創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
<お知らせ>
「はじめにお読みください」の記事内の「このブログの方針・コメント」について
4項目が追加されましたので是非ご覧下さい(2007/08/31)。

では、今回のテーマ「創価学会の恋人と結婚したらどうなるか」
について話したいと思います。
このテーマにつきまして、私や私の周りの学会員が実際言っていること、
私の学会の友人が、今の恋人に将来求めていることなどを参考にしています。

よほど年齢が低くない限り、恋人ができ「2人の将来について」
次第に考え出すのは自然なことだと思います。
私が真剣に彼との結婚を考え始めたのは、付き合って1年ほど経ってからでした。

まず、学会の人と結婚したらどうなるかを話す前に、
今読んで下さっている人の中には、今現在自分の恋人が
創価学会か分からない方もいるかと思います。
もし創価学会員だったとして、プロポーズして(されて)からそれが発覚!!
となると非常に面倒なことになってきますので、
今から書くようなことが恋人に該当するのならば、
相手が学会員かなと意識した方がいいと思います。
(実際に聞くのが一番早いのですがそれは置いておいて)

*部屋に仏壇がある
*部屋に池田大作著作の本が沢山ある
*よく「使命」「大勝利」「決意」「魔」などの用語が出てくる
*聖教新聞を購読している
*お参りや鳥居をくぐるのを嫌がる
*仕事は定時に終わるはずなのにプライベートがやたらと忙しそう
*週刊誌をなぜか毛嫌いしている
*三色旗が部屋に飾られている
*部屋に学会のビデオがある

などなど。
ただし、上記に当てはまったからといって「創価学会だ!!」と
決め付けないで下さいね、あくまでも参考にしてください。
不安になったらためらわず聞いてみましょう。聞かれたほうが答え易いですしね。

では恋人が創価学会だとわかり、いざ結婚したい!と思ったら
果たしてどんな問題が出てくるのでしょうか。

まず第一に浮上してくることは、「結婚するなら」と
相手が入会を迫ってくる「結婚前」の問題です。
これは非常に沢山の方が苦悩していると思います。
しかし、ここで確かめなければならないのが、相手の信仰度合いです。

私のように信仰心は厚いが無宗教的素質もあるのならば、
将来的にお互い話し合い相手を無宗教にすることも可能ですが、
誰もが皆そのような考え方ではないのが現実です。

では、信仰度合いを3つのタイプに分けて考えていきましょう。

<両親共に激しい活動家から産まれた学会2世・3世の場合>
この場合(私も当てはまりますが)、結婚と同時に「入会」を
迫られるのは必須だと思っていた方がいいでしょう。
なので「入会してくれないなら結婚できない」と言われるケースも多数あります。
もし入会しないで結婚しても、相手とその両親から猛烈な祈伏を
受けることになるかもしれません。

<両親は激しい活動家だが、恋人本人は全くの未活動の場合>
この場合、恋人と結婚する際にはさほど強い折伏はないと思いますが、
相手の両親が「入会してほしい」と言う可能性があります。
親が干渉してくると非常に面倒です。もし相手の両親が折伏してきた場合は
恋人の自分に対する態度をよく見ましょう。
ここで自分は嫌だと言っているのにかばってくれないで
「親が言ってるから」と言い出したら、
将来もずっと親の言うことを優先していくと思います。
相手の両親に祈伏されるほど断りにくいことはありませんからね・・・

<両親は非学会員だが恋人が学会員の場合>
この場合、将来的に恋人が両親を祈伏しない限りは
両親からの学会に関する干渉は全くないですが、
自分から発起して学会に入会する方は非常に熱心な方が多いです。
話し合ってお互いが納得して結婚するのなら良いのですが、
ほぼ100%祈伏されるでしょう。
また、両親をもし折伏したとしたら、尚更折伏されると思います。

ちょっと長々となってしまいましたが、ここで一つ言える事は、

両親が熱心な学会員かそうではないかでかなり違ってくる

ということです。
結局親から教えられた2世・3世が多いので、
自分の信仰心にはむかう=親にはむかうという思考回路になります。
親が学会大嫌いで子供が学会大好きという構造はいたって珍しいケースです。
でもそういう人は信仰暦も2世・3世よりは短いので話し合いはその分楽です。

そもそも、「○○してくれないなら結婚しない」という
そんな大事なことを結婚を決める直前まで言わないという方が問題なのです。
宗教によって結婚が左右されるのは容易に予想できたはずですし、
まして創価学会の私達は身に染みて分かっているはずです。
「言ったら嫌われる」と思っている学会員の方は多いかと思います。
嫌われるとわかっているのなら止めればいいのに・・・と思うかもしれませんが
そうも簡単に止められないのが創価学会なのでそこは突っ込まないでくださいね・・・

現にもしこの記事を読んでいて尚且つ学会員ということを
恋人に話せていない方がいるとすれば、

できる限り早く恋人に創価学会であると伝えましょう

時間が経てば経つほど話し合う時間が減っていきます。
「いつか言うべき時がくる」と思って祈っている方もいると思いますが、
その「いつか」は今なのです。
よほどの理由がない限り、相手にとっても自分にとっても
引き伸ばすのは負担が重くなってしまうだけです。

今の世の中は、「創価学会」というと批判され易い世の中です。
創価学会員である以上あなたは、勇気を出して話す必要性があるのです。

なぜなら、これはあなただけの問題ではなく、
恋人の将来をも大きく左右する問題だからです。


頑張ってください!!

「創価学会の恋人と結婚したらどうなるか」の第二の問題、
~結婚してからの問題~については、また次回話したいと思います。

スポンサーサイト
創価学会は「排他的で攻撃的」とよく指摘されます。
排他的とは、自分や自分の仲間以外のものを拒む傾向があるということです。

なぜそのように言われるのか?
それは創価学会の教えの中に「学会以外の宗教は全て邪宗だ」
という考え方があるからです。
それに攻撃的というのは、学会で月1回行われる本部幹部会同時中継や
学会の機関紙である聖教新聞での内容が言われています。

私はもちろん熱心な活動家でしたから、本部幹部会同時中継には必ず
毎月参加していました。そのスクリーンに映し出された学会員は
皆とても元気が良く、ハキハキした声で堂々と喋ります。
それはそれで良いのですが、問題なのは喋っている内容。

「極悪非道な○○を絶対に許してはいけません!!」
「あのクソ坊主は死んだら絶対に地獄へ落ちます!!」
「学会を裏切った○○!!恩を仇で返すとは何事か!!」

などと、本当に「!!」とつけるほど大声で話すのです。
これだけでも平和団体とは思えない罵声叱咤の数々。
現にこのような発言は毎回本部幹部会で見られます。

一度母に
「なぜ学会はあんなにも敵に攻撃するの?
 別にこっちが正しかったら放っておけばいいんじゃないの?」
と聞いたことがありました。すると母は、

「例えば、人間の身体に癌細胞があったとするでしょ?
 癌細胞は身体にはもちろん悪い。だから徹底的に全部取り除きたい。
 放っておくと全身に転移してしまう恐れがあるからね。
 邪宗も同じ。放っておくと癌細胞のように広がってしまう。
 だから徹底的に叩くのよ。」

幼なながらこの説明には納得してしまいました。
そうか~、確かに癌細胞なら徹底的にやっつけないとなあ・・・
ぐらいにしか考えていませんでした。

しかし、この説明を正しいと仮定するならば、
「創価学会以外の宗教は、学会に対して不利益を被っている」
と考えなくてはなりません。

確かに、創価学会が拡大していく上で他宗教は邪魔な存在。
ライバルが減るには越したことはありません。
しかし、ここで考えなくてはならないことが2点あります。

まず1点目は、
ならどうして創価学会は他宗教の偉人と呼ばれる人を尊敬し、
その偉人たちを称えているのか。

そして2点目は、
「ライバルが減る=戦う相手が減る」ということの重大性です。

まず1点目から見ていきましょう。
池田大作氏は対話を非常に大切にし、世界中を飛び回り
世界各国の偉人と言われる人々と交流しています。
それは事実だと思うのですが、相手の人格を敬い、
堅い握手をするということは相手の人生観を認めたことになるのでは
ないでしょうか。現に池田氏は世界の偉人達に対して非常に
堅実で誠実な態度を取っていると聖教新聞などではうかがえます。

これは、非常に矛盾していることです。

他宗教が全て癌細胞なら、その相手との交流を自ら進んで行うなど
危険極まりない行為です。例えとして、マハトマ・ガンジーにおいては、
彼は敬虔なヒンドゥー教徒です。彼を称え、賛美するということは、
彼の生き様を認めていることになります。

「宗教を超えた絆」

学会ではよく耳にする言葉です。
では、100歩ゆずって世界各国の偉人たちはよしとしましょう。
しかし、創価学会と敵対している富士大石顕正会を見てください。
顕正会とは日蓮正宗から生まれた宗派です。
創価学会も日蓮正宗から生まれました。

