創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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私は常々、なぜ人は神様という存在をつくり、崇めてきたのかが不思議でした。
『神』という非現実的なものを何十億人に信じ込ませたというのも、歴史上凄いことです。

神、全知全能の存在。
私たちはその存在を見たことがないので自分の中で勝手に想像しています。
よって、神様という存在は人間一人一人の中でそれぞれ違うものだということになります。
今あの人が思い描いている「神様」と自分が描いている「神様」を取り出して
比較する事は絶対にできないからです。どんなに細かく言葉で説明しても、
「私の神様」のイメージを正確に相手に伝えることはできないのです。

だから、人それぞれの中に「違う神様」が存在して

「あれ?そうじゃないって!こっちの神様が本物だよ!」

と言い争いになってしまうのです。
自分たちが勝手に作り上げてきた想像に勝手に神秘的な力をくっつけて、
あたかもその神様がこの宇宙のどこかに存在するように思い込むのです。
しかも「自分のイメージしている神様」が本物だと考えて。

しかし、イメージだけではどうしても相手に伝わりにくい。
だから人間は像や神殿などを作り、そこに神様のイメージを注いできました。

でもそしたら一体どうなったのか?

神様を具体的な物質的なものにしてしまったから、
余計自分のイメージと誤差が生まれて
納得できなくなってしまった。


のです。

今迄は「自分の神様はこんなイメージです!!」と言ったら大体は伝わったし、
(あくまで大体しか伝わりませんが)納得もできたのです。

話はちょと変わって、
世界に文明が発達してきた頃、まだ世界がこのような形とも知らずに
自分達の世界が全てと思っていた頃、世界中で神様的な崇められる
「超人」的な存在(いわゆる神)が出てきます。

と、いうことは、人間の性質の中には、「神様」的な神秘的&超人的なものを
自発的に生み出す能力が元々、しかも遺伝子に組み込まれていたのではないでしょうか。
それは世界各国で無数の信仰が生まれているという事実で言えると思います。

そこで一つ私が神様について引っかかるがあるのです。
それは、「全知全能」の存在であるということ。

全知全能・・・何でもできるということです。

将来死んでから天国か地獄かを決めることが出来る人でもあります。
しかし、ここで私が疑問に思っている事は、

「何を基準に天国か地獄か決めるの?」

ということです。
普通に考えるのならば「人殺しをしたら天国へいけない」
などを考える人が多いでしょう。
しかし、それは「人殺し」=「悪い事」という人間の世界での常識でしかありません。
たまたま「人殺しが悪い事」と考えている人が多いだけで、

「人殺しが悪い事と考えている人が多い」=考えている人が多い事は常識になりやすい

というそれだけの話なのです。
今迄の歴史を振り返って下さい。
大量虐殺や拷問など、そんなことは歴史上いくらでもあったことなのです。
実際人殺しをしている人の中にはそんなことは大したことではなく、
決して常識ハズレな事でもなく、私たちが日々学校に通って勉強するぐらいにしか
思っていない人もいるでしょう。

ということは、

神様が天国か地獄か決めている基準は、
人間の大多数が思っている常識に基づいて決められている


ということになります。

ん?待てよ?
全知全能っていう割には人間の常識のみに基づいて人間を裁いているぞ?

それなら・・・・・・・・

別に神様が天国か地獄かを決める必要性なんてどこにも無いし、
(そんなことはいわゆる常識がある人間なら誰にでもできるため)
しかもその神様が誰もが納得するような平等の裁きを
確実に下せるとも思えない


のです。
「いやいや!全知全能っていうのはあらゆることを知り尽くしているんだよ!
 だから神様は平等に裁く事ができるんだよ!」
と誰かが言ったとしましょう。

でも、「あなたの常識」が通用しない「あの人」も、
この世の中には無数に存在するのです。
例えば、「牛を食べるのは犯罪」と教えられている宗教がありますね。
日本人が牛を食べても何の罪にもならないのに
「その人たち」が食べると重罪になってしまうのです。
私たち日本人から言わせれば

ええ!?何で牛を食べて逮捕されなきゃいけないの!?

となります、でも「その人」たちから言わせれば、

ええ!?牛を食べるの!?なんて罰当たりな!!

