創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
皆さんこんにちは!
本日は子供の入会についてです。

2世・3世と呼ばれる、いわゆる約生まれて約一ヵ月後に
創価学会に入会させられる福子(ふくし)。
福子は幼い時から会合へ連れてかれ、
両親から学会の素晴らしさを教えられます。

両親が創価学会の場合、それがある程度の活動家ならば
子供はほぼ100%に近い割合で入会になります。
正直に言いますと、この状況はどうしようもないよいうか・・・
両親がバリ活の時は運命だと思うしかないと私は思っています。

また、母親が活動家で父親が無宗教の場合。
このケースが結構多いのですが、絶対にしてはいけないのが
「大きくなってから子供に選択させればいい、だから今は入会させない」
という約束をお互いしてしまうことです。

なぜいけないのか?
私も活動家の時に彼に言ったことがあります。
彼は「それは無責任だ」と私に言いました。
最近になってその言葉の意味がわかるようになったのですが、
まず、母親が活動家の場合子供にとって以下の点が考えられます。

(母親は専業主婦(またはパート)、父親はサラリーマンの設定)
1、母親が勤行している姿を見る
2、母親が会合へ行くのに一緒についていく
3、学会の書物・新聞が目に付くところに置いてある
4、母親が他の学会員と交流している姿を見る
5、母親が子供に学会の話をする

これらの状況が幼い時からずっと継続し、成長した時に
子供が創価学会について客観的に判断できるでしょうか?
母親が活動家ならば、子供には学会に入ってほしいという
気持ちがとても強いと思います。
母親は子供の前で学会賛美を言いつづけ、
それを聞かされている子供は学会をどう思うでしょうか?
私は、もうそれは入信していないという形式だけにすぎず、
価値観は創価学会に充分染まっていると思います。

いくら母親と父親が「子供に決めさせよう」と思っても、
子供に決断を求めるのはあまりにも不公平な要素が
多するのではないでしょうか。
最終的に子供が創価学会を選択したとして、
「大きくなって学会に入ると決断したのならそれはしょうがない」
と父親が言ったとしても、子供が学会を選ぶのは充分予測できることです。

私は、今まで子供に関してはかなりの放任主義だったと思います。
しかし、子供はある程度親が面倒を見て、道を与えなければ
ならないと気付きました。自分で何でも選ばせようという考え方は、
一見とても子供の意思を尊重してるようですがそれは逆で、
ある程度道を作り、選択できるようになるまで成長してから
選ばせることが大事なんだと思いました。

宗教は一生を左右するものです。
創価学会なら尚さらだと私は思っています。
子供の生きる道を、簡単に「生まれたから入会させよう」
「将来子供に任せればいい」と決断してほしくないのです。
もう少し広い視野で、客観的に子供の幸せを見ることが
大切なのではないでしょうか・・・

スポンサーサイト

コメント

昔は様々強かったのだと思います。
私は地区、支部の方に聞いてますが、今は旦那や子供が未入会の家庭が多いと聞いてます。
私は旦那の意向もあり、子供を入会させる気はありません。
旦那は学会嫌いで、様々批判を受けてきて精神的に病みそうになりました。
旦那は学会批判するとお前の事は批判していないと言いますが、宗教に関しては今は亡き両親しかいないこともあり、個人的には同等と見てしまいますが。

見ていて思うのですが…確かに訴えたいことも悩んでいることも分かります。
私も女子部時代に似た経験して、地区、支部幹部相手に対立したこともあります。
ただ、外部の人は学会員であれ、そうでなくてもアンチと思われてもおかしくないのではないでしょうか?
ネットは顔が見えない分、誤解される率は高いですし。

>ユーさん

「マイティ・ハート」は今CMやってますよね。
私も彼も映画を見に行くことは滅多に無いので
(3年付き合っていて1回行ったきりです(^_^;))
映画館で観ることは無いと思いますが、
レンタルでたら観てみたいですね。ご紹介ありがとうございました^^

結構、やり取りしましたね。 なかなか理解してもらえなかったけど、頭の片隅にでもしまっておいて下さいね。

最後に、今月23日から全国公開のアンジェリーナ・ジョリー主演の「マイティ・ハート」と言う映画を是非、彼と一緒に見てください。
ウォールストリート・ジャーナルの記者だった夫をテロリストに惨殺された方の実話を元にした映画です。 この方は、その耐え難い苦しみから信心によって立ち上がられたSGIメンバーです。 前に本も出版され、我が家にもあります。
フランスで「真実賞」を受賞した素晴らしい本です。  アカデミー賞有力候補らしいので是非、御鑑賞ください。

>ユーさん

>>今のキヨさんは何がなんでも信じないぞってなってるので、
>>これ以上は現時点ではやめておきましょう。 
>>時が経てばきっと分かってもらえると思いますよ。

未来のことはわかりませんが、
このブログを立ち上げる前のように、
おそらく時がたてば忘れていくのでしょう。

>>世間で色々と学会のバッシングをする人がいますけど、
>>なのに何故、学会は世界まで広がり今なお拡大し続けるんでしょうね? 
>>お金がもらえる訳でもないのにね(笑)。

折祈する人がいるから広がっているのでしょう。
どれ程増えているのか詳細の数がわからないのでなんとも言えませんが、
他の宗教でも信者数が増えているものなんていくらでもあるでしょうしね。

>>そこに充実の人生があるからだと思います。

充実を感じているのなら良いと思いますよ。
それを強要してこなければ、ですが。

>>生活の場面で、学会員に遭遇しないって事は日本に住んでる限り無いと思いますので、
>>その時はあまり偏見の目でみないで下さいね。

生活の場面で学会員に会っても、私はなんとも思いません。
私の周りの環境に干渉してこなければ何も嫌なことはありませんからね。

学会員さんがどのような意見を持っているのか、とても参考になりました。
数々のコメントありがとうございました^^

今のキヨさんは何がなんでも信じないぞってなってるので、これ以上は現時点ではやめておきましょう。 時が経てばきっと分かってもらえると思いますよ。
世間で色々と学会のバッシングをする人がいますけど、なのに何故、学会は世界まで広がり今なお拡大し続けるんでしょうね? お金がもらえる訳でもないのにね(笑)。
そこに充実の人生があるからだと思います。
生活の場面で、学会員に遭遇しないって事は日本に住んでる限り無いと思いますので、その時はあまり偏見の目でみないで下さいね。


>ユーさん

>>あなたは私の言った事について根拠を示せと言われた。
>>それで私は書籍を読むように薦めました。でも、あなたは1行も読まずに拒否された。
>>何も知らない、知ろうとしないし、人の言う事は自分で勝手に解釈して拒否する。 
>>若いとは言えあまりにも失礼な振る舞いじゃないでしょうか? 
>>もっと柔軟さが有ってもいいんじゃない?

よく私のコメントを読んでください。

『学会側から書かれた書物を読むことは、はっきり言って
あまり意味がありません。なぜなら、それらは全て学会主観で書かれているからです。
しかも、御書などは特に解釈の仕方が千差万別なので、
内容について討論する時に「こう言えばああ言う」状態になってしまいます。
要するに、いくらでも都合の良いように言えてしまうのです。
解釈の仕方の問題ですからね。
そしてそこから根拠が読み取れるとは到底思えません。』

学会の書物は、創価学会の教義について客観的に述べた本ではないのです。
(要するに、万人に解るように論理的にかかれていません)
教義を知る上で、あまりにも情報に信憑性がありません。
根拠とは『判断・推論などを成り立たせるよりどころ。行動などの正当性を支える事実。』
です。学会精神で満たされた本をよりどころにして正当性を支えるのは不可能だと思います。
ユーさんはユーさんの言葉で根拠を説明することはできないのでしょうか。
(以前長くなってしまう、とおっしゃっていましたが、長くなるから不可能なのですか?)
それに「本を読んでください」で済むのでしたら、なぜこの場にコメントしているのですか?