仮にこの顕正会の信者にとても人格的に優れた人がいるとしましょう。
学会の人は、相手がどんなに人格的に優れていたとしても、
顕正会と聞いたらすぐさま敵対視するのではないでしょうか。
相手の人格を見ようとせずに、邪宗だからダメだと。
「今まで良い人」だったあの人が顕正会だとわかったとしたら、
今まで通りの好感を素直に持てますか?
もしかしたら、相手の些細な欠点を見つけ誇張し、
「あの人は顕正会なんだ、何か変だと思っていたんだ。」
などと言い出すのではないでしょうか。
(これは私の身の回りの学会員が実際よく発言していたことなので、
 私一個人の決め付けではありません。)

要するに、世界から賛美賞賛されている人格者を
称えることにより、自分の組織は正しく
世界平和を謳っている団体だと認識させ易くなるのです。


そして2点目の、
「ライバルが減る=戦う相手が減る」ことの重大性についてです。
これは単純に「ライバルが減って学会万歳!!」という問題ではなく、
もっと深い意味があると思うのです。

人間は、ライバルがいると競争意識が生まれ、
より頑張ろうとする気持ちが生まれることが多いと思います。
創価学会にとってライバルがいるということは、
より一層仲間意識を強化し、日々の活動に励む原動力になっている
のではないでしょうか。もし世界中が創価学会員だけだとしましょう。
そしたら、学会員は他人の幸せのために一生懸命お題目をあげるでしょうか。

世界が創価学会員だけになるのは不可能だと私自身思うのですが、

身近なライバル(他宗教でも一個人でも)がいなくなったら、
創価学会は活動する原動力(邪宗を倒すぞ!!という気持ち)
が大幅に減少してしまう恐れがあります。


他宗教を叩くということは、非常に危険な行為でもあり
自分の首を締めることになりかねないということです。

「創価学会の私と無宗教の彼」というタイトルなのに、
彼との記事が少ないことに今更ながら気づきました・・・すみません。
今回は彼との現在の状態について書きたいと思います。

私が完全に精神的に学会を止めてからまだ少ししか経っていませんが、
少なくとも私の環境は劇的に変化しています。

まず、彼が創価学会の話を全くしなくなりました。
創価学会の話が出るのは私が話題を振った時のみです。
前までは毎日毎日彼から学会について突っ込まれていたのに・・・

そして、自分の自由な時間が一気に増えました。
これはもちろん会合に出なくなってからなので、
「今」劇的に変化したことではないのですが。

さらに、精神的にかなり落ち着きました。
前までは「毎日挑戦!!」だったので休む暇もありませんでしたが、
今では頑張ること・頑張らなくてもいいことの区別ができるようになりました。

そして、彼自身にも余裕が生まれているようです。
私と話し合うという試練の連続だった彼にとって、
私と理解し合えた喜びは計り知れないのでしょう。
たまに酔うと「キヨがちゃんと一緒に考えてくれて本当に嬉しかったよ~」
とゆるんだ顔で話します。

しかし彼から言わせてみると、私がなぜ創価学会を強烈に信仰していたのかが
正直からないとのことです。確かに私には現実主義な思考が強く、
ましてや神様が人間を創ったなんて1回も信じたことがありません。
神様自体、そんなスピリチュアルな世界を全く信じていなかった私がなぜ、
「祈れば叶う」などという他力本願な根拠の無いことを信じていたのか・・・
「御本尊」という神様みたいに祈る対象を、どうして信じてこれたのか。

これはいくら考えても、私にはわかりませんでした。
ただ言えることは、「そのように幼い頃から教えられてきた」からです。

私が無宗教のまますくすくと育っていたら、今創価学会の人に
折伏されても絶対に入会しない自信があります。
なぜなら、「神とか霊とか、そういう非現実的なものは元々信じない」
タイプだからです。

しかしこのような思考回路が充分に発達していない幼い頃に
「創価学会は素晴らしい」「祈れば必ず叶う」と教えられてきたら、
それは大人になってからの思考回路とは全く関係なく思い込んでしまうでしょう。

刷り込みとは本当に恐ろしいものです。

彼とは今一緒に住んでいますが、とても平穏に暮らせています。
一緒にご飯を食べたり、休みの日には一緒に出かけたり、
旅行へ行ったりして本当に思い描いていた幸せを実感しています。

この前外食した金曜日の帰りに、手を繋いで道を歩いていると彼が言いました。

「今すっごい幸せだわ。恵まれすぎてるな俺たち。」

それは私も思います。日本という豊かな国へ生まれて、
しっかりと教育も受けられて、生きていくお金は自分で稼げて、
好きなもの食べれて飲んで、家族みんな健康だし、会社の環境も良い。、
そして何より、大切な人と一緒に生きていける。

よく考えてみてください。

これ以上の幸せがありますか?

これを読んで下さっている誰かは、
そんな生活は平凡だと思うかもしれませんが、
ではそう思うあなたは、

平凡な生活を幸せだとは思わないのですか?

今この世の中で平凡に幸せに生きていくことの困難さ。
これは皆さんが見に染みて感じていることだと思います。

もちろん、日々挑戦して激動の人生を歩んでいる方の
人生観を否定なんてしません。

私は、そのかけがえのない大切な存在の彼に出会えたお陰で、
今の幸せを噛み締めて生きています。

私にとって私の人生を変えてくれたのは、
自分自身の葛藤と真っ向勝負した私自身と、
彼の私への愛情です。

決して、創価学会ではありませんでした。


私が活動家時代に常々思っていたことは、
若い世代の学会員(私も含め)の仏法に対する知識不足でした。
「仏法に対する知識不足」とは、簡単に言うと御書を読む
若い活動家が少なくなっているということです。

御書とは、創価学会にとっての経典(キリスト教でいう聖書)です。
もうちょっと詳しく言うと、
日蓮大聖人という創価学会の生みの親的な人が書いた
論文や、弟子や門下生に書いた手紙が主な内容になっています。

『創価学会は日蓮大聖人の仏法を広宣流布することを
 使命とする仏意仏勅の教団である。』

                      (SOKAnet:公式ホームページより抜粋)

要するに、日蓮大聖人の教えを世界中に広めていこう!!
というのがモットーであって、その真髄となる日蓮大聖人の遺した
「御書」を学ぶのは学会員にとって「超大事」であると私は思っているのです。

しかし若い学会員の多くは、
(ここで言う若いとは、10代半ばから20代後半ぐらいまで)
御書をまともに読んでいる人はとても少なく、4年に1回程度の割合で
行われている「青年部教学試験」を受ける上で少し勉強するぐらいです。
それと、毎月行われる地域の座談会での御書研鑚もありますが、
内容は2~3ページ程度、しかも御書自体は長くても10行ぐらいの
本文を解説しているだけにすぎません。

御書(日蓮大聖人御書全集)の総ページ数はなんと1636ページ。
私も持っていますが、かなり分厚い(厚さ見る限りハリー・ポッター以上)です。
しかもハリー・ポッターの本の文字の大きさを想像してはいけません。
ページには物凄く細かい字がびっしりです。
昔の人間が書いたものなので、現代人にとっては古文みたいに感じます。
あの高校時代に習ったよくわからない(少なくとも私にとっては)
古文らしき文章が1636ページもある本を、若い人は読む気になるでしょうか?

今はわかりやすく解説されている本が多数出版されていますが、
それらの本を自分で買って勉強する若い人たちも少ないと思います。
学会員にとって、それらの書物を中古で買うのは気が引けますし、
(中古で買うと、その本の税金が還元されないからなるべく新品で
 買おうと教えられているため。)新品で買うとなるとかなりの出費になります。

学会員が創価学会の教えの真髄となる御書を読まずに、
池田大作氏の著作のものを読み折伏する光景はとても異様に見えます。

「池田先生はこのようにおっしゃってる。」
「池田先生の平和思想は素晴らしい。」
「池田先生の青春対話を是非読んでごらんよ!」

といくら言ったとしても、日蓮大聖人の御書を根本としている時点で、
折伏に御書を持ち出さないということはどういう意味をなしているのか?

要するに、折伏に御書は必要ない

っていうミモフタも無いことが言えてしまうのです。

日蓮大聖人の仏法=御書なのではないでしょうか。
当たり前ですが、日蓮大聖人はもう生きていないので彼が遺した
書物や手紙を読んでこの仏法を学ぶしか方法はないのです。

しかし、これからの創価学会を背負っていく2世・3世・4世が
この御書を読んでいないとどういうことになるのか。

それは、信心に一番大切な「この信心が正しい!!」
という確信が薄れていくということです。


私は池田大作氏の書物を通じて信心の確信を持つことを否定はしません。
しかし、それはあくまで「池田大作」という人間に対しての信仰であり、
確信なのです。

「池田先生は日蓮大聖人様の生まれ変わりだ!」
と言っていた人もいましたが、そもそも生まれ変わりという発想自体
根拠も証拠もなければ、私達にとっては絶対に知ることができないことです。
(日蓮大聖人が自分の生まれ変わりを的確に示した文章があるならともかく)

仮にもし、池田氏が日蓮大聖人の生まれ変わりか、
日蓮大聖人の意思をちゃんと受け継いでいるとしましょう。

しかし、そしたらそれこそ問題なのです。

日々学会員が祈る対象としての御本尊の中心には、
しっかりと「南無妙法蓮華経日蓮」と書かれています。
「日蓮大聖人を拝む=池田大作を拝む」ということになってしまいます。

実在している人間を拝むなんて、非常にナンセンスだと私は思います。
しかし現在の創価学会を見ていると、どこからどう見ても
カリスマ的存在感のある池田大作氏を敬愛し、尊重し、持ち上げています。

「池田先生に一生ついて行く決意であります!!」
「師弟の絆をもっと深く!!」

日蓮大聖人の仏法なのではないのですか?
池田大作という人間の仏法なのですか?

