創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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みなさんこんにちは!
様々な方のコメントやメールを読ませて頂く中で、
やはり創価学会は精神的に負担になるものだと私は強く感じています。

最近はブログというアウトプットできる場があるので、
ある程度気持ちが固まっている人はブログを立ち上げることができます。
しかし、なぜブログを立ち上げる必要があるのか?
これを考えた時やはり大きなポイントは、

○同じ悩みを共有し、何らかの解決策を見出したい
○経験した人の話を聞きたい

上記2点だと私は思います。
精神的・肉体的に負担がかかりやすい「宗教」という問題。
私達日本人は外国の人と違い、宗教が直接毎日の生活に
関わってくることが少ないと思います。無宗教の人にとってみれば
食事の前のお祈りもしないし、御参りも一種のイベントです。

よく母が言っていました。

「自分の宗教を問われて答えられないのは日本人ぐらいだよ。
 それだけ日本は遅れているということなんだよ。」

私は決してそうは思いません。

信仰する自由があるのならば、
信仰しない自由もあるべきだと思います。


特定の信仰対象(宗教)を持っていないことは、
決して恥じることでも悪いことでもありません。
自分の宗教を知らなくても、一生懸命生きていれば
それだけで素晴らしいことではないでしょうか。

私は、このブログを読んでくださっている人に向けて
いつも「無理だけは絶対にしないで下さい」と言っています。
なぜなら、宗教の問題は冷静になって考えなければ
言い方は悪いですがある意味自傷行為になります。
どんどん深みにはまって抜け出せなくなってしまいます。
果てには精神的病にかかったり、体調を崩したりすることになりかねません。

宗教という理解できない次元の話になると、
普段より一層精神的負担が大きいかと思います。
答えが見いだせなくても、人に話すことで楽になることもあります。
私のブログの他にも、とても素晴らしいブログがたくさんあります。
是非リンクしてあるブログなども読んでみて下さい。

苦しいということは、あなたは既に充分考えているということなのですから。

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学会員の人は「正義は弾圧される」と言って、
創価学会がバッシングされていることを正当化している傾向があります。

『弾圧されるのは「難」であって、
真の法華経を流布する者の宿命だ』

極端に正当化しすぎているように思えます。
なぜ「難」なのかをちゃんと説明してほしいものです。
「御書にそう書いてあるから」は通用しませんね。
そんなことを言ったら余計バッシングされる理由を作ってしまうだけですから。

正論を言っている人が弾圧されるのはよくわかります。
やはりこの社会で何が正しいか、正しくないかを追及すれば、
自然にそれを押さえつけようとする力は出てくるでしょう。

しかし、正論を言っている人には必ず「味方」ができるのです。
どんなに弾圧されようと、必ずできます。


創価学会はどうでしょうか?
外部で学会のバッシングを守ってくれる人は多いですか?
学会の精神・価値観・教義を知った上で、
見返りを求めず全面的に協力してくれる人が多いでしょうか。

私はそう思いません。
学会・または学会系列内部で自分たちを守っているだけに見えます。

なぜ弾圧され、バッシングされるのか。

これをちゃんと考える学会員が少なすぎると思います。
盲目的に「学会は正しい」と思い込んでしまっているのです。
それに、「頭ではわかっているけど・・・」では何も解決しません。
どうしたら良いのかを話し合い、行動に移すことが必要ではないでしょうか。

こういうブログをやっていると、よく言われることがあります。
学会員の方から言われるのですが、

「キヨさんは真の功徳を受けたことが無いから
 この仏法の確信が掴めなかったんだ。」 と。

う~ん・・・こんなことを言ってくれるが優しさなのか
ただの忠告なのか捨て台詞なのかわからないのですが、

そもそも、真の功徳って何でしょうか?

かなりの疑問です。
これは考える価値があるかも・・・と思って考えてみました。

まず、真とは何か。
電子辞書常備なので早速引いてみます。(大辞林参照)

○真・・・まこと。本当。ほんもの。真実。真正。真理。真剣なこと。

ふむふむ。では功徳とは何か。

○功徳・・・良い果報(幸せなさま)を得られるような善行。
      以前に良いことをしたために、実現した良い報い。

ちょっと書いていて思ったのですが、とても変ですね。
この二つの単語は、組み合わせることができないのではないか?
と今思いました。
なぜなら、「本物の良い幸せなさま(果報)」なんて、
この世に存在しないですし、誰が「これは真の功徳だあ!」と
他人の功徳について言えるでしょうか?