と真逆の常識がそこにはあるのです。
日本人が「その人たち」がいる世界で牛を食べて、それが重罪になったとしたら
「いやいや!!私たちの世界では牛は食べるものなんだよ!!」
となりますよね。しかし、世界は「その人たちがいる世界で牛を食べるあなたが悪い」
と妥協して妥協して考えなくてはならないのです。
それは「相手の文化・習慣・風習を尊重するのが常識」だからです。

果たして神様は、その辺の膨大な数の「常識と言われている事」を
どれだけ考慮して平等に裁けるのでしょうか。

でも、全ての人が納得する裁きなんてこの世には存在しないのです。
人間は人それぞれ文化も考え方も全然違って、でもそれでは好き勝手にしてしまう
人間が非常に多いから「法律」なり「憲法」などを作ってあくまで鎮静しているにすぎません。

なので、神様がどんなに「あなたは天国へ行けるのです!!」と言ったとしても、
それは完璧な平等なんてものではなく、神様が独自に「人間の常識」と
「神様が持っている常識」を「できる限り考慮して」下した結果にすぎないのです。

※ここで言う神様とは、キリスト教について話しているのではなく、
 私たちが頭に描いているであろう神様像のことについて書いています。


前回の『創価学会の恋人と結婚したらどうなるか』の後編、
「結婚後」の問題について考えたいと思います。

学会員との結婚後、もし非学会員のあなたが創価学会に入会し、
日々結婚相手と活動に勤しめるのならばそれはそれで幸せな道だと思います。
学会員の皆さんはほぼ上記のように相手がなってほしいと思うはずです。

しかし、非学学会員の多くは「創価学会にはできるだけ入りたくない」と
思ってこのブログを見て下さっていることだと思います。

今回は結婚後、どのようなことが学会員の相手から要求されるのかを
2つのタイプにわけて考えていきます。

まず1つ目。
<結婚後、非学会員の自分が学会に入会した場合>
この場合は上記でも述べたように、かなり問題が丸く収まることと思います。
しかし元々非学会員であったあなたにとって、折伏や選挙活動はかなり大変。
よって、結婚相手からは箇条書きですがこんなことが求められると思います。

*選挙時には公明党に投票してくれと依頼される
*友人に選挙を頼んでくれと依頼させる
*勤行(お祈り)を朝晩するよう求められる
*学会の機関誌を購読するよう求められる
*会合に参加するよう求められる
*ご供養(お金の寄付)をするよう求められる
*折伏・新聞啓蒙をするよう求められる

とこんな感じでしょうか。
相手が熱心な学会員の場合、結婚相手の信仰心が薄いと
家庭円満にはなりにくいと教えられています。
「一家和楽の信心」が根本なので、家族全員一生懸命すればするほど
家族が幸せに生きていけると教えられているからです。

上記のことがもし「少しでも」苦痛と感じるのならば、
絶対に入会するのは止めましょう。

入会したら信者は「○○をしないと不幸になる」というような言葉を
嫌っていうほど聞かされることになります。その考え方に賛同できない人は
創価学会には向いていません。断固として入会は拒否しましょう。

では2つ目のタイプ。
<結婚後、非学会員の自分が学会に入会しなかった場合>
きっとこのタイプの方が多いと思いますが、入会しなかった場合でも
創価学会に対して反発や嫌悪感を出さない場合は
猛烈に折伏されますので注意してください。

ここで大切なのは、結婚する時に「○○は絶対にしないでね」と
はっきりとお互いで決めておくことが大切です。
もし学会に関することを自分に一切持ち出して持ち出してほしくないのなら、
決めておくべき事がいくつかあります。
ただ、ここでこちらが条件を出す代わりとして、
「創価学会の批判は自分からしない」ということを約束できたとしたら
学会員の相手も納得しやすくなるのではないでしょうか。
では、お互いで決めておくべき事を書きます。(これはあくまで私の意見です)

*絶対に自分や自分の身の回りの人に学会活動をしない
(相手の両親からのものも含め)
*学会活動は家庭を切り盛りする上での仕事や家事や育児を
 しっかりこなしてから、活動は趣味の時間としてする
*子供は創価学会には入会させない(これはさせたくない人のみ該当)
*ご供養(お金の寄付)はしない(これもさせたくない人のみ該当)
*その他学会活動で自分に影響を及ぼすことがある場合、
 必ず自分のみでは決めずに相談すること。

で、最後に「上記内容が守れなかった場合は離婚する」と書けば
いいのではないでしょうか。(私は上記のように言われました)

学会員と結婚する上で、自分が非創価学会で
尚かつ批判的な考えを持っている場合、

絶対に我慢しなくてはならないことは生まれます

それは学会員の相手の勤行をしている姿を見たり、聞いたり、
学会の書物を読んでいるとか色々あげられますが、
いくら結婚時に「干渉しないでくれ」と条件を提示して承諾されたとしても、

ある程度、相手が学会活動している姿を
見ることは仕方が無い


ということです。
それが嫌なのならば、お互い別の人生を歩む決心をするか、
お互いが徹底的に話し合うことが必要なのです。

結果的に、結婚後相手が本気で創価学会を止めない限りは、

自分の人生から創価学会を切り離すことは不可能

という結果になってしまいます。
それは学会員の相手と出会い、付き合ったあなた自身の運命としか言いようがないのです・・・

こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

キヨ

Author:キヨ
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