創価学会の真髄である御書の内容をあまり勉強しないで祈伏ということは、
「学会の核」を知らないのと同じです。
核を知らない人間が、池田大作氏を褒め称えその人間像によって
折伏をするとなると、それは「池田大作学会」になってしまうのではないでしょうか。

池田大作氏も人間です。
病気にもなりますし、いずれ寿命がきてしまいます。
彼がいなくなった後、創価学会は何を対象に祈るのでしょうか?
「神格化した池田大作」を祈るのでしょうか。
なんだかますます変な話になってきました。

今回は折伏についてです。
まず折伏とは、簡単に言うと布教活動です。
創価学会に入会するように勧める行為ですね。

以前、とある婦人部(50代後半)から折伏についてこんなことを聞きました。

「私たちの時代は、折伏は本当に壮絶だったんだよ。
 私が折伏した人に一人物凄く苦労した人がいたの。
 入会を決意して御本尊様を頂く予定の朝に迎えに行ったんだけど、
 なんだか様子がおかしいのでどうしたのかって聞いてみたら、
 『やっぱり入会はやめる』って言い出したの。
 これが魔なのか!!って思ったわ。だから無理矢理自宅から引っ張りだして
 電車に乗って会館まで連れて行こうとしたんだけど、電車の手すりにしがみついて
 いっこうに降りようとしないから、指を一本一本力ずくで離して連れて行ったの。」

これ実際本人から本当に聞いた話です。
これを笑って話していたんです、この婦人部の方は。
まるで自分が救世主のごとく、大声で・・・・・・

活動家だった私でさえその時は「それはヤバイんじゃないか?」と思いました。
それって、詳しくはわかりませんが立派な犯罪ではないですか?
無理矢理連れて行っていると自分でも認めていますし・・・

昔はこういうかなり強引な折伏も行われていたようです。
今はこういう折伏は減ってきていますが、
学会員で取り囲んで何時間も仏法対話をするなんてことは今でも珍しくありません。

宗教において、布教活動をすることは大切です。
会員の数が減るということは、死活問題に繋がってくるからです。
しかも、折伏することによって大功徳があると教えられたら
何が何でも折伏したいと思うはず。相手の幸せのためでもありますからね。

さらに、折伏できない人は信仰心が薄いと本気で思われます。
(口に出す人は少ないですが)
お題目をあげて勇気を出そう!!人間革命をするのです!!と言われます。

でも、相手が嫌がっているのに無理矢理入会させるのは、
根本的に間違っていませんか?
私は常識的にも間違っていると思うのです。
本当に心から相手の幸せを願い、入信させたいのなら、
相手の気持ちを最優先に考えるのが大切だと思います。
それが「相手に伝わる」優しさです。

「実際体験してみないとわからないから勧めているんだ。」
これは優しさでもなんでもありません。ただの押し売りです。

「実際体験する」ことを決めるのは本人です。
宗教という人生を大きく変えてしまうかもしれないものを、
他人の押し売りによって簡単に決められるでしょうか?

学会では、入会カードを一度書いたら除名するのは本当に困難です。
カードには自分の住所を書きます。学会の人が訪ねてくるということです。

折伏している方、その相手の人生を、本当に真剣に考えていますか?
本気で幸せにしたいと考えていますか?

あなたは他人の幸せを願えるほど、今幸せですか?

創価学会の凄いところは、全部の世代の組織網があることです。

少年・少女部・・・小学生
中等部・・・中学生
高等部・・・高校生
(少年・少女部/中等部/高等部をまとめて未来部という)
学生部・・・大学生・専門学校生
女子部・・・未婚かつ40歳未満の女性
男子部・・・既婚/未婚問わず40歳未満の男性
婦人部・・・既婚または40歳以上の女性
壮年部・・・40歳以上の男性
多宝会・・・65歳以上の男女

それに加えて、世代それぞれに対応する機関紙があります。

小学生文化新聞・・・未来部向け
中学生文化新聞・・・中等部向け
高校新報・・・高等部向け
創価新報・・・女子部・男子部向け
聖教新聞・・・女子部・男子部からメインに購読

さらにそれに加え、

グラフSGI・・・池田大作氏の顕彰や活動などをカラー写真で掲載
潮・・・創価学会系列の月刊雑誌(毎月5日発売)
パンプキン・・・創価学会系列の月刊雑誌(毎月20日発売)
第三文明・・・創価学会系列の月刊雑誌(毎月1日発売)
灯台・・・創価学会系列の月刊雑誌(毎月10日発売)
公明新聞・・・公明党に関する主なニュースを発信(日刊)

熱心な学会員の方は、これらの機関紙をほとんど購読しています。

要するに、

一般的な新聞・雑誌に触れずに生活ができる
その組織につき、自分の生活が支障なく成立してしまう
ということは、外部と交流が希薄になっていく


のです。
これは凄いことです。

しかも熱心に購読し、読むことでさらに信仰心が深まるという
素晴らしいサイクル。
特に聖教新聞にいたっては
(他の機関紙もそうなのかもしれませんが)
新聞の配達をする人を「無冠の友」と言い、
「祈伏と同じ功徳」があると教えられ、絶賛されるのです。
なので配達の報酬はかなり安いですが、
配達する人は沢山存在します。

本当に凄いですね、創価学会って。ある意味完璧です。
スキがないっていうか・・・だからここまで大きくなったのでしょう。

大学で新興宗教の研究をしている友達(無宗教)がいるのですが、
その人が言っていました。

「宗教というのは大きなビジネスになる。」

確かに、学会員が毎年している「広布基金」は
1口1万円から寄付できます。
毎年12月にあるのですが、その広布基金の財務内容を
公表する義務は法律的にもないようなので一切公表してません。
私達創価学会員は、自分の寄付したお金の行方を
知ることはできないのです。

しかし学会員にとってみれば、公表なんて必要ないのです。

学会は私達がした寄付を悪用するなんて考えられない

からです。
絶対に世界平和のために役立っていると考えているからです。

ご供養(寄付)は「真心」
ご供養が多ければ多いほど真心があると言われます。

でもそれって、変じゃないですか?

だとしたら、

お金持ちでご供養をいっぱいする人>貧乏でご供養が少ししかできない人

になってしまいます。

要するに、信仰心には関係なく、お金の問題なのです。

「そんなことない!そんな額の問題ではない!」
と学会員の方達は言うでしょう。
だとしたら、なぜ財務の内訳を公表しないのですか?
世界平和のために使われているのなら、
胸張って公表できると思うのですが・・・
それとも、公表できない理由があるのでしょうか・・・

むしろ「このように世界平和のために役立っています!!」
と公表することによって、より寄付が集まるのではないでしょうか。
何に使っているか分かれば寄付する甲斐もあるというものです。

自分の寄付したお金がどのように使われているかわかったら、
それこそ嬉しくないですか?安心しませんか?