それに、、もちろん私は今まで学会書物を読んできましたよ。
実家に沢山ありましたし、一人暮らしになってからも
買って読んでいました。(今は全て処分しました)
読んでみてわかったことは、全然説得力がない、ということです。
学会員でない人が読んで、理解できる内容だとも思いません。

>>これまでのやり取りも、私はいい加減にしたつもりはありません。 
>>学ばずに正確な認識もせず評価するのは賢明だとは思えません。

学会の書物を学ぶことが正確な認識に繋がるとは到底思えません。
それに、私はユーさんのコメントに関していい加減だと思っていません。

>>善悪の結果は厳然と現れます。これは、あなたが信じようが信じまいが関係なくです。
>>私は長い信仰歴で全部見てきました。
>>批判し辞めていった方で幸せになった人は一人もいません。 
>>みんな最後は後悔の念を抱いておられます。 
>>だからこそ絶対に辞めてはいけない、真面目に信心に励んで下さいと言ってるのですよ。

私は創価学会を批判したくてこのブログを立ち上げているのではないのですよ。
私はこういう価値観です。皆さんどう思いますか?と
聞いているだけにすぎません。しかし学会の方は、
「この仏法でしか幸せになれない」と決め付け強要してきます。
果てにはユーさんのように「みんな最後は後悔の念を抱いておられます」との
ような言葉を残していきます。
私は宗教において価値観を強要するのはおかしいと思うのです。

私は他の人の価値観を非難したり中傷したりしたくありません。
それで幸せになっているのなら良いと思うからです。
そこに「その幸せになれるための根拠は?」と聞いて
「学会の書物を全部読んで勉強してください」はあまりにも投げやりな回答だと思います。

キヨさん。あなたの人生、寄って立つところは何ですか? あなたは私の言った事について根拠を示せと言われた。それで私は書籍を読むように薦めました。でも、あなたは1行も読まずに拒否された。 何も知らない、知ろうとしないし、人の言う事は自分で勝手に解釈して拒否する。 若いとは言えあまりにも失礼な振る舞いじゃないでしょうか? もっと柔軟さが有ってもいいんじゃない? 
これまでのやり取りも、私はいい加減にしたつもりはありません。 学ばずに正確な認識もせず評価するのは賢明だとは思えません。
大聖人の仏法を甘くみないでください。
善悪の結果は厳然と現れます。これは、あなたが信じようが信じまいが関係なくです。
私は長い信仰歴で全部見てきました。
批判し辞めていった方で幸せになった人は一人もいません。 みんな最後は後悔の念を抱いておられます。 だからこそ絶対に辞めてはいけない、真面目に信心に励んで下さいと言ってるのですよ。
「苦に徹すれば珠となる」です。 どんな事が有っても地道に信心に励んで行けば一挙に道が開けます。
たとえ、一週間でもいい。ご本尊に「私に何が本当か」を教えて下さいと真剣に唱題してみてください。必ず結論がでます。


>ユーさん

>>自身の特別な人意外は責任もてませんみたいな事言ってるけど、ホントにそれでいいの?

例えば、
Aさんは家族を大切にし、一生懸命自分たちの幸せの為に努力する。

Bさんは独身で、ボランティア活動が生きがいな人である。
世界中の苦しんでいる人の為に災害時などは救助活動へ真っ先に行き、
医師免許を取り無医村に自主的に行き病院を立ち上げ何百人と命を救っている。

Aさんは特別な人が「家族」
Bさんは特別な人が「世界中で苦しんでいる人」

恐らく、世間体的には後者の方が前者よりも「凄い」と誉め称えられるでしょう。
「結果的に何百人もの命を救っている」のですからね。
しかし本質的に言うと、どちらも同じぐらい素晴らしいことだと思います。
私は救った人数は関係ないと思っていますよ。
Aさんにとっては、特別の対象が「家族」であっただけで、
Bさんにとっては、Aさんの家族というものが「世界中で苦しんでいる人」
だったという結果にすぎません。
大切なのは『特別な人の為に一生懸命努力しているか、していないか』
であると思います。

そして、自分がその人を幸せにしたい、と思った時点で
自分にとってその人が「特別な人」になるのですから、
ユーさんも結局は「特別な人以外責任持てません」と言っているようなものです。
特別だ、と思う範囲の問題であり、その大きさに優劣をつけられるでしょうか?

>>特別な人じゃない人まで面倒みていくから学会はすごいんじゃない。 
>>そこに人間的成長があるんですよ。 最初から出来ないやらないじゃなくて、
>>自分のできる範囲でお世話していけばいんじゃないの。

『特別な人じゃない人まで面倒をみていく』この、特別と特別じゃない
ラインは学会ではどこにあるのでしょうか。
ユーさんはしっかりとラインを引いているようですね。
自分でできる範囲、これはどのように決めているのですか?
私はこのラインは自分で決められることであり、
他人が決められることではないと思います。

>>根拠がしりたければ、学会には読みきれない程の書籍が有るので、
>>しっかり勉強してくださいね。 実家にたくさん有ると思うから。
>>信心は信・行・学の順です。 字も読めない様な人でも、信が有れば宿命転換できます。
>>逆に学のみ有っても、信・行がなければそれは叶いません。 
>>演繹的・帰納的て分かりますか?仏法や東洋思想はでちらかというと帰納的なんですよ。

学会側から書かれた書物を読むことは、はっきり言って
あまり意味がありません。なぜなら、それらは全て学会主観で書かれているからです。
しかも、御書などは特に解釈の仕方が千差万別なので、
内容について討論する時に「こう言えばああ言う」状態になってしまいます。
要するに、いくらでも都合の良いように言えてしまうのです。
解釈の仕方の問題ですからね。
そしてそこから根拠が読み取れるとは到底思えません。

自身の特別な人意外は責任もてませんみたいな事言ってるけど、ホントにそれでいいの? 将来生まれてくる子供にも、そう言う風に教えていくのかな? 世の中みんながそんなだったら殺伐としちゃうでしょうね。
特別な人じゃない人まで面倒みていくから学会はすごいんじゃない。 そこに人間的成長があるんですよ。 最初から出来ないやらないじゃなくて、自分のできる範囲でお世話していけばいんじゃないの。
根拠がしりたければ、学会には読みきれない程の書籍が有るので、しっかり勉強してくださいね。 実家にたくさん有ると思うから。
信心は信・行・学の順です。 字も読めない様な人でも、信が有れば宿命転換できます。逆に学のみ有っても、信・行がなければそれは叶いません。 演繹的・帰納的て分かりますか?仏法や東洋思想はでちらかというと帰納的なんですよ。


>ユーさん

こんにちは!

>>愛情深いキヨさんは自分の子供がいたら、その子が幸せになる様に親としての
>>責任を持って当然努力されますよね? それと同じです。 
>>たとえ、他人であってもその人の幸せのために責任を持って努力するだけです。 
>>決して有り得ないことではないでしょ? 
>>現にかたちこそ違えども、元は赤の他人の彼氏のために頑張ってるじゃない

私は同じだとは思いません。
自分の子供・自分の彼氏の幸せを願って努力するのと、
部員さん(お互い友情が深くない間柄)の幸せを願って努力するのとでは、
そこに努力の差があって当たり前であり、そこに差が無いのは
「そこまで特別な存在ではない」ということになると思います。
もちろん彼も他人でしたが(血が繋がっていない、という点で一生他人ですが)、
しかしお互いに愛情を深め合い、お互いが「特別な存在」と思っている以上
そこに他人(お互い友情が深くない間柄)との努力の差が生まれるのは当然のことです。

その人のためを思って幸せのために責任を持って努力するのならば、
その相手(部員さん)はユーさんのとって「特別な人」であるだけであり、
私にとってはその相手(部員さん)が「特別な人ではない」ということなだけなのです。
そこを「冷たい、無責任だ」と言うのであれば、自分にとって特別ではない人へも
自分の特別な人と同じように責任を持ち、幸せにしなければなりません。
私にはそんな努力できませんし、したくありません。
ユーさんはできるのでしょうか?

>>自身の考えや力だけでは救っていく事が出来ないからこそ信仰があるんですよ。
>>そのために生命論があり人間革命の哲学が必要なんですよ。

ユーさんが他人を救っていくにはその『人間革命の哲学』が
絶対に必要だとおっしゃるのならば、その哲学をお持ちになって
努力すればよいことだと思います。
私は創価学会の『人間革命の哲学』は自分の一生に
必要無いと思っています。

>>学会から離れると罰があたると思ってた・・・・罰は決して当たるものじゃない事は
>>知らなかったのかな? 福運も罰もどこかからやって来るものじゃなくて、因果です。 
>>良い因を積めば福運となり、悪い因を積めば罰と現れるだけです。
>>全て自分次第て事です。 それだけはっきりとした結果が出る信心ですよ。
>>キヨさんはまだ若いのでなかなか実感出来ないかもしれないけど、
>>宿命は年齢を重ねる程にその人の人生に色濃く出てきます。 
>>その宿命を転換し、必ず幸せの方向に向けていけるのはこの信心以外にありません。

Kのコメントと同様、根拠がわからないので理解できません。

彼氏まで出てきちゃってちょっとビックリです!

決して他者のためにでは有りません。キヨさん自身のために退転しちゃいけないと言っているのです。 
Kさんはおいくつですか?