では仮に、宝くじ3億円が当選したとしましょう。
学会員の人は決まってその時は「功徳だね!」と言うと思いますが、
そのお金で遊びほうけて信心が疎かになったとしたら
結局「魔が入って信心が疎かになった」と言うでしょう。
功徳だね、と言っている時もあれば、魔だと言う時もある。
真の功徳は、そんなにも曖昧なものなのでしょうか?
真は、真理。真理とは誰も否定することができない事実なのです。

「真の功徳を受けたことが無い」なんて
他人に言えないことがわかったところでこの話題は終了!?
となってしまうのも勿体無いので、後半の「仏法の確信」について
ちょっと書きたいと思います。

仏法の確信、はい、掴めていますよ。

「この仏法では私は幸せになれない」

という確信を。

「キヨはそんなに御書について学んでいないでしょ、
 そんなことは言えないはずだよ。」

と言われるかもしれませんが、
ではあなたは、

仏法の確信は、ここまで御書(仏法)を勉強すれば
掴めるという基準があるのですか?
それに、あなたは仏法の確信を掴んでいる人にも、
「あなたはまだ御書(仏法)を充分に勉強していない、
もっと勉強しなさい。」と言えるのですか?

要するに、学会で言う「仏法の確信」の基準は、
「どんな難があっても学会を信じぬく強い信念があるか、ないか」
ではないでしょうか?

私には、
「どれだけ強くマインドコントロールされているか、いないか」
に聞こえてしょうがないのですが・・・

以前テレビを見ていたら、公明党支持者がこんなことを言っていました。

記者「指示している政党はどちらですか?」

学会員(婦人部)「公明党です。生まれた時からずっと!!」

生まれた時から公明党支持って・・・(^_^;)
あなたは政策とか一切関係なく公明党支援しているのですか?
と本気で思いました。こういう言い方をするから、
創価学会は妄信的と言われるのだとわかってないのでしょうか。

そもそも、生まれた時から公明党支持って・・・
公明党結成年が1964年なので、その主婦の方が現在50歳だとして
生まれたのが1957年。残念ながら生まれた時に公明党はありません。
40歳と見ても(失礼ですが40歳には見えません)、その人は
1967年生まれで、公明党結成時はなんと3歳です。
そんな幼い頃から公明党支持だとは驚きです。

上の言葉が表していますが、

「私は生まれた時から創価学会だから公明党を支持しているのよ。」

と言っているも同然です。
そういう「生まれた時から支援信者」が多いのは・・・とても問題ですね。
自分の両親がが公明党議員だから生まれた時から支援先は決まっている、
というのであればまだ納得ですが、今はほぼ自分の意思で投票先を
決められますからね。

政教一致ではないと言っていますが、
残念ながら大多数の人間が「政教一致である」と思っているのが現状です。
いくら憲法に違反していないからと主張したとしても、
それは余計に反感を買うだけだということです。
憲法に違反していなければ何やってもいいのか、
ということになってきますからね。

公明党の支持母体である創価学会。
公明党を勉強するのではなく、まずは創価学会をもう少し
勉強する必要が、私にも学会員にも必要な気がします。

先日彼にこのブログの存在を遂に教えました!
え?教えてなかったの?と思われるかもしれませんが、
正直・・・

怖かったのです。

うん、怖かった・・・。

彼は創価学会のこと好きじゃないので、
嫌な顔されるかなって思っていて言えなかったのです。
が、世界中に公開している時点で恥ずかしいとか言っている
のが有得ない!とか思って言ってしまいました。

内心ビクビク・・・

でも、反応は意外で

「キヨも文章書けるようになったね~。」
と誉めて(?)くれました。

正直、私は文章がかなり下手なので
今も本や討論版などを読み勉強中です。

彼は私とは正反対で、彼は討論時などは持ち前の才能を発揮します。
なので彼を論破したことなど一度もありません・・・(@_@;)
私のささいな夢は、チェスで彼を負かすこと。
1回も本気勝負で勝ったことが無く諦めかけているのが現状ですが、
地道に携帯アプリで特訓しています・・・(;´∀`)

話がそれてしまいましたが、
ひとまず報告(これが報告(@_@;)!?)でした。


皆さんこんにちは!