募金だとちゃんと還元されているかを疑うのに、
学会なら疑わず100%信じられるっていうのも筋の通っていない話です。

学会では、恋愛について
「お互いを高めあえる存在でありましょう」と教えています。
さらに、
「付き合った相手は自分を映す鏡のようなもの。
 自分と同じ境涯の人と付き合うことになる」とも教えられます。
(境涯=生きていく上で自分がおかれている立場)

恋愛は自由です。(当たり前ですが)

しかしその自由を束縛するのが学会という組織。

私が良い例です。

彼と付き合って約2年。
お互いの将来も真剣に考え初めているし、
そろそろ一緒に暮らさないか?
と彼からの一言。

私は彼との結婚を考えているので、もちろん承諾しました。
しかし、女子部に「同棲を少し考えています。」と言ったら

女子部「ええ!!??それは絶対にダメ!!!」(かなり大声で)

私はポカーンとこんな感じ→(°Д°)
「えっ、何でですか???」

女子部はこう言いました。

「だって同棲するってことは、役職を降りるってことなんだよ?
 それに、同棲したら活動がどうしても制限されるでしょう?
 女子部のうちにいっぱい活動して福運積まなきゃ!!」


どうやら同棲する=役職を降ろされるらしいです。
理由は、部員さんを抱えている役職のある女子部が
男と同棲しているとなると、風紀的にいけないからだそうです。

続けてこうも言いました。
「女子部の両親は、同棲しているような女子部に自分の
 娘をあずけられるかしら?」


創価学会は役職があって、役職が上になればなるほど
役職についていない部員さんの面倒を沢山みなくてはいけません。
要するに学校の部活みたいなものですね。
まとめるリーダー(部長)が学会にもいるのです。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

同棲している「ような」女子部に・・・

私はいけないことをしているのでしょうか。
同棲してはいけないのですか?
将来を真剣に考え、そのためにお互いをもっとよく知ろうと
努力するのが同棲なのではないでしょうか。

お互い仕事をしていると会える機会も少ないし、
一緒に住むと言う選択肢が出てくるのはごく自然なことだと思います。

それを頭から全否定された私は、怒るのは大人気ないので
その時は我慢しましたが怒り爆発寸前でした。

しかも「女子部のうちにいっぱい福運積まなきゃ」って言葉にも
唖然としてしまいました。
そんな期間限定されて福運って変わってくるものなのですか?
なんだか何かのキャンペーンみたいです。

私はこの一件から、ひどく創価学会に対して不信感が生まれました。

でも周りの女子部や両親は私のことを、
「恋愛という周りが見えなくなるものに翻弄されている」
と本気で考えているらしいです。

私の家族は皆学会員です。
幼い頃から自宅では毎日お題目の声が聞こえ、
会合になると家には誰もいなくなりました。

私が高校生だった頃、クラブ活動をしていたので
帰るのが19時を過ぎてた頃も多く、
帰宅すると母は会合で自宅にはいなく、
冷めた夕飯が置いてあり、
父はまだ仕事・姉妹は大学生で一人暮らし。
祖父・祖母(帰宅時にはもう二人とも寝ています)しか家にはいません。

正直、一人は楽なので高校時代は気楽だったのですが、
冷めた夕飯を一人で食べるのはなんだか悲しかったです。

母は早朝から新聞配達をしているのでお弁当はほとんど作ってもらえず、
新聞配達がない日は7時過ぎまで寝ていたのでかろうじて朝ご飯を
作ってもらえるくらい。なので高校時代は自分でお弁当作るか
コンビニのパンでした。

友達の美味しそうなお母さんの手作り弁当。
私はコンビニの菓子パンと購買のジュース。

土日も学会活動に精を出す母。
「お昼は適当に食べてね。」が口癖でした。
夜母がクタクタになって帰ってくると、
「夕飯は疲れているから出前とろうか?」

私はこの母の姿をずっと見て育ちました。
しかし、こう思っていました。

寂しいけど、学会活動だからしょうがない
きっとお母さんは皆に頼りにされているんだな。


と。

しかし無宗教になって、彼の実家にお邪魔することが多くなりました。
彼のご両親はとても気さくな方で、私に嫌味一つ言わず夕飯や、
泊らせてもらった時には朝ご飯もいっぱい作ってくれます。
いつも笑顔で、優しくて、良いご両親だなといつも思います。

久しぶりの家族と一緒の食卓。
作りたてのご飯はとても美味しかったです。
なんだかホッとする空間がそこにはありました。
彼の部屋に言って彼に話しました。

「良い家庭だね~。私まで嬉しくなっちゃうよ。」

でも彼は

「普通じゃん?」

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私はその時初めて心の底から感じました。
そうか、これが普通なんだ、と。

家族でご飯を食べる。
笑い合ってテレビを見る。
学校・会社の話をする。

これって、特別なことではなくて、普通のことなんだと。
特殊なことではないんだと。

この気持ちを感じたとき、涙が止まりませんでした。

「ああ・・・これが普通の幸せなんだ。」


私は生まれた時からの学会員です。
それを学会では福子(ふくし)といいます。
福子は生まれた時から福運があり、
学会1世(自分の意思で学会へ入会した人)よりも
福運が既にあると教えられています。

「学会で福運を積んだ両親から生まれたもっと福運のある福子」

こう教えられれば、信仰熱心なご両親は
絶対に我が子を学会に入会させたくなるでしょう。
入会しない選択肢なんてありません。

私みたいに両親が熱心で(どちらかというと母のほうが熱心ですが)
小さい頃から会合に連れて行かれていると自然に

「学会は正しい」

と刷り込まれていきます。

幼い頃からそう教えられてきた子供は、この後何十年も
それを信じ、自分の生きる力の源として生きていくのです。
現に私も「創価学会は絶対に正しい」と思っていました。

幼い頃から信じてきたことを、簡単に180度考え方を
換えられるでしょうか。そう簡単にはいかないですよね。
「学会を疑うこと」はいくらでもできますが、
「この信仰は絶対に間違っている!!!」なんてすぐ思える
学会員の人はそうそういないと思います。

非学会員の方、あなたの学会員の恋人は、
純粋に創価学会を信じ、信仰していると思います。
相手の幸せを願い、学会活動は絶対に世界平和に役立っていると。
それは偽善的な考え方かもしれませんが、
普通は「誰かを幸せにしよう」と願える人は少ないと思います。

良く言えば、慈悲深く優しい人
悪く言えば、ただの偽善者・自己満足者


私も「世界平和のため」と漠然としたことを毎日真剣に祈ってました。
かならずこの世界を平和にしてみせると。
そのためには一生懸命頑張って信仰していこうと。

でも、信仰で世界の飢餓を救えますか?
お祈りで思いが届きますか?
届いたとして、それはその人たちに役立っていますか?

祈るだけではなにも進歩していないのです。
自分のお祈りの力が、飢餓で苦しんでいる人に食料を与えますか?

世界平和を本当に祈る前に、行動を起こしましょう。
身近なことでできることとなると、やっぱり募金ですかね?

「でも、募金って本当に役立っているかわからない」

という声をよく耳にします。

なら、納得するまで自分で調べましょう。

ユニセフのHPとかを見て、分からなければ電話で
聞いてみてはどうでしょうか。ちゃんとしたルートで
還元されている募金は世の中にたくさんあると思います。
それでも不安が残るようなら、お金を貯めて将来アジアに学校を
建ててあげたりすればよいのでは?
方法はいくらでもあると思うのですが・・・

話は戻って、以前の記事でも言ったことなのですが、
学会員の世界は特殊な世界観です。
非学会員の人たちには到底理解できないような
深い信念に基づいて構成されています。

それを頭ごなしに否定しても言い争いになるだけなので、
話を聞く態度を学会員には示してください。
しかし、自分の考え方はしっかりと伝えることが大事です。

「話を聞いてくれているんだな」と相手が思えば、
落ち着いて色々と話ができます。
まずお互いの世界観を認め合えるまで、
根気良く話し合いましょう。

その中で矛盾していることがあればそこであえて突っ込まず、
ちゃんとどこが矛盾しているかを整理してから
相手に伝えられれば完璧です。

学会員の方、自分の考え・世界観を理解してもらうのは
かなり困難なことです。しかし、相手のことが本当に大切ならば、
しっかりと自分の考えを伝え、また相手の世界観を
認めてあげてください。
いつまでも「自分が正しい」とばかり思わないで下さい。

学会員の方も、非学会員の方も、間違えることは必ずあります。
「自分の考え方が絶対正しい」なんてことはないのです。

自分の何が間違っているのか、そこを見極めようとする人こそ、
本当に尊い人ではないでしょうか。

学会員の恋人を持ったあなた、それはとても大変でしょう。
日々苦悩されていることと思います。

どうしたら脱会してくれるのだろう?
将来結婚したら勧誘されないだろうか?
学会に入会しないと別れると言われた!

など、様々だと思います。
しかし、好きになってしまったものはしょうがないのです。
その気持ちは大切にしてください。

学会員の人は、当然のことながら学会否定をされると
自然にイラッときてしまいます。
でもそれは当然のことで、自分の生き様を侮辱されたも同然だからです。

なので、学会員の恋人の前で学会否定はなるべく避けましょう。

学会員には、否定ではなく、疑問を投げかけるのです。

お題目の力ってどういうものなの?
なぜ選挙で公明党を推しているの?
人間革命ってどういう意味?
創価学会は今迄どんな活動をしてきたの?

と知らないことをどんどん聞きましょう。
その中で疑問をどんどん突っ込んでいきましょう。
自分が納得するまで根気よく話し合うのです。

しかし、相手は創価学会員。
無宗教の方とは全部解り合うことは不可能です。
根本的に核としているものが学会員にはあるわけで、
それはスピリチュアルな世界です。

では、最終的にはどうしたらいいのか。

解り合うのではなく、認め合うのです。

相手を否定しては論争が始まるだけだと、私は身にしみて体感しました。

絶そして対にやってはいけないこと

「好きだから」創価学会であることを気にしないようにしよう!