仏法の事を詳しく知りたいので有れば、第三文明社刊の河合 一 著 「生活に生きる信仰」を是非、呼んでください。 また、日蓮大聖人御書全集も彼女に言えば有ると思いますので、一読ください。(ちょっと難しいですけど)

この信仰が人の成長や幸せに、有効であると言う事は既に世界中で数百万人に実証済みです。
この事実は誰にも否定はできないでしょう。
学会は常に門戸を開いている団体ですので、あなたも疑問が有れば直接組織の者に聞いたり、書籍を読むなどして、しっかり見てもらえればどうでしょうか?
 

どうしてバリの方は質問に答えないのですか?

>ユーさん

キヨの彼氏の「K」です。はじめまして。
ブログを読んでて少し興味がわいたのでちょっと書き込みしてみます。
なお、キヨとの差別化のために、一人称は“俺”で失礼いたします。

>>愛情深いキヨさんは自分の子供がいたら、その子が幸せになる様に親としての責任を持って当然努力されますよね? それと同じです。 たとえ、他人であってもその人の幸せのために責任を持って努力するだけです。 決して有り得ないことではないでしょ? 現にかたちこそ違えども、元は赤の他人の彼氏のために頑張ってるじゃない。

親が子供のために責任をもって努力するというのは理解できます。
(たとえ両親間に既に愛情がなくとも子供がいるので離婚しない、というのは良く聞く話です)

しかしながら、それは信仰においても同様に成り立つものでしょうか?
自分には既に信仰がないのに、他者のために学会に所属し続けるということに、果たして意味があるのでしょうか?

キヨの役職が相当高いということであればユーさんの言う事も解りますが、キヨは当時まだ十代でした。他人に対する責任より自己の信仰心を優先しても、何ら責められることはないと俺は思いますよ。

>>学会から離れると罰があたると思ってた・・・・罰は決して当たるものじゃない事は知らなかったのかな? 福運も罰もどこかからやって来るものじゃなくて、因果です。 良い因を積めば福運となり、悪い因を積めば罰と現れるだけです。全て自分次第て事です。 それだけはっきりとした結果が出る信心ですよ。キヨさんはまだ若いのでなかなか実感出来ないかもしれないけど、宿命は年齢を重ねる程にその人の人生に色濃く出てきます。 その宿命を転換し、必ず幸せの方向に向けていけるのはこの信心以外にありません。

根拠が全く書いてありません。
理解できません。

愛情深いキヨさんは自分の子供がいたら、その子が幸せになる様に親としての責任を持って当然努力されますよね? それと同じです。 たとえ、他人であってもその人の幸せのために責任を持って努力するだけです。 決して有り得ないことではないでしょ? 現にかたちこそ違えども、元は赤の他人の彼氏のために頑張ってるじゃない。
自身の考えや力だけでは救っていく事が出来ないからこそ信仰があるんですよ。
そのために生命論があり人間革命の哲学が必要なんですよ。

学会から離れると罰があたると思ってた・・・・罰は決して当たるものじゃない事は知らなかったのかな? 福運も罰もどこかからやって来るものじゃなくて、因果です。 良い因を積めば福運となり、悪い因を積めば罰と現れるだけです。
全て自分次第て事です。 それだけはっきりとした結果が出る信心ですよ。
キヨさんはまだ若いのでなかなか実感出来ないかもしれないけど、宿命は年齢を重ねる程にその人の人生に色濃く出てきます。 その宿命を転換し、必ず幸せの方向に向けていけるのはこの信心以外にありません。



>ユーさん

>>確か世界救世教というところがこの世は仮想現実だ、みたいな事言ってましたね。
>>もちろん常識外れであり、有り得ない事は誰もが普通に理解できることですけど。

その宗教は知りませんでした。
そんな宗教もあるんですね。

>>お金が絡むと社会的責任が有って、絡まないと責任が無いみたいな勝手な解釈はどうかと思います。
>>お金に関係なく個人にも社会的責任は必ずあります。

そもそも私とユーさんの「社会的責任」の意味の受け取り方が全く違うようです。
ユーさんは友人や知人の一個人に対しても社会的責任が生じるとおっしゃっていますね。
社会という言葉を調べてみましょう。(ウィキペディア参照)
『社会(しゃかい)とは、相互に影響しあう複数の人間によって構成された、
比較的大規模な集団・集合体・もしくは共同体のことである。
範囲を限定された小規模な集団や組織は社会とはいわず、それより大規模な
(かつ相互作用がある)集団のことをいう。』
だそうです。
私が学会をやめる事は説明の後者に当てはまると思いますがいかがですか?
信仰は、好きな音楽を自分で選べるように、自分の意志のみで自由に選択できるものだと思います。
役職がついたから面倒見なくてはいけない、それを放棄するなんて
社会的責任が問われるよ!とおっしゃるのは私にとっては意味不明です。
恐らく、私の社会的責任のラインの基準と、ユーさんの基準が
あまりにもかけ離れているだけなので、この話は平行線になるでしょう。

>>面倒をみるというのは、信心を深め成長してもらい、幸せになってもらう責任を持つということです。

ここなのですが・・・
あの、他人の幸せに責任を持つ必要があるなんてあり得ないことだと思います。
創価学会の中でそれがあり得るのならば、それはとてつもないことですね。
自分で幸せになるための信仰で、なぜ他人の幸せに責任を持たなくては
ならないのですか?もし幸せになれなかったら、その人自身の責任ではなく、
上の役職の人の責任だとおっしゃるのですか?
他人の人生に責任を持つなんて、普通はできないことだと思いますよ。
もし役職を持つことが他人の人生に責任を持つことならば、
私は絶対に受けなかったでしょう。私はそこまで他人に幸せを
約束できるほど凄い人間ではありません。

>>自他ともの幸せを信じ、戦ってこられた方を前にして、あなたは「私は嫌になったからもう辞める」
>>と簡単に言えるのですか? それはあまりにも身勝手であり、
>>相手を思う思慮深い人間のとる行動だとは思えないのですが。

簡単に言えなかったから苦しんでいたんですよ(^_^;)
なぜ簡単に言えなかったのか?「学会から離れると罰があたる」と思っていたからです。
でも、そのような心理がなかったら簡単に言えていたことでしょう。
そして、簡単に言う事が「身勝手」とも思いません。
信仰に関して、嫌でも続けるのが「思慮深い人間」だとも思いません。

確か世界救世教というところがこの世は仮想現実だ、みたいな事言ってましたね。 もちろん常識外れであり、有り得ない事は誰もが普通に理解できることですけど。
お金が絡むと社会的責任が有って、絡まないと責任が無いみたいな勝手な解釈はどうかと思います。 お金に関係なく個人にも社会的責任は必ずあります。
苦しい時に周りは一切関係なく辞める事は間違ってます。 仕事でももしくはスポーツなどでも、自分の都合だけでやったりやらなかったりする人はいずれ信用を失うでしょう。 肝心な事はそういう人には絶対に任せられないんじゃないですか?  面倒をみるというのは、信心を深め成長してもらい、幸せになってもらう責任を持つということです。 学会はずっとこれでやって来ました。そして多くの不幸に喘いでいた人達を幸せ一杯の境涯に変えて来たのです。 そこにはどれだけ多くの人達の労苦があったことでしょう。
自他ともの幸せを信じ、戦ってこられた方を前にして、あなたは「私は嫌になったからもう辞める」と簡単に言えるのですか? それはあまりにも身勝手であり、相手を思う思慮深い人間のとる行動だとは思えないのですが。


>ユーさん

>>「それによって収入を得ているなら別です」 これはどういう事でしょうか? 
>>お金が入るなら嫌でも簡単には辞めないという事ですか?
>>もし、そうならあまりにも信仰とそれを信じてる人をバカにしていませんか?

バカになんて全然していませんよ。
例えば、信仰熱心なある人がとある宗教の
新聞会社を立ち上げたとします。信者が読んでくれる機関紙です。
そこの社長さんはその信仰心が間違っていた!と
気付いたことにより社長をいきなり辞めてしまったら、
また会社自体を取り壊してしまったら、
そこで雇われていた人は職を失い路頭に迷うことになります。
「信仰心がなくなったから会社を辞める」のはあまりにも無責任です。
社会的責任が問われますよね。
こういう場合、まずしっかりと後任を育て、
会社が経済的にしっかり回り、損失する人を
できるだけ抑えなくてはなりません。

私はこのように社会的責任が生まれる場合、
雇い主だった場合(お金を与えている側)は
例え嫌でも後任ができるまで表面上は続けないといけないのではないか、
と言いたいのです。雇われている人もいきなり信仰心がなくなった!
だからか会社を辞める!なんて理由で辞めて、
家族を路頭に迷わせたら人間としてどうかと思います。

>>人を信じてますと言うかと思うと、この世界は全て夢かもしれないと言ってみたり、
>>もし夢だとすると架空のものに向って信じたり頑張ったりしてる事になりませんか? 

