
様々な人の価値観を寛容に受け入れられることができるでしょうか?
私は正直とてもそうは思えません。
そして自分の行動を客観視し、その行動が果たして自分にとって
「有益なのか」をしっかりと判断できるとも思えません。

思考がストップする時、その人から新しい価値観は生まれません。
考えなくなった時、そこから先は闇の中です。
「なんで?どうして?」と考えることが、この闇を振り払い、
新たな価値観を創造することに繋がるのではないでしょうか。

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皆さんこんにちは!

自宅のカレンダーを眺めていて、もう11月も終わるのかあ・・・と、
時が経つのがすごく早く感じました。
つい先日物件を探しに歩き回っていたのに・・・という感じです。

今日は先日彼と話していたことについて少し書きたいと思います。

電車の中で新・人間革命17巻の広告を発見。
そこに書いてあったキャッチフレーズ。

『自分が変われば世界は変わる』(だったと思います・・・・)

これを見てちょっと話しました。

  ******************* 

キヨ「自分が変われば世界は変わるなんて有りえないよ。
   だって、私が変わっても世界なんて革命できないもん。」
(我ながら幼稚な意見だ・・・)

彼「いや、自分が変われば世界は変わる。」

キヨ「え?なんで?」

彼「世界中を青くしたければ、全てのものに青ペンキを塗るなんて
  時間や手間のかかることをするのではなくて、
  自分が青いサングラスをかければいい。
  幸せになりたければ、自分の脳をいじって
  幸せと感じる感覚に強制的にすればいい。
  世界を変えようなんてするのではなくて、自分が変わればいいんだよ。」

  ******************* 

自分が革命家になって世界を変えようなんて思うよりも、
自分の見方が変われば世界は変わる。
なるほど。それなら確かに「自分が変われば世界は変わる」ことになりますね。

バカの壁に書いてあったことを思い出しました。
『例えば君が病気になったとして余命何ヶ月と宣告されたとしよう。
 そしたらあそこに見える桜の木が違って見えるはずだ。
 では、桜が変わったのか?それは、自分が変わったにすぎない。』

自分が変われば世界は変わる。
果たして電車の広告では、どのような意味で使われていたのでしょうか。

みなさんこんばんは!

少々コメントが白熱気味ですが、皆様に読んで頂きたいコメントの
流れでしたので記事に致します。
私とナカチャンさんのとのやりとりです。
皆様がお読みになってどう感じるかは、皆様次第です。

私はもうナカチャンさんにはコメントを返す気はないので、
それをご了承の上お読みになり、コメントしてくださる方はして頂きたいです。

尚、記事の本文を読まなくても(少々長いので)
コメントを読むだけでもやりとりの内容は理解できると思います。
コメントは下が古く一番上が新しいコメントになります。

「相対的幸福」と「絶対的幸福」記事とコメント全文

※私は学会員さんとのやりとりをできるだけ削除したくありません。
私以外への誹謗・中傷は削除対象となりますのでコメント時にはご注意ください。
また、コメント時には不特定多数の方が読んでいるということも
しっかりと意識し、コメントをお願いいたします。

みなさんこんにちは!
最近更新が遅いですが、ちゃんとコメントとメッセージは
毎日チェックしていますのでどんどんコメントしてくださいね。

大切な資格試験も近づいて参りました。
勉強すればするほど不安が大きくなってくるのがわかります。
でもやはりこの不安を埋めるのが勉強なんですよね。
頑張って合格したいと思います(^^)

さて、本題に入りたいと思います。

先日、母から電話があり、私の親友のお母様が
病気でお亡くなりになったと聞きました。
私の親友が私の母に連絡するとは思えないので、
「亡くなったって誰から聞いたの?」と母に聞くと、
「本幹(月一回の大規模な会合)で友達から聞いたの。」と言われました。
そして母は続けてこう言ったのです。

「成仏できないから可哀想ね。」

私は「はい??」と意味わからず聞いてしまいました。
そして母はこう言ったのです。

「最後まで学会をかなり反対していたからね。」

私はこの言葉を聞いて、とても悲しくなりました。
私の親友のお母様は、お亡くなりになってからも
学会員の間で「成仏できない、反対していたからだ」と言われているのだと・・・

私は返す言葉も出てきませんでした。

病気で相当お辛かったのに、一生懸命働いていたそうです。
病状は伏せますが、私は凄く立派なお母様だと思います。
親友もとても優しい子ですし、凄く頑張っている姿も私は見ていました。
私にも弱音を吐かず、その強さはお母様譲りなのかもしれません。

お亡くなりになってから「反対していたから成仏できない」なんて、
言うべきことではないと思うのです。
その方の人生の一体何を知って、その言葉が出てくるのかがわかりません。

親友のお母様、本当にお疲れ様でした。
ご冥福を心からお祈りいたします。
ゆっくりお休みください。

キヨ

皆さんこんにちは!
本日は子供の入会についてです。

2世・3世と呼ばれる、いわゆる約生まれて約一ヵ月後に
創価学会に入会させられる福子(ふくし)。
福子は幼い時から会合へ連れてかれ、
両親から学会の素晴らしさを教えられます。

両親が創価学会の場合、それがある程度の活動家ならば
子供はほぼ100%に近い割合で入会になります。
正直に言いますと、この状況はどうしようもないよいうか・・・
両親がバリ活の時は運命だと思うしかないと私は思っています。

また、母親が活動家で父親が無宗教の場合。
このケースが結構多いのですが、絶対にしてはいけないのが
「大きくなってから子供に選択させればいい、だから今は入会させない」
という約束をお互いしてしまうことです。

なぜいけないのか?
私も活動家の時に彼に言ったことがあります。
彼は「それは無責任だ」と私に言いました。
最近になってその言葉の意味がわかるようになったのですが、
まず、母親が活動家の場合子供にとって以下の点が考えられます。

(母親は専業主婦(またはパート)、父親はサラリーマンの設定)
1、母親が勤行している姿を見る
2、母親が会合へ行くのに一緒についていく
3、学会の書物・新聞が目に付くところに置いてある
4、母親が他の学会員と交流している姿を見る
5、母親が子供に学会の話をする

これらの状況が幼い時からずっと継続し、成長した時に
子供が創価学会について客観的に判断できるでしょうか?
母親が活動家ならば、子供には学会に入ってほしいという
気持ちがとても強いと思います。
母親は子供の前で学会賛美を言いつづけ、
それを聞かされている子供は学会をどう思うでしょうか?
私は、もうそれは入信していないという形式だけにすぎず、
価値観は創価学会に充分染まっていると思います。

いくら母親と父親が「子供に決めさせよう」と思っても、
子供に決断を求めるのはあまりにも不公平な要素が
多するのではないでしょうか。
最終的に子供が創価学会を選択したとして、
「大きくなって学会に入ると決断したのならそれはしょうがない」
と父親が言ったとしても、子供が学会を選ぶのは充分予測できることです。

私は、今まで子供に関してはかなりの放任主義だったと思います。
しかし、子供はある程度親が面倒を見て、道を与えなければ
ならないと気付きました。自分で何でも選ばせようという考え方は、
一見とても子供の意思を尊重してるようですがそれは逆で、
ある程度道を作り、選択できるようになるまで成長してから
選ばせることが大事なんだと思いました。

宗教は一生を左右するものです。
創価学会なら尚さらだと私は思っています。
子供の生きる道を、簡単に「生まれたから入会させよう」
「将来子供に任せればいい」と決断してほしくないのです。
もう少し広い視野で、客観的に子供の幸せを見ることが
大切なのではないでしょうか・・・

こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

キヨ

Author:キヨ
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