という考え方です。
ただの現実逃避は何の進歩も生み出しません。
もし、今の学会員の恋人との将来を考えているのなら、
一刻も早くお互いで話し合うべきだと私は思います。

プロポーズしてから相手が創価学会員だった

これでは考える時間が少なすぎて結局自分も入信してしまう
ということになりかねません。

相手のことを本気で想っているのなら、
まずは、相手の話に耳を傾けてあげてください。興味を示してあげてください。

私はそれで、救われました。

私がまだ熱心な活動家だった頃は、役職(学会内での地位みたいなもの)が
あったので、会合(学会の集会)はかなり頻繁にありました。

「会合に出席する」ということが、役職についている役割でもありましたし、
現に出席しないと女子部の方達からはかなり厳しい言葉を浴びせられます。
私は熱心だったので、毎週、多い時には一週間全部会合で予定が埋まったことが
あります。「○曜日には必ずある会合」が多すぎました。

会社が終わり、残業が無い時は19時の会合には出席できるので
自宅へ帰り自転車を走らせます。もちろん夕飯なんて食べていません。

会合に参加し、皆で勤行をし、活動報告を聞き、体験談を聞き、
最後に各グループごとに集まって次の会合の予定連絡です。
大体21時ぐらいに終わります。しかし、会合が終わると大体家庭訪問するので、
帰る時間は22時半とかになってしまいます。

こんな時間に「家庭訪問」なんて常識的に迷惑だよな~・・・

しかし常識的に迷惑でも、大切な学会活動なんです。
(いくら常識がなくても、22時過ぎの訪問はしませんが)

クタクタになって帰ってきてから、家事と自分の資格試験の勉強が始まります。
もちろんお唱題(お祈り)も忘れません。30分ぐらいあげてからお風呂に入り就寝。
自分の見たい番組あっても見れません。一人でのショッピングの時間もありません。

役職というものは、私の母と女子部の人たちいわく、
「断ると福運が逃げる」のだそうです。
要するに、絶対に断ってはいけないものだということです。
断ったら不幸になると言っているようなものなのですから・・・

土日ももちろん活動がメインです。
朝は9時から、お昼は自宅へ帰り午後からまた会合。
夜は大きな集まりがあり、1日多くて3回会合へ顔を出しました。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんなに頑張ってるのに、女子部や両親は「もっと活動できるわよね」と言います。
毎日クタクタになるまで頑張ってるのに、自分のプライベートな時間も
もっと欲しいのに、会合に出ないと携帯の電話とメールがやみません。

そんなに自分の時間を削ってまで、会合は参加するべきものなのでしょうか?
「無理して参加する必要は無い」と皆さん言いますが、
では会合に参加しないで、自分の時間を優先して一人でショッピングしていたら、
学会員の人は「息抜きも必要だよね~」と素直にうなずけるでしょうか。

会合を断る私の方も「一人で買い物したいので会合には出れません」
とはとても言いづらいのです。

それって、物凄く変ですよね?

会合は確かに学会員には大切な行事です。
しかし、会合に参加することが重要なのではなくて、
「信心」することが大切なのではないですか?

会合へ出ていない=信仰心が薄い

とよく思われがちです。でもその考え方は、

絶対に間違っています。

私は祈伏することが一番尊いことだと教えられました。
それは、自分が真剣に創価学会を信じていることよりも尊いことなのですか?

「20歳までには1人折伏させましょうね。物凄い功徳になるわよ。」

○○歳までって・・・・・かなり異様な言い方です。
そんな年齢指定して言うことでしょうか。

『宗教を勧誘する』

これは、人生を大きく変えてしまう大きいリスクを共なうことなのです。
学会員の方は、人の人生を変えるという大きな責任を
しっかり背負い、自覚し折伏していますか?
その責任の重大さを、身に染みて理解していますか?

はっきり言って、私の家は貧しい家庭です。
大学へ進学した時も仕送りなどは一切なく、
奨学金と自分で稼いだお金で生活をしていかなくてはなりませんでした。
なのでアルバイトは4つ掛け持ちし、バイト三昧の日々を送っていました。
でも、とても楽しかったので良い経験になったと思っています。

今は社会人なので学生時代よりは金銭的に安定していますが、
金銭的に厳しい実家では、聖教新聞・グラフ・大白蓮華などを
こんなにも購読しています。
(その中の1部は私の家へ配達されています。)

聖教新聞:1880円×4部・・・7520円
グラフ:387円×4部・・・1536円
大白蓮華:200円×4部・・・800円
創価新報:105円(月間2回×3部)・・・630円
公明新聞:1835円×2部・・・3670円

計14156円

全部1部ずつならなんと4407円!!9749円の節約に!!

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜこんなにも購読する必要があるのでしょうか。
私は聖教新聞を読まないので両親に私の分はとらなくていいよと言いました。
しかしその意見は聞いてもらえず、さらに数ヵ月後、

母「今月はどうしてもポイントが足りないから
  もう1部キヨの家に聖教新聞入れさせてくれる?
  新聞代はこっちで払うからさ。」


さすがにこれにはあきれました。

私「あのさ、私に2部とらせたって、
  全然意味ないことわかってる?
  お金がもったいないでしょ!!
  いつもお金がないって言ってるくせに!!」


半ば半ギレ状態の私。
でも聞く耳もたれず勝手に手続きされ翌月からは私のポストに2部の聖教新聞。

母「友達にあげたりできるでしょ?」

私は、自分が共感できない新聞を友達には勧められません。

私は今の彼氏と将来結婚する予定ですが、
今問題になっているのが教会での結婚式です。

私は創価学会の会館で挙式をするつもりはありません。
彼は教会で挙げたいと言っていますし、私も幼い頃から
教会での挙式は憧れていました。

一生に一度の大切な結婚式。

会館で挙げる=御本尊の前で指輪の交換をする

これには正直耐えられません。
しかし私の両親は会館でどうしても挙げて欲しいらしいのです。
でも、こればっかりはいくら両親・祖父・祖母に頼まれてもできません。

「式は教会で挙げようと思っている。」

私は両親にそう言ったことがあります。
そしたら両親は

「勝手にして。でも一切援助はしないから。」

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私はなにも援助をしてもらいたくて言っているのではなく、
単純に両親に祝ってほしいから言っているのに・・・

しかも援助なんてしてもらうほど子供でもありません。
しっかり貯金をするまで結婚はしないし、
二人で働いているので順調に貯金もできています。

実家へ帰るといつも母親は言います。

「もっと良い人見つかるからね。」

そんなに別れて欲しいのでしょうか?
私が不幸でも創価学会の男性と結婚したほうが良いのでしょうか?

彼がどれほど頑張ってわからずやの私と話し合ってくれたか。
一方通行の私の思考回路と、諦めずにずっと話してくれたのに、
私はそれを何度も両親に話しているのに、

「今辛いんじゃないの?無理しているんでしょ?」

と言われ続け、結びに必ず

「キヨもいつか創価学会に戻る日がくるから大丈夫だよ。」

で終りになります。

本当に子供のことが大事なら、もう少し話を聞いてください。
創価学会も、対話が大切とあれほど言っているじゃないですか・・・

私は幼い頃から両親に、「それは功徳だね~。」と
良いことがあるたびに言われてきました。

ここでちょっと一つエピソードを。

私は創価高校を受験したのですが結果失敗に終わりました。
幸いにも県内の公立高校へ合格できたので万歳なのですが、
そこで親が一言。

「創価高校受験する時にあげたお題目の功徳よ!!!」

さらに

「創価高校を受験したら学園生(創価学園の生徒)と同じ。
 キヨには福運(幸せの貯金みたいなもの)が付いたわ!」


さらにさらに

「創価高校の難しい問題を解いてきたから合格できたのよ!!」

とマシンガントーク。
私の努力を評価してくれないの?と思いました。
まず始めに「おめでとう」とか「頑張ったね」って言って欲しかったです。

功徳って、自分の努力の結果ではないのでしょうか?
祈ることによって自分のモチベーションを高めることは良いことですが、
あくまでも高めるための手段であり、祈る=叶うではないと思います。

言い換えれば、モチベーションを高めるために自分が大好きな
音楽を聴いて=願いが叶うと自分自身にマインドコントロールをかけている
ようなものです。

そこを勘違いして、具体的な努力することよりも祈ることを優先させて
いる人が多く見られました。

祈って願いが叶うのなら、世界は創価学会のお題目によって
とっくに平和になっているはずです。
そもそも、創価学会の宗教以外は邪宗だ!!と攻撃的な態度をとっている時点で
世界平和を叫んでいるのが矛盾しているように感じますが・・・

創価学会の公式HPを見ていました。
基本情報の中に、ちょっと気になる内容があったので抜粋します。

『日蓮大聖人は「自分の幸福を願うならば,
まず周囲の平和を祈るべきである」と述べ、
個人の幸せは世界の平和・安穏なくしてはありえないと
説いています。その意味で創価学会は、
一人一人の幸せのみならず、真の平和・幸福社会の実現を
目指しているのです。 』
(SOKAnet:創価学会公式ホームページより抜粋)

「自分の幸福を願うならば、まず周囲の平和を祈るべきである」

これは、私の考え方と真逆だなと思いました。

まず、人間は自分が幸せでない時に他人の幸せを願えるでしょうか。
私にはできません。このブログを立ち上げられたのも、
私が今幸せだから、今悩んでいる人たちと私の体験したことを共有できれば
嬉しいと思い立ち上げたのです。

自分が幸せではない時、例えば志望校の受験の時、
自分の合格と友達の合格を祈りますか?
切羽詰っている時に、他人の幸せを最優先できますか?