はい、その通りです。
その可能性(現実が夢かもしれないということ)を全否定できる人間はいないはずです。

>>人も物も存在してる事自体が真実だと認識できなければ、
>>あなたは仮想世界で生きてる事になっちゃいますよ。

仮想世界で絶対に生きていないと、なぜ言えるのですか?
そして仮に仮想世界だとしても、それがいけないことなんですか?
これは誰にもわからないことだと思います。

>>そうすると彼氏の存在も、もしかして仮想の中の存在かもしれないって事になりませんか?
>>それを信じてるだけだって言われるのかな?

もちろんなります。
その可能性は全否定できませんからね。
信じているだけ、そうなります。

>>相手にしてみれば、こんな信じられ方ってショックだと思うけどなあ・・・

彼も全く同じ考え方をしています。
よくこれらのテーマで話したり討論したりします。
しかし、注意していただきたいことがあります。
私も彼も、この世界が仮想、又は夢とは断言していません。
「この世界が仮想、又は夢でないとは断言できない」と思っているだけです。
何も私が「私達は仮想世界に住んでいる!」と言っているのではありません。
そんなこと言っていたらただの変人として見られますからね。

>>役職の件、ここだけは親や環境のせいにするんですね。 都合良過ぎない?

ここだけは、というのはどういうことでしょうか?
一体何が都合が良すぎるのかわかりません。
生まれたときから創価学会に入会している時点で、
こちらは何も抵抗できず価値観を刷り込まれていく。
この方が学会にとって都合が良すぎると思いますが。
それに、質問にはちゃんと答えていただけますか?
答えられる範囲で結構ですので。

『自分が苦しくてやめたい時にやめること、これはいけないことでしょうか?
その時に部員さんがいたとして、その人たちを最後まで面倒
見るのも絶対に必要なことですか?
そもそも、面倒を見る、と言いますが、信仰において部員さんの
面倒を見る、ということは一体どのようなことをするのでしょうか。
信仰心をバックアップするのですか?』

おはようございます。
「それによって収入を得ているなら別です」 これはどういう事でしょうか? お金が入るなら嫌でも簡単には辞めないという事ですか?もし、そうならあまりにも信仰とそれを信じてる人をバカにしていませんか?
人を信じてますと言うかと思うと、この世界は全て夢かもしれないと言ってみたり、もし夢だとすると架空のものに向って信じたり頑張ったりしてる事になりませんか? 人も物も存在してる事自体が真実だと認識できなければ、あなたは仮想世界で生きてる事になっちゃいますよ。
そうすると彼氏の存在も、もしかして仮想の中の存在かもしれないって事になりませんか?
それを信じてるだけだって言われるのかな?
相手にしてみれば、こんな信じられ方ってショックだと思うけどなあ・・・
役職の件、ここだけは親や環境のせいにするんですね。 都合良過ぎない?

>ユーさん

>>この世に絶対なんてないと思ってるんだぁ。 彼氏に対してもかな?
>>それじゃキヨさんは彼氏を心底信じてない事になるんじゃない?
>>突き詰めて考えると、あなたは何ひとつ心底信じられるものが無いって事に
>>なっちゃうよ。 違うかなあ?

はい、違います。
なぜそうなるのでしょうか(^_^;)?
私は以前コメントで、

『私も、自分が存在していると思います。現にこうしてブログを書いていますしね。
しかし、それが本当に存在しているかは誰にもわかりません。
この世界は全て夢かもしれないし、自分以外の人間はもしかしたら
心を持たないただのロボットかもしれない。
でも私は、それが本物(心がある人間)だと信じているにすぎないのです。
信じたい、と言ったほうが正しいでしょうか。
こういう風に書くとすいぶんと冷たい人間だなと思われるかもしれませんが、
私はこの世の中に真実・確かなものは無いと思っている反面、
この世界が居心地が良く、目標のために頑張って生きることが面白いと思っています。
それは、この先この世界が変わることが無いだろうと自分で思い込んでいるからにすぎません。
恐らく、死ぬまで変わらないと思いますが、そう思っているにすぎません。』

と書いたように、この世の中に絶対的真理なんて存在しないと
私は思っています。しかしそれがどうして、
「彼氏を心底信じてない事」になるのかがわかりません。
私は彼を人として信じています。しかし、それが絶対的真理でしょうか?

ユーさんはもしかして絶対的真理なんてこの世の中には
無いと思っている私を「悲しい人」だと思っていませんか?
キヨは何も信じられない、人も、宗教も心底信じられない人間だと。
そう思っているとしたら、それは違います。
私は人を信じますし、自分を信じています。
絶対的真理など無いと言っていることは、イコール「心底信じていない」
ことにはなりません。根本的に違います。
なぜなら、絶対的真理とは、『無条件で一切他によって関与、制限されない、
誰も否定することができない法則や事実』だからです。
そして信じるという行為は、『信頼すること』だからです。
絶対的真理がベースとなって「信じる」という行為が生まれているのではありません。
私は絶対的真理は存在し無いと思っていますし、
学会では法華経がこの絶対的真理といっているところから、
私と根本的に価値観が違う、と言っているだけにすぎません。

>>絶対的なものが無いと思っている人が、幸せになる方法を自分で選択するとか
>>言ってる事自体が矛盾じゃないかな? あなたの考えなら何を選択しても、
>>物事どうなるか分からないと思ってるんだから全く意味がなくなってしまうと
>>思うんだけど・・・

何が矛盾していますでしょうか?
なぜ全く意味がなくなってしまうのですか?

>>例え半強制的に役職を受けたとしても、受けた以上は全うするのが大人の行動
>>だと思うのですが。 嫌なら何故、その時点ではっきり断らなかったのですか? 
>>後になって無理やりやらされたみたいな事を言うのは自分勝手すぎると思います
>>し、大人として無責任です。

嫌なら何故、とおっしゃいますが、断りますと言うと親からは
「断ると福運が逃げる、絶対に断ってはいけない」と教えられていますし、
女子部からももちろん同じことを言われました。
幼い頃から学会が正しいと教えられてきて、やめたら地獄に落ちる、
疑問を持つのは信仰心が薄いからだと言われ続け、
果たしてそんな精神状態の中で「断固として断る」ことが
できますのでしょうか?「断ったら何か悪いことがおきる気がする」
と思うのは自然な心理だと思いますが。
そんな精神状態の中で決めたことに責任を問われたとしても、
それは間違っていると思いますよ。
「大人としてしっかりと判断し、断ることができる精神状態」なら
良いと思いますが、残念ながら学会員さんにはその部分が
欠乏しているように思えます。

>>宗教が社会性を持っている事くらいは賢いあなたなら当然、認識してたんじゃないんですか?

宗教に社会性が無い、と私が言いましたか?
しかし読み返してみると、そもそも私が「社会的責任」と使用したのが
混乱を招いたようです。社会的責任とは、
「社会に対して負う責任、特に企業活動において利潤の追求
だけでなく、法律の尊守や社会的論理の尊重などを常に有して
安全かつ良質な財・サービスの提供を行うこと」でした。
紛らわしくてすみませんでした。訂正:「責任」にします。
ここでは一個人に対しての責任ですよね。

自分が苦しくてやめたい時にやめること、これはいけないことでしょうか?
その時に部員さんがいたとして、その人たちを最後まで面倒
見るのも絶対に必要なことですか?
そもそも、面倒を見る、と言いますが、信仰において部員さんの
面倒を見る、ということは一体どのようなことをするのでしょうか。
信仰心をバックアップするのですか?

>>キヨさんの意見を一言で言うと、何もかも私の勝手でしょって事になるんじゃないかな。 
>>実際、そうされてますよね。

学会をやめたことが自分勝手な行為だと思っているのならば、
それはそれでいいと思いますよ。
私は信仰は自分で選択できるものであり、自由にやめられる
ものだと思っています。(それによって収入を得ているのなら別です)

この世に絶対なんてないと思ってるんだぁ。 彼氏に対してもかな? それじゃキヨさんは彼氏を心底信じてない事になるんじゃない? 突き詰めて考えると、あなたは何ひとつ心底信じられるものが無いって事になっちゃうよ。 違うかなあ?
絶対的なものが無いと思っている人が、幸せになる方法を自分で選択するとか言ってる事自体が矛盾じゃないかな? あなたの考えなら何を選択しても、物事どうなるか分からないと思ってるんだから全く意味がなくなってしまうと思うんだけど・・・
例え半強制的に役職を受けたとしても、受けた以上は全うするのが大人の行動だと思うのですが。 嫌なら何故、その時点ではっきり断らなかったのですか? 後になって無理やりやらされたみたいな事を言うのは自分勝手すぎると思いますし、大人として無責任です。
社会的責任を問われても・・・宗教が社会性を持っている事くらいは賢いあなたなら当然、認識してたんじゃないんですか?
キヨさんの意見を一言で言うと、何もかも私の勝手でしょって事になるんじゃないかな。 実際、そうされてますよね。

>ユーさん

>>相変わらず素直じゃないね。 不幸になったらやりきってないってことかと言われると、
>>その通りです。 だって絶対幸せになれるんですもの!