先日ノーベル平和賞が発表されましたね。
今年はアル・ゴアさんが受賞されましたが、
そもそもノーベル平和賞とは何か?
平和活動したからもらえるものなのか?
ウィキペデア情報によりますと、

多国間の友好、軍備の廃絶・削減、平和交渉の進行の
いずれかに大きな貢献のあったとされる人物・団体に与えられる(期待も含む)。

ということです。
なんでこのテーマを取り上げたかというと、
とあるサイトで学会員らしき人が本気で、

「池田先生はノーベル平和賞を辞退されたのです。
 知らないのは日本人だけですよ。」

という発言をしていました。

ええ(°◇°;)!?辞退したあ!?
そんな情報まったく知りませんし、もちろん信じていませんが、
何を根拠に「辞退した」と言っているのか。
辞退したら絶対にニュースになります、特に池田氏ならば。
私自身調べても、「辞退した」という有力な情報は見つかりませんでした。

それに、こんなこと言っている学会員の方もいました。

「池田先生はノーベル平和賞をもらえるだけの理由が充分ある。」

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その充分な理由とやらを聞くと、
「世界中の教育者・哲学者と対談して文化・平和への貢献」と決まって言います。
この答えの中に具体性が含まれているのなら教えてもらいたいです。
文化・平和への貢献とは、一体何をしたのかを、
また、その確かなソースを明確に提示していただけたらと思います。

はっきり言いますが、世界中の哲学者、教育者と対談し、
称号をもらうことによってノーベル平和賞はもらえません。
国際紛争を解決したり、直接的に平和への貢献をしなければなりません。
それに、日本人は見識が狭いから池田氏を受け入れられないと言いますが、
海外からもし絶大な信頼をされているのならば、
それがなぜ日本に伝わらないのでしょうか?
鎖国じゃないのですから、海外からの賞賛が絶えなければ
耳に自然と入ってくると思います。

「学会の書物の中でこの人が賞賛していた」
という情報には信憑性が全く無いので、
その人のホームページにちゃんと明記されているか、
または直接問い合わせて聞いてみることが必要になってきます。
また、本当に池田氏を「賞賛」しているのかどうか、
援助してくれた見返りに称号を与えていないか。

よく話題になるのが「国連平和賞」ですよね。
学会員の方は「遂に国連が先生を認めた!世界が認めた!」
と言っていましたが、本当に国連から発行され、
それは世界的にも認められている賞なのでしょうか。

「国連平和賞」と検索してみましょう。
私はいつもgoogleを使っているので、調べてみます。
まずトップに出てくるのは、ウィキペディア情報です。
しかしこの中では・・・

「国際連合が発行していると一部で主張されている賞」

と書いてあります。
ん?一部で主張されている賞?

続いて他の記事を見ていきます。
国連が発行していると思いきや、その有力な情報は得られず。
2番目にきた検索結果は”特集/池田大作/「称号・賞獲り」のカラクリ”
というページ。だんだんと国連が発行した、という情報は
信憑性が無くなってきました。

国連が発行し、世界的に認められている賞ならば、
検索にヒットしないわけがないのです。

このように、ちゃんとどのような賞か調べもせずに
「国連が遂に池田先生を認めた」なんて言うべきではありあません。
自分の尊敬する人のことぐらいは、ちゃんと調べておいたほうが
いいですね。

皆さんこんにちは!
今回は前回の記事へコメントしてくださいました
たまさんからの提案で、『なぜ「脱会者は地獄に落ちる!!」のか』
というテーマについて皆さんで意見交換したいなと思います。
コメントできる方はして下さると非常に嬉しいです!