他人の幸せを祈れるということは、あなた自身に余裕があるということです。
つまり、そこまで他人の幸せを願えるなら、あなたはもう幸せなのです。

自分が幸せではないのに世界平和を祈っているのは、
言い方は悪いですが自己満足の世界です。

「他人の幸せを心から祈れる」自分でいたいのです。

一人一人が幸せになってこそ、世界平和なのではないでしょうか。
いきなり世界平和を祈っても、そこにはなんの具体性もありません。
幸せの基準は人それぞれです。自分が幸せになるために
一人一人が頑張ることが、一番の世界平和への近道だと私は思います。
学会員の方で、両親がかなりの熱心な活動家の場合、
自分が止めることで(精神的にでもいいので)両親を傷つけて
しまうのではないかと考える人が多いと思います。
私も実際その一人で、現在私は全くの無宗教ですが
両親にはその気持ちを全部話していません。

私が未活動なのは両親も祖父・祖母も知っているのですが、
完全に精神的に止めているとなると話は違ってきます。
両親にはいずれ言おうと思っているのですが、
祖父・祖母には一生言わないと決めました。

実家へ帰るといつも言われます。

祖母・祖父
「いつもキヨの健康と、幸せと、早く信心の確信を掴んで
 活動家に戻れるように毎日祈ってるんだよ。」

私は高齢の祖父・祖母を傷つけてまで
自分の信念を話したいとは思いません。
両親はタフなので話しても大丈夫なのですが、
祖父・祖母を傷つけることは私も嫌なのでそう決めました。
実家に帰ればいつも祖父・祖母の言葉攻めです。
正直かなり辛いです。

でも、

創価学会だからしょうがないんです。

私は創価学会の家庭に生まれてしまった。
生まれてしまったからには嫌でも関係してしまうのです。
ある程度の我慢が必要になってしまうのは残念なことなのですが・・・

要するに

その辺は意地張らないであきらめるのが一番賢いです。

でも、私の家族は、私の健康・幸せをいつも願ってくれています。
それは純粋に嬉しいですし、私もできるだけ心配を掛けたくないです。
その気持ちは、これからも大切にしていきたい。
家族同士がいがみあうのは本当に悲しいです。

では本題に戻って両親への告白。

活動家の親に自分が無宗教ということを告白したら、
ほぼ間違いなく両親は激怒するでしょう。
私と両親もかなりの言い争いがありました。

道は二つ。

無宗教なのを隠しとおして一生を終えるか

告白して溝はできるが認めてもらえるよう頑張るか

です。

私は後者を選びました。なぜなら、彼との将来を考えているからです。
彼は私が創価学会なのは認めていますが、自分の家族や
友人に宗教活動をされるのを非常に嫌がっています。
私はもちろんしませんが、問題なのは私の両親です。
選挙になると彼の両親に電話するかもしれません。
私としてもそれだけは止めて欲しいので、
今からちゃんとした態度をとらないと大変なことになります。

なぜ宗教活動をされるのが嫌なのか。
答えは明確明瞭です。

迷惑だから

です。
どんなに自分にとって正しかろうと、相手が嫌なら
それを無理矢理勧めるのは常識が無い人間がすることです。
人に迷惑をかけてはいけないと、小さい頃言われませんでしたか?

「嫌がられても、創価学会のため・世界平和のため」

私は漠然とした世界平和を祈り、押し付け周りに嫌われるよりは、
自分の身の回りの幸福を大切にし、幸福になる道を選びます。

もし「両親が傷つくからなあ~・・・」と考えている人は、
多少の衝突は免れないと思います。
でもそれは、私達が創価学会という組織にいる上でしょうがないことなのです。
自分の幸せを掴み取るために、両親とはとことん話し合うべきだと私は思います。
話し合ってなにも結果がでなかったとしても、
言えないでビクビクした自分自身から脱皮できているのです。

ただ、無理はしないでください。
自分が限界だ!と思ったらいつでも休んでいいのです。
大変な時にこそ頑張ろうなんて気持ちは止めましょう。
仕事じゃないんだから、大変な時は休む癖をつけましょう。

頑張り過ぎていたのです・・・平日はもちろん土日も午前中から
会館へ朝の勤行へ行ってたし、午後は家庭訪問だったし・・・
頑張るの止めても罰なんてあたりません。
少なくとも私は罰なんてあたってません。

時間を掛けてゆっくり進んでいきましょう。
恋人が学会員の場合、その信仰度合いにもよりますが
脱退させるのは至難の技です。
なので脱退は考えず、精神的に止めさせることだけを考えましょう。

なぜ退会が難しいのか?
1、脱退手続きをしても、名前を排除されるのは困難なため。
2、親が学会員の場合、親との仲が非常に悪くなるため。
3、脱退すると、地獄へ落ちると教えこまれているため。
4、よっぽどの強い精神力がない場合、内部からの引き止めが
  もの凄い強いので精神的に耐えられない人が多い。

では、どうやって脱会へ導くのか。
これは私の経験に基づいてですので、あくまで参考程度に。

1、とにかく相手の話を真剣に聞く。
2、聞いた上で、相手が不安に思っていること、
  疑問に思っていることをどんな些細なことでもいいから見つける。
3、見つかったらそこを徹底的に話し合っていく。

ここで面倒になって別れ話が持ち持ち出す/出されるケースが多いと思います。
しかしここでダメになるようなら、酷い言い方ですが別れるべきでしょう。
なんとか話し合っていけるのなら、

4、矛盾点をつきつつ(批判にならないように)
  とりあえず相手を納得させる。(説得ではないです。)
  例えば、なぜ祈れば叶うのかを説明してもらうとか、
  選挙の時のしつこい勧誘をどういう思いでやっているのかを聞く。
  
納得させたら半分は精神的に脱会しています。
『創価学会は完璧な宗教団体』という考えを変えさせるのですから。
あとは学会員本人が一人で考える番です。
ここからはかなり学会員自身がキツイので、
頑張ってとしか言いようがないのですが・・・・

学会員本人が学会についての何かしらの矛盾点を発見したら、
それを自分で掘り下げていきます。
なぜ祈りがかなうのか?
なぜ平和の団体の創価学会が、創価学会以外を全て邪教というのか?
財務はどうのように使われているのか?
なぜあんなにも選挙活動をしなくてはならないのか?
など、自分の中での葛藤が生まれます。

そしていざ!学会に対する信仰心が薄まってきた・・・!!!
というところで最大の難関が生まれます。

この宗教をやめたら罰があたる

学会員の皆さんは本気で確信しています。
この恐怖心を取り除くのが、一番の難関かもしれません。

意外ですが、学会員自身が学会自体を疑うのまではとても簡単なことなのです。
ちょっと調べれば学会で教えられていない様々なことが
浮上してきますし、裁判の内容などはウソかけませんからね。
ただ、学会の人々はそういう情報(正しくても)を知ろうとしません。
インターネットの情報はほぼ間違いだと思っているからです。
裁判の内容を偽装してインターネットなどで言ったりしたら、
それこそ大問題って普通に考えればわかることなのに、
学会に不利な情報は信じようとしません。

この信仰は絶対的真理。
止めたら絶対に何か悪いことが起きる。


この思いを克服するのに私は1年ほどかかりました。
信仰心は無いのに、なんだか怖い。
親からも地獄へ落ちると言われていましたし、
なんせ20年以上も信じてきたのでそう簡単には覆せません。

本当に怖くて辛かった時期は2ヶ月ほど続き、
平均睡眠時間は3時間ほどでした。
拒食症になったのも、鬱病になったのもその時です。
夜はガタガタ震えて、何か起きるかもしれないと
外にも出たくなくなかった毎日です。

今思い出すと、壮絶な自分との葛藤がありました。

それくらい、信仰を捨てるということは大変だったのです。

でも、自分のためにも止めたほうがいいと確信していたので、
なかばムキになって無理矢理止めたという感じでした。

お陰様で今はとてものびのびと、平和に幸せに生きています。
まさしく人間革命です。

彼はだんだんと学会を非難するのは止め、

彼「俺はキヨのことが好きだから、
  将来ずっと一緒にいたいから、話し合っていこう。
  宗教で別れるなんてバカバカしいことだよ。
  俺はキヨとちゃんと話し合っていけるまで頑張るよ。
  だから、お互い批判し合うのではなくて、
  まずは認め合おうよ。」