私はこの世に絶対なんてないと思っていますので、
根本的にユーさんと価値観が合いませんね。

>>自分の都合で勝手に辞めておいて、これはおかしいとか言うのって得手勝手だと思うよ。

自分の都合でやめなければいつやめるのですか(^_^;)?
自分が幸せになるための信仰ではないのですか?
自分が幸せになるための手段ならば自分で選択できるはずです。
そもそも、「この宗教は合わない、じゃあやめる」と言って
何がいけないのかを知りたいです。

>>あなたも活動して役職があったのなら、部員さんいたよね。 
>>その子たち今、どうしてるの?あなたに見捨てられて! 
>>あなたの事、信じてた子達はどうすればいいの? 
>>そんなこと真剣に考えた事ありますか?

半ば強制的に役職を持たされて見捨てるという表現は
いかがなものかと思いますよ。
それに、役職があるから嫌だと思ってもやめてはいけないのですか?
宗教は会社ではないのですよ、自分の信仰心が一番大切だと思います。
そこに社会的責任を問われても困ります。
私は部員さんを嫌っていませんし、不幸になってほしいなんて思いません。
普通に幸せになってくれれば嬉しいです。
私は精神的にやめましたが、宗教においてそれがいけないとおっしゃるのならば
それは宗教ではないと思います。

>>途中でやらなくなる人達はみんな自己正当化しようとするけど、
>>その人を信じてた人を見捨てた事実には全く心を痛めないんですね。

そもそも、私が活動家だった時に脱会した女子部の人がいましたが、
私は見捨てられたなんて思ったことありませんでしたよ。
その時は「ああ~・・・やめちゃったんだ・・」と思ったぐらいです。
信仰は人それぞれの気持ちの問題なので、
それを攻め立てる必要性は全くありません。

相変わらず素直じゃないね。 不幸になったらやりきってないってことかと言われると、その通りです。 だって絶対幸せになれるんですもの!
人生、いい時もあるけど悪い時もあるよね。その時に投げ出してしまって、こんなことやっても意味ないじゃんとか言われても、それは自分の都合でしょ? 物事って往々にしてそう言う事あるんじゃないかな?苦しい時に頑張って道が開けるてこと。 自分の都合で勝手に辞めておいて、これはおかしいとか言うのって得手勝手だと思うよ。
あなたも活動して役職があったのなら、部員さんいたよね。 その子たち今、どうしてるの?あなたに見捨てられて! あなたの事、信じてた子達はどうすればいいの? そんなこと真剣に考えた事ありますか?
途中でやらなくなる人達はみんな自己正当化しようとするけど、その人を信じてた人を見捨てた事実には全く心を痛めないんですね。

>ユーさん

>>物事に対して根拠はないけど自分なりに理由付けしたり、
>>言葉をいたずらにもてあそぶとこがありますね。 
>>だから、だんだん迷路に入って行って嫌気が指してしまうんじゃないかなあ? 
>>そういうとこないですか?

すみません、よく意味がわからないのですが・・・
もう少し具体的な例を挙げて説明していただけませんか?

>>この信心をやりきって幸せになれない人なんて本当にいるんですか? 
>>私のまわりでは見かけないんですけど。

「やりきる」という定義がまず曖昧です。
どこまでいったら「やりきった」となるのでしょうか。
要するに、この信心をして幸せになれなく不幸になってしまったら、
やりきっていないことになるんですよね?
それでは、ユーさんの周りで「やりきった人が全員幸せ」なのは当たり前です。

大聖人の仏法は一人ももらさず幸せにできる信心ですよ。 もし、あなたは幸せになれるけど、あなたは無理ですとか言うものなら、どうして人に薦める事が出来るでしょう。 
キヨさんが色々悩む理由がなんとなく分かる様な気がする。 物事に対して根拠はないけど自分なりに理由付けしたり、言葉をいたずらにもてあそぶとこがありますね。 だから、だんだん迷路に入って行って嫌気が指してしまうんじゃないかなあ? そういうとこないですか?
この信心をやりきって幸せになれない人なんて本当にいるんですか? 私のまわりでは見かけないんですけど。


>ユーさん

>>確かな効果は信仰においても目で見て確認できるんじゃないですか?

確かな効果、とは例えば「この信仰をして幸せになれた」とか
そういう類のものでしょうか?
そうだとしたら、それは私にとって「確かな効果」ではないのです。
ほぼ同じような状況、状態で信仰し、皆に同じような効果があれば
良いのですが、あいにく創価学会は万人が幸せになれるものという
ものではないので確かな効果とは思えません。
幸せの価値観なんて人それぞれです。
何をもって「確か」とするのか、その線引きは非常に難しいですよね。
(難しい、というか不可能でしょうか)
なので、ユーさんが学会を信仰していて幸せなら、
それは充分良いことで(常識はずれなことをしない限りは)
むしろするべきことではないのですか?
それを他人に強要したり、説き伏せようとしてもできなかった場合、
それを「あなたは何もわかっていない」といきり立たなければいいと思いますよ。

>>目の前にこれでこんなに幸せな人生になりましたと言う人がいてもにわかに信じられない。 
>>かえって批判したりする。これって冷静で良識がある判断と言えるのでしょうか?

私は批判はしていませんよ。
「私は理解できない」といっているだけで相手の価値観は認めていますしね。
相手が幸せで批判するのはただの僻みです。

>>細かく納得を求めるかと思えば、必ずしも細かい意味で使うのではないとか、
>>聞いてるとなんか全部、自分の都合でころころ変わってないでしょうか?

もし、ユーさんに混乱を招いてしまったのならばすみません。
しかし常識的に考えて、「納得」という言葉を突き詰めていったら
全てのことを納得するなんて現実不可能だと思います。
私が物事を本当に細かく分解して、最後まで納得しなくては
いけない、と言っていましたか?
細かく納得を求める態度を私がしましたか?
「論理的に説明してください」とかいう発言がそう聞こえましたでしょうか。
根拠を説明してください、という私の発言も、普通のことだと思うのですか・・・
もし私の発言で細かいと思うことがあれば是非教えて下さい。
「納得」という言葉の意味を討論する時の「納得の細かさの範囲」と、
今までの会話内での私が理解できません、と突っ込みを入れている細かさ
(私は細かいとは思いませんが)は全然次元が違う話だと思います。

確かな効果は信仰においても目で見て確認できるんじゃないですか? テレビや携帯なら人の言う事にそれなりに納得して簡単に信じて使えるのに何故、信仰については事細かに説明されても全く信じようとしないのでしょうか?
ここが人間の一番難しいとこなんですよ。
目の前にこれでこんなに幸せな人生になりましたと言う人がいてもにわかに信じられない。 かえって批判したりする。これって冷静で良識がある判断と言えるのでしょうか?  
細かく納得を求めるかと思えば、必ずしも細かい意味で使うのではないとか、聞いてるとなんか全部、自分の都合でころころ変わってないでしょうか? 