まず、ここで意見交換しようとしている前に明確にしなければならない、
また方向性を一つに絞らないといけない点があります。
それは、

地獄とは、現世でのことをいうのか、死後の世界のことをいうのか

です。
現世での地獄とは、例えば生きている時に借金地獄になったり
交通事故にあったり、その人の生きている環境が地獄のような
苦しみになるということです。
死後の世界での地獄というのは、一般人がすぐ想像する
生きていた時に何か悪いことをして、死んだ後苦しみの地獄へ
強制連行される、というものです。

どちらの地獄で意見交換するのかを決めなくてはなりません。
また、その両方を言っているのか、です。

以前の記事で地獄や仏罰については触れています。
(『地獄へ落ちる!?』『仏罰は果たして存在するのか』など)

今回は仏罰に注目して、
『現世(今生きているこの世界)での地獄』
として意見交換をしたいと思います。


なので、テーマとしては、

『創価学会脱会者は果たしてその脱会行為により
 現世での生活が地獄のようになってしまうか、否か』

というテーマに絞りたいと思います。

では、前置きが長くなってしまいましたが、
私の意見を書きたいと思います。

********************
<管理人:キヨの意見>

私は、結論から言うと創価学会を脱会した行為によって
今生きている生活が地獄のように悪化してしまうとは思いません。
その脱会した行為が直接の原因になり生活に支障がでる、
とは考えにくいからです。

脱会者は地獄に落ちる、としたら、
今まで脱会した膨大な学会員は一人残らず地獄の苦しみを
味わっていないとおかしいことになります。

しかし私の周りの脱会した方を見ると(ネットの知り合いも含めます)
そのような事例は見たことがありませんし、
実際私自身精神的に脱会していることになりますが
地獄へ落ちたなんて思ったことはありません。

ここで「地獄の苦しみ」がどのような基準であるかを
考えなくてはならないのですが、これは非常に難しいライン引きです。
ある人は恋人にフラれたことを地獄の苦しみだと言うかもしれませんが、
フラれたぐらいではそのように思わない人もいるかもしれません。

では、どう基準つけたらいいのか。
答えは簡単なのですが、自分が地獄と思ったら地獄である、
ということです。これは、他人のものさしで計れるものではありません。
なので、その人が地獄だと思っていないのに
「あの人はこういう結果になってしまった。仏罰だ。」と言うのには無理があります。
言われた側も自分は幸せなのにそんな風に言われてしまって迷惑です。

よって、

?今まで脱会した人全員が地獄の苦しみを味わっているとは思えない
?地獄の苦しみと決め付けるのには無理がある

という点から、
創価学会脱会者は果たしてその脱会行為により
現世での生活が地獄のようになってしまうか、否かということについては
脱会行為が直接の原因になって地獄の苦しみを味わう(仏罰)
ことは非常に考えにくい、という結論になります。

また付け加えると、私は仏罰について
「仏罰は自分の主観によって引き起こされるもの」
と考えているので、仏罰は思い込みだと考えています。
他の神秘的な力が働いて人に罰を下す、
こんなことは正直考えられません。
(詳しくは『仏罰は果たして存在するのか』をお読みください)

脳という物質が物理的な刺激などによって変化する点から、
(脳を物理的に破壊すれば意識は途切れる点や、
アルコールを摂取したら思考能力が変化する点など)
物理的な刺激が直接、思考に反映されると考えられます。
よって、脳の思考領域は、「脳が現在考えられる範囲でしか
思考が成立しない」ということなので、物理的に脳が停止したら、
思考(精神・魂と呼ばれているもの)が死後の世界まで
持続するとも思えません。

話が少しそれてしまいましたが、
以上が簡単にまとめました私の考えです。

********************

なんだか堅苦しい内容になってしまいましたが、
全然もっと簡単に
「私はこんな風に思っている!理由は言葉にするのは難しいな・・・」
とかでも全然大丈夫なのでコメントしてくださると嬉しいです。
(やたらに突っ込んだりしないので大丈夫ですよ)
最後に「突っ込まないで下さい」とでも書いてくだされば嬉しいです。

是非、学会員さんの意見を聞きたいなと思っています。
仏罰があたる、地獄へ落ちる、とおっしゃるのならば、
その理由をお聞かせください。
私も自分の意見を見直すチャンスにもなります。

ちょっとこのテーマで話したい!とかありましたら、
コメントして下さると非常に嬉しいです^^

こうやって彼の帰りを待ちつつブログを書いていると、
日本は本当に恵まれているな~・・・とつくづく実感します。

自分のやりたい仕事を目指せる。
食べ物にも不自由しない。むしろダイエットしないと私・・・
ネットも使い放題、部屋には最新ゲーム機。
新しい新居も決まって、週末にはお酒を飲める。
職場の人間関係も恵まれているし、仕事も楽しい。
そして何より、大好きな人と一緒にいられる。