こういって抱きしめてくれました。

今まで付き合った男性にこんなことを言われたことはありませんでした。
いつも批判され、そして別れる結果となってきました。

この言葉は、今でも鮮明に覚えています。

自分が正しいと信じて何十年も信仰してきたこの宗教。
間違っているなんて思いたくありませんでした。
でも、一つはっきりしていることがあります。

私は創価学会だから、こんな辛い思いを体験しなくてはならない

ということです。
学会員でなかったら、絶対に体験しなかった経験です。

普段泣かない彼の涙も見ました。
彼も私と同様、創価学会に対して真剣に向き合ってくれていたのです。
私と別れれば楽だったでしょう。でも、彼はそれをしませんでした。

物凄く辛かったと思います。
彼の真剣な態度で、私は創価学会から離れられました。
私もいっぱい彼を傷つけたし、私も傷つきましたが、
今は彼と一緒にいられることの幸せ・活動しなくなって、
自分の時間がとても増えました。

それに、学会員だった時よりも、より回りの意見に
耳を傾けるようになりました。それまでの私は
創価学会の思想に縛られ、創価学会に反する意見は
理由も聞かずに否定していました。
しかし、今は自分が違うと思った意見にも真剣に
耳を傾けられることができます。これは物凄い進歩だと思います。

今は本当に、幸せです。

親には相変わらず
「今の幸せはずっとは続かないよ。」と言われますが。

私は生まれながらにしての学会員です。
生まれた時から創価学会が正しいと教えられてきました。
なので、創価学会を否定されることは、自分の人生そのものを
否定された気分になり、かなりのショックを受けます。
それが好きになった相手なら尚更です。

好きになった人には(恋人には)幸せであってほしい

幸せになるのは創価学会しかない

折伏しなきゃ!

相手に拒否される

学会員は逆境になればなるほど頑張る

結局理解されないまま終わる
またはどちらかが折れる

恋人が学会員の皆さん、私からお願いがあります。
偉そうで申し訳ありませんが、創価学会の恋人へは
極端な学会批判をしないであげてください。
上には逆境になればなるほど頑張ると書きましたが、
受けるショックは想像を絶するものです。
しかしそのショックを抑えつけてまた祈るのです。
その繰り返しは、とても心身ともにこたえるこのになり、
そのために私は一時期拒食症になり、鬱病になりました。

創価学会が嫌い・創価学会から早く脱退してほしい
そう思う気持ちは痛いほどわかります。
創価学会員も人間です。普通の人間のように
笑い・悲しみ・怒ります。決して特別なのではなく、
育った環境が違っただけなのです。

創価学会員の皆さんの気持ち、痛いほどわかります・・・
学会員の方々が日々頑張って祈って活動しているのも、
本当に世界の平和・大切な人が幸せになってほしいから
活動しているのだと思います。私も実際そうでした。

しかし、学会員の方の中にも、ちょっと
「これは違うな?」とか「他の人に迷惑かな?」とか
思ったことがある人は必ずいると思います。
そういうことは、どんどん追求していいんです。
なぜなら、自分が信仰している宗教だからです。
自分が幸せになるためにしている宗教をより深く知って、
一体なにが悪いのでしょうか。
その中で疑問に思ったことを追求したら、
私は親に狂っていると言われました。

子供に対して狂っている・お前は幸せになれない
と平気で言う親がしている信仰を、私はどうしても
信じられなかったのです。

私が創価学会を止めた理由は、今まで話してきた
彼との会話もありますが、中でも女子部の言葉には
かなりのインパクトがありました。

沢山あるのですが、その中でもグサっときた言葉。

「残業が多いと活動できなくなるから転職しなさい。」

↑これは私が苦労して掴み取った就職先を、女子部に報告
した時に言われた言葉です。一瞬ショックで言葉を失いました。

「本当に学会員の自覚があるのですか?」

↑アルバイトと会合が重なって、アルバイトを選んだ時に一言。

「まだあなたは未成年だから本当は選挙活動しては
 いけないんだけど、同学年はもう成人しているから
 選挙頼めるわね。あっ、でも頼んでることは
 外部に言っちゃダメよ。」

・・・・・↑私は違法なことをさせられているのですか??
というか頼んでる時点で私の年齢皆知っているのですが・・・・・

こんな感じです。
女子部は基本的にいつも優しい言葉をかけてくれますが、
例えば会合参加を断ると、
「そっかあ、仕方ないよね。じゃあもっとお題目(お祈り)自宅で頑張ろう!!」
と言われます。

宗教は、頑張るものなのですか?
そんなにも友達に嫌われながら選挙活動をして、
お金をいっぱい財務に寄付して、
自分のプライベートな時間を削って活動して、
毎日クタクタに帰ってきて、
私の地区の女子部は、最近彼氏と別れたそうです。
理由を仲の良い学会の友達から聞きました。
「活動が忙しくて全然彼と会えないんだって。」

それは幸せですか?

死んでから極楽浄土へ行けるとしても、
(私は最初から死後の世界は信じていませんでしたが)
自分として生きられる一回限りの人生を、
そこまで「戦おう!!」「祈ろう!!」「頑張ろう!!」
ってしなくてはいけないのでしょうか。

自分の人生を豊かに、楽しく、幸せにするのが宗教だと思います。
決して、「毎日挑戦!!新聞啓蒙!!」などではありません。

私は彼や女子部といろいろ話しながら、だんだんと
自分の中で創価学会にたいする不安や疑問がうまれました。
(2年かかりましたが・・・彼はよくずっと説得してくれたと思います)

しかし、私から親に創価学会への疑問を口にしたら一言。

「あんたは狂ってるよ。」

彼は根っから宗教なんてものは信じません。
そういう非現実的なことは信じないタイプです。

私が以前創価高校の受験で落ちたことを話しました。
祈りが足りないと言ったら、その言葉に唖然としている様子。

彼「祈りが足りないのではなくて、単純な勉強不足だよ。
  例えば、一日2時間祈って1時間勉強するのと、
  一日3時間まるまる勉強するのと、どっちが受かると思う?」

確かに・・・彼は難関高校・大学を突破してきた人。
努力することがいかに大切かを身に染みて分かっているはず。

彼「祈るっていうのは、他力本願なんだよ。
  自分の努力が一番自分を裏切らない。」

祈るという精神的な世界の話をいくら突っ込んで話しても、
創価学会ではない彼には到底理解できないだろうと思い
話すのはやめました。結局、

祈れば願い事がかなうんだ!!!!!

と本気で思っていますから。

でも、私達創価学会員にとっては、祈るということが
どれほど大切なことか。生きる力の源なのです。
なので「祈って願いが叶うの?」と聞かれたら、
「かならず叶うよ。」と言います。根拠はありません。
もし叶わなかったら、「叶わなかったということは、
その道が一番自分にとって一番良い方向になるんだよ。」

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

要するに、叶わなくても叶ったことにしてしまうのです。

彼いわく、
「その宗教によって心が救われているのならそれは否定しないし、
 むしろ良いことだと思う。しかし、他の人間にも干渉してくるのが問題だ。」

例えば、私と彼が結婚したとします。
私は彼を入信させたいですが、それは無理だと考えます。
そしたらその後どうなるか。
子供を入信させるかさせないかが問題になってきます。

当然彼は無宗教で子供を育てたいので、猛反対するでしょう。
私は子供は絶対に入信させたいと反発するでしょう。

仮にもし、入信させなかったとします。
しかし、専業主婦になって活動に勤しむ私の姿を子供が見て
何も思わないはずはありません。どう考えたって、
私から子供への影響が強いに決まっています。
子供が小さければ会合に連れて行くでしょう。
そこで子供だけ入信していないと他の学会員が知っていたら、
間違いなく「入信させなさい」と言われます。

果てには
「あなたの信心が足りないからダメなのよ。
 このままではお子さんが不幸になるわよ。」
と散々に言われて入信させてしまうでしょう。

私はまだ活動家だった頃、彼を折伏させることはないと約束しました。
結婚の約束もしていたので、子供も入信させないと約束しました。

が、

心の底では

「祈ればかならず2人とも入信してくれる!!!!!」

と本気で思っていました。

彼に創価学会を理解してもらおうと固く誓ってから、
私の活動はさらに活発になりました。
と言っても、彼に「学会に入って」とは一言も言いませんでした。

「私が創価学会なんだから、私の生きる姿を見て彼から
自発的に創価学会に対する偏見を取り除いていけばいいんだ。」


と考えていたからです。

女子部からも
「祈れば必ず叶うよ!!一緒に頑張ろう!!」
と言われていました。

しかし、本部幹部会に参加してから彼の創価学会に対する批判が始まりました。
まず、学会が一番非難の対象となること・・・

しつこい選挙のお願いです。
あとは政教分離について。

これは本当に嫌がられる行為で、正直に言うと
学会員の大半がイヤイヤながら頼んでいると思います。
(頼み終わると「頼めた!!」と嬉しくなるのでイヤな気分は忘れますが。)
心の底から選挙が大好きで公明党について詳細に調べ、
知識をもって選挙依頼に行く学会員は少ないのではないでしょうか。
なぜなら、私は色々な地区を今まで見て来ましたが、
誰一人として公明党以外の政党のマニフェストを詳しく知っている人が
いなかったからです。選挙にそんなにも関心があるのに、
なぜ公明党のことしか知らないの?という感じですね。