>ユーさん

>>根拠を示すようにとの事ですが、それをするには話が多過ぎてとてもここでは書
>>ききれません。釈尊から天台また日蓮大聖人までそれぞれの立場から全部説明
>>しなくてはいけません。

そうですか。

>>私生活の場面を思い出してください。全ての事を「納得」しない限り
>>やらないでしょうか?携帯電話が何故繋がるのかテレビが何故写るのか
>>全て納得されてますでしょうか?恐らくそんな人はほとんどいないでしょう。

ユーさんの携帯電話やテレビの話は、根本的に間違っていると思いますよ。
なぜなら、私達は携帯やテレビを発明し、それを使用し、
確かな効果(生活が豊かになるなど)を目で見て体験できるという
条件の元で使用しているのです。それは電波がどうとか
そんな細かいレベルの問題ではありません。
テレビがなぜ写るのかなんて考えるのは私にとってナンセンスです。
(有る意味興味深い話題かもしれませんが)
この世に出回ってきてその製品なりを納得して使うのです。
効果が無いとわかっていて、また効果が無さそうと思い込んでいる時も
それに納得して使用していないだけにすぎません。
納得という言葉は、全てを細かく把握している時に限定して
使用するものではないと思いますよ。

「これ効果あるよ!」
「どんな効果があるの?」
「○○という理由で効果があるよ!」
ここで納得するかしないか、それだけのことです。
そこで「意味わからないけどとりあえず信じてみよう!」
という人もいるかと思いますが、とりあえず信じてみようと思った
自分の気持ちに納得して信じるだけです。
が、「携帯電話はつながるかわからないけどとりあえずつながると信じて
使ってみよう!」なんて人はいないはずです。
使用する前に、必ず使用した人の意見、実際に使用できるかを
ちゃんと確認して、そこで納得して使用するのではないでしょうか?
それを無意識に繰り返しているのが日常生活だと思いますよ。

>>人は実践してから「納得」するという行為を日常的にも結構行っています。
>>これはあらゆる事にも通じませんか?「納得」しない限り全く動かない人なんて
>>存在しないと思いますよ。

『「納得」しない限り全く動かない人なんて存在しない』
これは結構面白い発言だと思いますよ。
では、人間は自分で納得せずに動くことはあるのでしょうか?
精神異常でない限り、人間は自分で思考できる脳を持っています。
自分をコントロールできる力を持っています。
もし人間の行動に納得するというベースが無いとしたら、
とんでもない世界になってしまうと思います。
私はそんなサイコキネシスな世界は有りえないと思っていますよ。
(何らかの病気で自分の意志では全く反抗できず行動してしまうのは別です)
どんなに表面上は納得していなくても、その人が行動する
ことは全てその人が納得して行っていることではないのですか?
宗教を信じるのも、信仰して功徳を受けた、という人が多いと
「聞いて」、またはとある人物の話に「感銘を受けて」、
またはなんだか願いが叶いそうだと「思って」、信仰するのではないですか?
自分の納得という作業がなかったら、それは人間として
ちょっと有りえないと思うのですが。

根拠を示すようにとの事ですが、それをするには話が多過ぎてとてもここでは書ききれません。釈尊から天台また日蓮大聖人までそれぞれの立場から全部説明しなくてはいけません。
教学的には既に確立されているので、どんな学者が来ても学会は大丈夫です。その証拠に草創期には学会を軽く見て勝負を挑んで来てましたが、今では敵わない事が分かっているのでそんなバカな事をする人はいません。
それと、キヨさんの決定的な誤りは信じる前に「納得」が必要だという考え方です。 私生活の場面を思い出してください。全ての事を「納得」しない限りやらないでしょうか? 携帯電話が何故繋がるのかテレビが何故写るのか全て納得されてますでしょうか? 恐らくそんな人はほとんどいないでしょう。 では何故みんなそれを使うのでしょうか?それは信じて行ってその結果、恩恵を受けるからじゃないのですか?
人は実践してから「納得」するという行為を日常的にも結構行っています。 これはあらゆる事にも通じませんか?「納得」しない限り全く動かない人なんて存在しないと思いますよ。

>ユーさん

>>あなたが受けたバッシングを具体的に何例かあげてください。
>>それが妥当性がある内容かどうか判断してみましょう。

お手数ですが、ブログの記事を読んで頂けますか?
『私が学会をやめるきっかけ』シリーズに詳細に書いてありますので。

>>それと(笑)では済まされない宗教(学会)が絡んだ事も有ればお願いします。

チョココさんのブログの記事をお借りし、載せさせて頂きます。

http://blog.goo.ne.jp/cho-coco/e/09306801e391dbc745b2c4db6d6dabf3

また、私と彼とにつきましても、私が創価学会であった為に問題が起き、
精神的、肉体的にもかなりの負担を負いました。
これは全然(笑)では済まされることではありませんし、
済ますべき問題でもありません。

>>南無妙法蓮華経は宇宙を貫く法則です。
>>又、命有るものは全て南無妙法蓮華経の当体です(あなたも彼も)。

その根拠はなんですか?

>>妙法は全てのものを蘇生させる根源の法であるため、
>>これに則った生き方をすることが、自身の仏性を引き出し三世に亘って
>>最高の崩れることの無い幸福境涯を確立する事ができるのです。
>>これを信じられますか?

すみません、全然理解できません。
信じる行為の前に『納得』という作業が大切なのはわかりますでしょうか?
学会員の方は「まずはやってみて」とおっしゃいますが、
まずはやってみようという気持ちは何かに納得しないと生まれないものです。
いきなり信じられますか?と言われてすんなり物事を信じるような人間にはなりたくありません。

あなたが受けたバッシングを具体的に何例かあげてください。それが妥当性がある内容かどうか判断してみましょう。 それと(笑)では済まされない宗教(学会)が絡んだ事も有ればお願いします。
南無妙法蓮華経は宇宙を貫く法則です。又、命有るものは全て南無妙法蓮華経の当体です(あなたも彼も)。妙法は全てのものを蘇生させる根源の法であるため、これに則った生き方をすることが、自身の仏性を引き出し三世に亘って最高の崩れることの無い幸福境涯を確立する事ができるのです。
これを信じられますか?

>ユーさん

>>オウムの様な殺人事件は学会はただの一度も起こしていません。 

私は学会が殺人事件を起こしたなんて言っていません。
宗教が絡んでくる問題は(笑)では済ませられるものではない、
ということを言いたいのですよ。

>>あなたは誰かに正当なバッシングをされた事がありますか? 私は皆無です。

正当なバッシングとはどんなバッシングですか?

>>正しい結果が得られる事を論理的にてことですけど、ここからはどうしても教学が必要になってきます。
>>ただ、その教学も最終的に信じるか信じないかに行き着きます。
>>どんなに素晴らしいものでも信じられなければ、何の効果も成果も得られません。

それを断定するならば論理的に説明することは大切です。
説明できないのに断定するのは説得力に欠けます。
要は信じるか信じないかの問題であるならば、
信じない人の価値観も尊重するべきでしょう。

>>あなたの世界一の素晴らしい彼も、もしあなたが最初から疑いの目で見て心を開かなければ、
>>ただの一男性でしかないでしょう。彼を信じるからこそ彼の本当の良さも分かるんじゃないですか?

そうですけれど、何か問題でもありますでしょうか?
しかし彼を信じるのと創価学会の教義を信じるのとでは
「信じる」という言葉は同じですけれども中身は全然違うと思いますよ。

これはハッキリ言っときますが、オウムの様な殺人事件は学会はただの一度も起こしていません。 おおらかにって言ってるけど、誰も法を犯した者まして無差別殺人におおらかになんて非常識な事を言ってるんじゃないです。
あなたは誰かに正当なバッシングをされた事がありますか? 私は皆無です。

正しい結果が得られる事を論理的にてことですけど、ここからはどうしても教学が必要になってきます。 ただ、その教学も最終的に信じるか信じないかに行き着きます。
どんなに素晴らしいものでも信じられなければ、何の効果も成果も得られません。
あなたの世界一の素晴らしい彼も、もしあなたが最初から疑いの目で見て心を開かなければ、ただの一男性でしかないでしょう。彼を信じるからこそ彼の本当の良さも分かるんじゃないですか?

>ユーさん

>>信じてるようで心底信じられない、でも何かこれだってものは欲しい・・・今のキヨさんはこんな感じですか?

いいえ、私は自分自身と周りの人間を信じています。
彼の私への愛情などももちろんそうです。
私が彼のことを想っていることも重要ですね。
これだってものは他に特にほしいとは思いません。

>>非常識な行動や発言をする人はどんな世界でもいるじゃない。そんなこといちいち気にしないで、
>>この人は今、人間革命の途上なんだくらいのおおらかな気持ちでいきましょう(笑)。

いやいや、(笑)で済ませられる次元の問題ではないのですよ、創価学会の問題は・・・
どんな世界にでもいるじゃない、とおっしゃいますが、それを言ったら
オウム真理教も一部の人間が暴走して人の命を奪い、その人は今人間革命の途上だから
おおらかな気持ちでいきましょう(笑)、と言えるのでしょうか?
人を傷つけ、迷惑をかけるのが日常茶飯事な組織にはいたくないのです。

>>草創期はほとんどの人が半ば強制的に入会した(させられた)人が多いよね。 
>>でもそれで救われた人が世界中にたくさんいるのは事実だし、
>>その中からたくさんの人材が出たのも事実だよね。 
>>こういう見方をすれば強要が絶対悪いとも言えない思うんだけど。 
>>その時代時代に合わせてやって来てるから今はそこまで強要する事はないと思うよ。