こんなこと書き連ねると、なんだか学会員さんに
「そんなの本当の幸せではない、その幸せはいつか崩れてしまうもの。」
と言われてしまいそうですが、現世利益を追求しないで
一体何を追求するのか、と私は思います。

現世利益(そもそも現世しかないと思っている私ですが)が
満たされて心も楽しく豊かになっていく人は多いのではないでしょうか。
おそらくほとんどの人が周りの環境が豊かになるのを望むはずです。
豊かになっている人を見て「いつかは終ってしまう」と言うのは
正直ただのひがみに聞こえます。
まるでお金持ちになって喜んでいるのが悪いかのように・・・

私はお金持ちになろうと努力することはとても良いことだと思います。
(その為に闇雲に人を傷つけて悪質なことをして・・・とかは最悪だと思いますが)
高給料を狙って仕事を選ぶもの、安定した公務員を選ぶのも、
どちらも良いと思いますし「そんなお金ばっかり・・・」とか思いません。

現に私も次に転職する仕事が今の仕事よりかなりの給料落差があったら
おそらく転職したいと思わないと思います。
よほど「給料下がってもやりたい仕事」だったら話は別ですが、
たとえそれほどやりたい仕事だったとしても、私は将来を考えて
貯金したりする必要があるため諦める可能性が十分あります。
現にそのお給料で生活できなかったら選べませんし^^;

現世利益、今の生活水準を向上させる為にすることは、
私にとってはとても大切なことであり一生のテーマでもあります。
でも私は今の生活がとても楽しくて幸せなだあと思います。
だからこういうブログも書けますし、資格の勉強も苦になりません。

幸せの基準は、人それぞれです。
私のような生活水準で幸せを得られる人もいれば、
収入が少なくても夢を目指して幸せな人もいます。
ゲームがなくても、パソコンがなくても、
幸せになれる人はいくらでもいると思います。
実際私の友達は、すごく節約して生活も苦しそうですが
とても幸せだと言っていました。

本人が幸せならそれでいいと思うのですが、
それを「あなたの幸せは表面だけでいつか終ってしまう!だから
この信仰が必要なんだ!」とおしつけるのはいかがなものでしょうか。
私は、共感はできません。


皆さんこんにちは!昨日会社の先輩と飲み過ぎてかなりの二日酔ですが、
とある動画サイトで『女子高生コンクリート詰め殺人事件』のニュースを見て
書かずにはいられないというか・・・皆さんに忘れてほしくないと思い
この記事を書きたいと思います。
(なので今回の記事は創価学会関係の記事ではありません)

私が見たニュースは2000年に放送されたものだったのですが、
皆さんはこの事件について覚えてますでしょうか?
私が知ったのはいつだったか覚えていませんが、この事件が起きたのは1989年。

詳細は女子高生コンクリート詰め殺人事件をお読みください。

読んでみてまず、なんとも言えない胸が苦しくなる気持ちが込み上げてきます。
私は被害者の方の苦しさは、正直解りません。解るはずがありません。
想像を絶する恐怖と苦痛があったのだろうと、想像するにすぎません・・・
犯行少年グループは「強姦する相手を探していた」のだそうです。
そこに偶然通りかかった女性が、被害に遭ってしまった。

今も、なんとも言えない苦しい思いが込み上げてきます。
この気持ちを忘れないで、今でも苦しんでいる人がいることを、
私はずっと、覚えていたいと思います。

先日彼と一緒に引越し先の家を見てきました。
そのついでに、近くの有名なお寺へ行ったのですが、
(私が建築物好きなので)
生まれて初めて・・・・

お賽銭を投げてお参りをしました。

もう抵抗なんてな無いだろうなあ・・・と思っていた私ですが、
いざやろうとすると何だか変な気分に。
すんなりできましたが(^_^;)

今まで鳥居もくぐれず、お参りなんて持っての他。
お守りも持てず、触ることすらできませんでした。
(触るとなんだか悪いものが憑きそうな気がして)

凄い進歩ですよね~・・・
あんなに活動熱心だった私が、お参りなんて・・・

生まれて初めてのお参りは、あっさり終わってしまいましたが、
終わってみると「何でこんなに怖がっていたのだろう」と本気で思いました。
先入観って、本当に恐ろしいです。
お参りは日本の文化なのに、それさえもできなかった私。
お参りしている時、なんだか変な気分になったというのは
「みんなこんなこと普通にしているんだ」となんだかソワソワしてしまった
からだと思います。(もういい大人なのに・・・)