でも、それでもいいのです。

「だって創価学会が、
     公明党は正しいって言っているから」


学会が正しいと言ったことは全て正しいと教えられてきました。
創価学会以外の宗教は全て邪教だと。

でもそこで一つ矛盾が生まれます。

ではなぜ、池田大作氏は他宗教の偉人と呼ばれている人々と
あんなにも親しく対話して章などももらっているのか。

でも、それでもいいのです。

「だって創価学会は、
    池田大作氏の教えが絶対的真理だから」


以前女子部の誰かが言っていました。
「マハトマ・ガンジーやキング牧師は
 心が仏教に通じているからヒンドゥー教・キリスト教
 というのは全く関係の無いことなんです。」

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

正直これを聞いた時には唖然としました。
(その時はかなりの活動家です)
全て邪教ってついさっきまで言ってたじゃん(°◇°;)
なのにその他宗教の信念に基づいて一生を捧げてきた
二人の心が仏教に通じている?
(こういう風にいうと学会員さんからそれは屁理屈だ!と
 クレームがくるかもしれませんが・・・)
しかも、キング牧師はその名の通り『牧師』さんですが・・・
牧師さんって、神様に一生仕える人ですよね?
邪教に一生を捧げている人を信用できるのでしょうか。

話は戻って、しつこい選挙のお願いについて。


彼「なんで人が嫌がることをするの?」

私「それが世界平和・日本のためだからだよ。」

彼「それで友達がいなくなってもいいの?」

私「いやだけど、選挙を頼む上である程度は仕方のないことだよ。」

彼「それって、迷惑だって認めてるんじゃん。」

私「でも、日本がこれ以上悪くならないためにも、必要なんだよ。」

続いて彼
「じゃあ、俺に頼むなら詳しく説明してよ。
 俺が投票したくなるようにしっかりと公明党についてさ。」

ここでつまってしまいました。
結局は「私が創価学会だから公明党を支持している」のです。
詳しいマニフェスト・他党との比較なんて勉強していません。
ただ公明党に入れるのが正しいと思っていました。

でも選挙って、そういうものではないですよね。
自分で考え、比べ、見て、聞いて、一票を投じるものです。
もちろん頼むのが悪いとはいいません。
自分が良いと思ったものを薦めることは良いことだと思います。
しかし、もし薦めるのなら、その推薦者について
誰よりも詳いぐらいでないと選挙の場合信憑性がもてません。
選挙はただ単に「良い曲」や「良い本」とは違い、
自分の未来が左右される大事なものだからです。
そんな大事なことを、何の知識がないのに薦めることの
危険さ・おろかさを知らない人々がたくさんいます。
もちろん私もその一人でした。

「この政党に投票して!」
「この政党をどうして薦めるの?」
「このマニフェストを見てよ、こんなにも素晴らしいことを
 言っているのは公明党しかないんだよ。」
「でも、民主党だって同じようなことを言ってるじゃん。」
「民主党は絶対にだめ!信用できない。悪いことばかりしているから。」
「なんで信用できないの?悪いことってなに?詳しく説明して。」
「例えば○○という事件あったじゃん。」
「じゃあ公明党はそういうこと一切していないって言い切れるの?」
「公明党はそんなことしてないよ!」

こういう「公明党・創価学会は悪いことは何一つしていない」
という先入観・刷り込みがこの会話の終着地点を見えなくしています。
なので、こういう風に「だって正しいんだもん!」と根拠なく言い張っている人を
私は絶対に信用しません。

彼との選挙論争では、私がことごとく打ち砕かれ、
(彼は政治にも詳しいので)
私は結局一つの結論に達しました。

うん、もっと祈っていこう!!

遂に始まりました。

まず、このブログを読んでくださっているということは、
何かしら創価学会について悩みがあるのだと思います。
あなたは学会員かもしれないし、そうではないかもしれませんが、
創価学会員の恋人と付き合う・結婚するというのはかなりのパワーが必要です。

まず、私と彼が出会い、どのように創価学会ということを
伝えたのかを話したいと思います。

彼とは大学時代に知り合いました。といっても、同じ大学ではなく
うちのサークルが他大学と交流があったのため、そのサークルの
飲み会で自然に仲良くなって付き合ったという感じです。
私の彼は根っからの現実主義者・論理的思考の男性。
元々理系だったということもありますが、宗教は所詮人間が
造りだしたもの、という考え方の人です。
なので私も自分が創価学会だと言ったら、
必ず反対又は彼に折伏はかなり難しいと考えられましたし、
実際言うか言うまいかかなり悩みました。

しかし、私は創価学会でかなりの活動家。
「自分の大切な人へ言う事ができない=信仰心が足りない」
という思考回路なので女子部に励まされつつも告白。

私「あっ、私創価学会なんだ。(できるだけさらっと)」


これだけでした。
特に学会のことを話していたわけではないのですが、
言った後は「遂に言ってしまったかあ~・・・」とドキドキ。
しかし帰ってきた返事は意外な一言。

彼「マジ?俺ちょっと興味あるんだ。集まりに参加させて。」


ええ!????かなり意外。
ここで私はこう思いました。
「彼はわかってくれるかもしれない!!!!」と。

彼を連れて本部幹部会に出席。
しかし彼は宗教を信じない性格だとは百も承知なので
その場に彼といられるのが夢のようでした。

見終わって「どうだった?」と聞くと、
彼「予想していた通りだった。気分が悪い。」

今考えると気分悪くなるのもしょうがない・・・(^_^;)
本部幹部会に行ったらいきなり若い青年が

『師匠にお応えするために命をかけて戦います!!!!!』
『極悪非道な○○!!!!!絶対許してはいけません!!』
『一秒も早く○○を撲滅し、大勝利していきましょう!!!』

よく文句を言わず2時間近く見れたと思います。
でもその時私は

「これからが勝負だ!!
   彼と幸せになるために祈っていかなきゃ!!」



と固く自分自身に誓ったのでした。

このブログに起こしいただき、ありがとうございます。
このブログを読む前に、大切なことを一つお伝えします。

私は創価学会員ですが、現在は完全な無宗教です。

信仰していた時はかなりの活動家でしたし、私の家庭もかなり信仰心が強いです。
結論から言いますと、彼(現在は元恋人)や身の回りの学会員に影響され無宗教になりました。
脱退はしていませんが、一生戻る気はありません。

あと、なぜこのようなブログを立ち上げたのかを説明します。

私の元恋人との出会いが、大きな変化の第一歩でした。
この付き合っていた5年の間、創価学会に関して様々なことを話し合いました。
その上で、学会員の私にとってはかなりの苦痛と不安の毎日でした。
宗教という生まれながらにしての見えない鎖でつながれ、
宗教という人間が創り出したものによって私達は翻弄されました。
本当に自分との葛藤が物凄く強く存在し、
一時は精神的にも参ってしまい鬱状態になってしまいました。

創価学会の恋人を持って苦悩している人は沢山いると思います。
このブログを作るのも正直物凄く迷いました。
なぜなら、創価学会との関わりを持ちたくないからです。
しかし、今はこう思います。

人間の思い・記憶はどんなに強烈なことでも時が経てば風化します。
こんなにも凄い・強烈な体験をした私の記憶も、いずれ忘れていきます。
私みたいに悩んでいる人は沢山いるのに、私はただ何もしないで
自分の記憶から創価学会を消去しようとしているのが、とてもやるせなくなりました。
このブログが、少しでも同じ悩みを持つ人々に役立ってくれれば、
私はとても嬉しく思います。

そして、学会問題で悩んでいる皆様、
決して学会問題は解決できない問題ではない
ということを、心にとめておいてください。

※尚、このブログの記事につきましては、私一個人の経験に基づいて
書かれています。このブログの内容が創価学会の「全て」とは
くれぐれも受け取らないようにしてください。

~このブログの方針・コメントについて~
1、このブログへのコメントは基本自由にしてくださって構いませんが、
  酷い誹謗・中傷はこちら側で削除させていただきます。
  私は創価学会を攻撃したくてこのブログを立ち上げたわけではありません。
  あくまでも、同じ悩みを持った人々との交流の場として立ち上げました。
2、コメントの返事はなるべく早めに返信しますが、仕事の都合上
  遅れてしまうこともありますのでご了承ください。
3、コメント欄は自由に話し合って頂いて結構ですが、その歳に必ず
  ハンドルネームをつけてください。(返信しやすいように)
  あとは、同人物で複数人物を作らないでください。(混乱を防ぐため)
4、もしこのブログで扱って欲しい事がありましたら、お気軽にコメント
  などでお知らせください。できる限り対応したいと思います。

これからも方針などは追加されるかもしれませんが、
更新されたらお知らせしますのでご覧下さい。
皆さんが幸せに生きていけるように、一緒に考えていきましょう。

キヨ

こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

キヨ

Author:キヨ
FC2ブログへようこそ!

QR

☆携帯からもどうぞ☆

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。