宗教の価値観の押し付けは、例えどんなに正しいと主張しようが
よくないことだと思っています。その組織で幸せになれたのならそれは良いことです。
もちろんそれは否定しませんよ。でもその分迷惑に思っている人間が多いことを
認識したほうがよいと思います。結果的に救われた人がいるから良いと解釈していたら
きりがありません。誰も迷惑だと思っていなかったらこんなにもバッシングされないのです。
非難されるのは難だと学会では教えられますが、
私が活動家の時もう少し他人の気持ちになって考えるべき人が多く見られました。

>>キヨさんはきっと責任感が強くて新聞・折伏・選挙となんでも頑張り過ぎて疲れちゃったんじゃない? 
>>そのストレスで何もかもがイヤになってるだけだと思うよ。
>>勤行。唱題は続けてますか? 祈る事も今は素直に受け入れられないみたいだけど、
>>「祈り」は唯一、人間だけができる崇高な行為です。

活動は頑張りましたが学会の中では頑張っている部類には入らないと思います。
疲れましたしストレスにもなりましたがそれを言うとすぐ幹部指導でした。
結果的に「もっと祈りましょう」で終わりましたしね。
お祈りはもうしていません。お祈りする時間が合ったら資格勉強をします。
祈りが崇高なも行為だとも思いませんし、人間だけができる行為だから
崇高だとも思いません。私はそもそも人間が崇高な生物だとは思っていないので(^_^;)

>>正しい対象に「祈れ」ば必ず正しい結果を得られる事は間違いないです。

お手数おかけしますがその根拠を私にわかるように論理的に説明して頂けますでしょうか。

信じてるようで心底信じられない、でも何かこれだってものは欲しい・・・今のキヨさんはこんな感じですか?
非常識な行動や発言をする人はどんな世界でもいるじゃない。そんなこといちいち気にしないで、この人は今、人間革命の途上なんだくらいのおおらかな気持ちでいきましょう(笑)。 
草創期はほとんどの人が半ば強制的に入会した(させられた)人が多いよね。 でもそれで救われた人が世界中にたくさんいるのは事実だし、その中からたくさんの人材が出たのも事実だよね。 こういう見方をすれば強要が絶対悪いとも言えない思うんだけど。 その時代時代に合わせてやって来てるから今はそこまで強要する事はないと思うよ。
キヨさんはきっと責任感が強くて新聞・折伏・選挙となんでも頑張り過ぎて疲れちゃったんじゃない? そのストレスで何もかもがイヤになってるだけだと思うよ。
勤行。唱題は続けてますか? 祈る事も今は素直に受け入れられないみたいだけど、「祈り」は唯一、人間だけができる崇高な行為です。
一般にも強い思いを祈るような気持ちって表現するじゃない。
正しい対象に「祈れ」ば必ず正しい結果を得られる事は間違いないです。

>ユーさん

>>昔は信じてたけど今は信じなくなったて事だけど、そこまで全否定する最大の理由は何ですか?

あの、私は学会を全否定なんてしていません(^_^;)
誰に対しても、「創価学会は悪だ!!絶対に信仰してはいけない!!」
なんて一言も言っていませんし、思ってもいません。
信仰は自由なものであるべきだと思うのです。他人に強要するものではありません。
それを押し付ける形で他人に勧めてくるのが変だと言っているだけなのです。
新聞啓蒙にしても折祈にしても、選挙活動にしてもそうです。
迷惑だと思われてもそれを相手のためだと思い活動する、
その精神が私の価値観とは全く合いません。
しかし合わないことを主張すると「地獄へ落ちる」だとか
「信仰心が薄いからだ」とか「男に夢中になって周りが見えないからだ」とか
平気で言う人格が常識的に考えておかしいと思っているだけです。

>>真実がないなんて言ったら頑張る必要も何もなくなってしまうし、
>>自分自身の考えてる事や存在はどうなってしまうんですか?
>>こうすればこうなると決めて行う事がなぜ魅力がないんでしょうか?
>>目標を決め努力し達成する、これを高い次元で出来るのは人間だけじゃないですか。

う~ん・・・これは私の説明不足だったかもしれませんね。すみません。
私も、自分が存在していると思います。現にこうしてブログを書いていますしね。
しかし、それが本当に存在しているかは誰にもわかりません。
この世界は全て夢かもしれないし、自分以外の人間はもしかしたら
心を持たないただのロボットかもしれない。
でも私は、それが本物(心がある人間)だと信じているにすぎないのです。
信じたい、と言ったほうが正しいでしょうか。
こういう風に書くとすいぶんと冷たい人間だなと思われるかもしれませんが、
私はこの世の中に真実・確かなものは無いと思っている反面、
この世界が居心地が良く、目標のために頑張って生きることが面白いと思っています。
それは、この先この世界が変わることが無いだろうと自分で思い込んでいるからにすぎません。
恐らく、死ぬまで変わらないと思いますが、そう思っているにすぎません。

要するに、一種の私の哲学なんです。しかし考えても答えが見つかるものでもないので、
またこのような話を普段からしていると一般的に変だと思われる恐れがあるので、
趣味の一環としてこのように考える時もある、ぐらいに思ってくださいね。
私だって本気でこの世界が夢だ!なんて思っていないですから(^_^;)
その可能性は否定できない、だって誰にも証明できないんだから、という考えなんです。

そして、『こうすればこうなると決めて行う事』とは、宗教において、という前置きがつきます。
この仏法を信じれば幸せになりますよ的な思想は嫌いだ、ということですね。

>>キヨさんはどんな事にも何も決めずに、ただ自然の流れにに任せるだけなんですか?そんな事ないよね。

もちろんそんな人間ではないと思っていますよ。

>>是非、「法華経の智慧」を読んでください。疑問がどんどん解決していくと思います。
>>学会はあなたが思ってるようなくだらないものでは決してありません。

私は学会をくだらないものなんて思っていません。
現にそれのよって救われている人がいますからね。
ただ、私は創価学会の人に言われたこと、常識を疑うような発言には
賛成できませんし共感もできません。
なのでこのようなブログを書いているのです。
同じような悩みを持った人への何らかの資料となってくれるのを望むだけです。

昔は信じてたけど今は信じなくなったて事だけど、そこまで全否定する最大の理由は何ですか?  真実はどんな事にも必ずあります。真実がないなんて言ったら頑張る必要も何もなくなってしまうし、自分自身の考えてる事や存在はどうなってしまうんですか?
こうすればこうなると決めて行う事がなぜ魅力がないんでしょうか? 目標を決め努力し達成する、これを高い次元で出来るのは人間だけじゃないですか。 
キヨさんはどんな事にも何も決めずに、ただ自然の流れにに任せるだけなんですか?そんな事ないよね。
是非、「法華経の智慧」を読んでください。疑問がどんどん解決していくと思います。
学会はあなたが思ってるようなくだらないものでは決してありません。 

>ユーさん

こんにちは!

>>自分の考えを人に強く訴える事は決して間違っていないと思います。
>>人は誰しも一人前になるまでには色々と注意もされ教育されて来たでしょう。
>>もし、そういう風に自分の事を大切に思ってくれる周りの方がいなかったら、
>>今の自分もないはずです。 
>>職場などでも厳しい上司がいる方が早く成長できるんじゃないかなあ?

そうだと思いますよ^^
だから今の自分がいます。こうやってブログを書いている自分も、
もちろん周りの環境が支えてくれたから書けることです。

>>素直に出していくというのは、おかしいと思う事が有れば遠慮なく言えばいいし、
>>したくない活動が有ればやらなくてもいいでしょう。
>>そうやりながら真実を見極めていけばどうでしょう。

おかしいと思うことは遠慮なく発言し、したくない活動もしませんでした。
なので結果的に私は無宗教になれて本当に良かったと思っています。
真実とは何か、私は真実なんてこの世には存在しないと思っています。
なので、これが真実だと決め付けているものは基本的に苦手なのです。
これをやれば○○だ、とか、全く魅力的に感じないのです。

>>仏法は数千年の時を経て今に至ってます。
>>そんな簡単に肯定したり否定したりするのは、少し残念に思うのですが・・・

それを言ったら、地球上これまで積み重ねてきたもの全てに
目を向け深く考えなくてはなりません。人がどこに価値を見定めるか、
それは個人が選べるものであり、自由なのではないでしょうか。
私は仏法というものに価値を見出していない、今まではそこに
価値があると思っていた、でも実際は違った。これをブログで書いている
だけなのです。

>>客観的な視点で学会を見たいと思われるのであれば、イギリスの学者(非会員)が
>>イギリスSGIを長期に亘って研究された結果をまとめて出版されてる本で
>>「タイム・トゥ・チャント」という物がありますので、是非一度読んでみて下さい。

ご紹介ありがとうございます^^
すぐに購入はできませんが、早速チェックしたいと思います。
ただ、イギリス人が見るSGIと、実際に私達が直面している
『日本の創価学会』では、きっと中身が違うのでしょうね。
島田 裕巳著書の『創価学会の実力』も結構興味深い本でした。

おはようございます。
自分の考えを人に強く訴える事は決して間違っていないと思います。人は誰しも一人前になるまでには色々と注意もされ教育されて来たでしょう。もし、そういう風に自分の事を大切に思ってくれる周りの方がいなかったら、今の自分もないはずです。 職場などでも厳しい上司がいる方が早く成長できるんじゃないかなあ?