しかし、お参りしている時に周りの人に気を取られ
全然自分の願い事ができないまま終わってしまいました。
後から彼に「何お願いしたの?」と聞かれ、
「え?あ・・・何も願ってないなそういえば。」と答えると
「ええ!?新居安泰は!?」と結構凹んでました。

私も彼も、お寺でお祈りして願いが叶うなんて思っていません。
一種のイベントとして、お互いのコミュニケーションとしてするものです。

終わってお寺を歩いていると、彼が

「キヨが創価なんて、もう信じられないね。」

と笑って言っていました。

今の幸せを、ずっとずっと大切にしていきたいです。

皆さんこんにちは!
更新が滞ってしまいました。
コメント返信ももう少しお待ちください・・・(>_<)

最近仕事も忙しく、引越しの準備まであるので毎日ヘトヘトです(^_^;)
その上大事な資格試験も控えており、転職までしようとしてるし・・・
でもやりたいことがたくさんあるのは嬉しいことです。

学会活動していた時は、まず学会優先で日常が周っていたので
今みたいな日常は考えられませんでした。

先日、新婚さんの知り合いの家へお邪魔しました。
このご夫婦はお互い仕事命のご夫婦です。
お二人とも恐ろしく頭が良く大企業に勤めていて、
結婚約半年後で都内の高層マンションを買って暮らしています。
お邪魔するたびに「こんな人間もいるんだな~」と圧倒させられます。
それに人柄もとても良く、いつも優しくしてくれます。
私が超憧れているご夫婦です。

なぜこの話をしたのかというと、このお二人は宗教とは無縁です。
お互い帰宅時間が0時を回るのが普通で、もし学会に入っていたら
間違いなく活動は不可能でしょう。
でも、この二人はとても幸せそうに見えます。
実際とても幸せだとおっしゃっています。

私には、どうしても

「この宗教を信じないと幸せになれない」

という考えが理解できません。
この世の中に絶対なんてものはないと思っているので、
宗教は「幸せになるための手段の一つ」ぐらいにしか思っていません。

私は、創価学会が全て悪だとは全然思いません。
それによって救われている人も実際いますし、
純粋に信仰している方は多いと思います。

私が嫌なのは、その価値観を人に強要することです。
これは何回も言っているのですが、学会の人は
「強要してでも勧めることが正しい道」だと信じきっているので
私がいくら訴えても通用しないのでしょう。

宗教がなくても幸せになる道はいくらでもある

とわかってほしいのです。
理解しなくてもいいので、認めて欲しい。
私が創価学会の存在を認めているように、
学会の方にも幸せの自由を認めて欲しいのです。

「こうでなければ幸せになれない」と決め付けることによって、
どれだけ自分の幸せの選択肢が狭まることか。
せっかく幸せになれるのに、それを自ら放棄してしまっている。
放棄して幸せを掴めないのを、自分の信仰不足だと勘違いしているのです。
自分で自分の首を締めているようなものです。
あなたがそれで幸せならばそれでいい、でも、他人に対して
「あなたはこの信仰をしないと不幸になる」とは言わないで欲しいのです。

価値観の違いについて討論したい時は討論すればいい、正解などなくても、
討論というものは意見が対立していないと意味が無いのです。
このブログのコメント欄でも討論されることがありますが、
私は決して「自分が全て正しい」と思い込んで討論しているつもりはありません。
相手の意見にも耳を傾け、受け入れることは受け入れます。
しかし、自分が論理的に考えて対立する面では、対立します。
しかし、私と相手の正しさを決めるのは決して私とその相手ではなく、
読者であり傍観者のあなた方なのです。

なので、私は論理的に説明できないものを持ち込んでくる方が正直嫌いです。
例えば、「このスイカにお祈りすると願いが叶うよ!なんでって言われたらわからないけど。」
というような人です。科学的に証明できなくても、論理的に考えることは可能なのです。

話がそれてしまいましたが、幸せになる方法は人によって千差万別。
これって、当たり前なことだと思うのは私だけでしょうか。



こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

キヨ

Author:キヨ
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