素直に出していくというのは、おかしいと思う事が有れば遠慮なく言えばいいし、したくない活動が有ればやらなくてもいいでしょう。そうやりながら真実を見極めていけばどうでしょう。
仏法は数千年の時を経て今に至ってます。そんな簡単に肯定したり否定したりするのは、少し残念に思うのですが・・・

客観的な視点で学会を見たいと思われるのであれば、イギリスの学者(非会員)がイギリスSGIを長期に亘って研究された結果をまとめて出版されてる本で「タイム・トゥ・チャント」という物がありますので、是非一度読んでみて下さい。

>ユーさん

こんにちは!
コメントありがとうございます。

>>キヨさんもそうだけど、多くの信仰をする方が陥りやすいのが、
>>こうしなくてはダメこうであるべきだととかく教条的になってしまい自分を苦しめてしまう事です。

私はこういう考えじゃなければいけない!とは言っていませんよ(^_^;)
私はこういう考え方で、こういう風にするのはよくないと思う、と
書き綴っているだけです。世間一般的に見て、こうしてしまうと
将来こうではないか、という私自身の予測に他なりません。
なので、もちろん私は自分の価値観を他人には強制しないですし、
強制することは間違っていると思います。

>>本来、信仰とは自身を大きく開いていくもんなんだから、
>>もっと自分自身を素直に出しながら信仰を続けられるといいんだけどね。
>>自分も信じてきた事、また自分の周りにも信じてる方たちがたくさんいる信仰なんだか
>>あまり性急に否定しない方がいいと思うよ。

素直に出しながらとありますが、どのような状態で
信仰を続ければ「素直な状態での信仰」なのでしょうか?
私自身経験してきたからこそ、間違っていると思うことは否定できるのでは
ないでしょうか?私自身考えてこのブログを書いています。
それが性急に否定しているように読めてしまったら残念なのですが、
たくさんの人が信仰しているから否定しない方がいい、という考え方は
私の考え方とは違うようですね。たくさんの人が信仰しているから
問題も千差万別です。問題も多く起きるでしょう。
それを取り上げることは、私にとっては意味深いことなのです。

>>三代の会長が命がけで築いた学会です。人が自身の命をかけて作ったものには
>>必ず学ぶべきものがたくさん有りますので、アンチ学会とか言わずにじっくり学んでいってください。

私は人が命をかけて築いたもの全てに価値があるとは思いません。
その人にとって価値があるかはその人自身が決めることであり、
共通して価値があるとは言えないと思っています。
尚、じっくり学ぶとは真剣に信仰をして学んでください、ということでしょうか?

>>絶対に無駄にはなりません。

絶対に無駄だとは私は言いませよ^^
もちろん何か価値のあることもこれから先真剣に信仰していけば
あるかもしれませんが、私はあえてそれを放棄しています。
(創価学会を客観的に見ることができなくなるのは嫌なので)

>>聞きたい事があれば何でも聞いてくださいね。

ご親切にありがとうございます^^

キヨさんもそうだけど、多くの信仰をする方が陥りやすいのが、こうしなくてはダメこうであるべきだととかく教条的になってしまい自分を苦しめてしまう事です。
本来、信仰とは自身を大きく開いていくもんなんだから、もっと自分自身を素直に出しながら信仰を続けられるといいんだけどね。
自分も信じてきた事、また自分の周りにも信じてる方たちがたくさんいる信仰なんだかあまり性急に否定しない方がいいと思うよ。
活動に関する事もゆっくり整理していけばきっとその深い意味も少しずつ理解していけると思います。
三代の会長が命がけで築いた学会です。人が自身の命をかけて作ったものには必ず学ぶべきものがたくさん有りますので、アンチ学会とか言わずにじっくり学んでいってください。
絶対に無駄にはなりません。
聞きたい事があれば何でも聞いてくださいね。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

>たまさん

母が本当に幸せかは、私は母ではないのでわかりません。
本人は幸せと言っていますが、本心は誰にもわかりません。
学会活動に縛られているか、これはもっとわかりません。
しかし、母は創価学会を信じています。これは確かだと思います。

>>親孝行とは、親に嘘をつかないこと裏切らないこと
>>だからキヨさんは何も見えてこない、不幸の種はそこにあります。

親につく嘘とは、私が信仰心を持っていないのに
祖父母の前ではそれを言わない、ということでしょうか?
母親には正直に自分の信仰心を話しています。
裏切らないこととは・・・要するに信仰心を捨てない、ということでしょうか?
母と同じ信仰をすることが親孝行だと・・・
これは、私にとってはとても悲しい価値観です。
親の価値観が子供の全てでは無いと思います。
そして、私が何も見えていないとしたら、
ではどうすれば見えるようになるのでしょうか?
不幸の種とは具体的に何でしょうか?

現在お母様は幸せでしょうか?
学会活動に縛られ苦しんで居られませんか?

それとも、凄くご苦労されているにもかかわらず、生き生きとして疲かれたそぶりも見せることなく、明るき元気に過ごされておりますか?

親孝行とは、親に嘘をつかないこと裏切らないこと
だからキヨさんは何も見えてこない、不幸の種はそこにあります。

>たまさん

たまさんこんにちは!
コメントありがとうございます。

>>学会2世以降の独特の考えで、世間ではあり得ないお話です。

世間というのは無宗教の両親の家庭ということでしょうか?
それでしたらもちろんこの話は無関係ですね。

>>子供の目線でしかなく親の目線が存在しません
>>世間では子供が創価学会に入会すると言えば親は必ず反対しますからね。
>>キヨさんも将来子供が入会すると言えば、子供の判断以前に必ず反対します。
>>これが親の目線なんです。

う~ん・・・すみません。
『子供の目線でしかなく親の目線が存在しません』ということなのですが、
ちょっと私の記事の内容と噛み合っていない気がします。
ここで言う親の目線が『将来子供が入会すると言えば、子供の判断以前に必ず反対します』
とおっしゃっていますが、子供が充分自分で判断できる年齢に
達していなかったら、なぜ入会したいと思うのか、
入会した後の将来についてとことん話し合います。

>>ですからキヨさんの子供も、キヨさんと同じく表面では入会してないようなフリを
>>見せる行動をとることでしょう。

『ですから』とつながる理由がよくわからないのですが、
『表面では入会してないようなフリを見せる行動をとることでしょう。』
と断定する事はできないのではないでしょうか?

>>大恩ある親をだませば必ず自分の身に降りかかる。
>>お母さんは何でもお見通しですよ
>>キヨさんのお母さんなんですから解らないことなどなのもないはずです。

もし何でもお見通しだとしても、それはそれでいいのではないでしょうか?
と言いましても、何を見通しているのかがわからないのですが・・

>>キヨさんはお母さんのことが何も見えてない
>>親子だから見えるんだけど、ただみようとしないだけ、

では仮に、私が何も見えていないとしましょう。
では私はどうしたら母の事が見えるようになるのでしょうか?
一生懸命信心し直して・・・などとはまさか言わないですよね。

>>親孝行をすれば必ずお母さんの事がよく見え、
>>キヨさんのことを死にものぐるいで守り通している親の愛情が解りますよ。
>>おじいさんおばあさんも大切にね。

親孝行は大切です。
でもこの言い方だと、私がまるで親孝行していない、
という風に聞こえます・・・たまさんがおっしゃる親孝行の形が、
私の形とは違うのかもしれません。
祖父母ももちろん大切にしますよ^^

ご無沙汰をしております。

学会2世以降の独特の考えで、世間ではあり得ないお話です。
子供の目線でしかなく親の目線が存在しません
世間では子供が創価学会に入会すると言えば親は必ず反対しますからね。
キヨさんも将来子供が入会すると言えば、子供の判断以前に必ず反対します。
これが親の目線なんです。
ですからばあなたのお母さんが同じく、キヨさんが退会することを必ず反対する。
同じ原理です。
そこに子供の目線でしかない判断云々は介在しない、不思議なことでも何でもなく、親ならば当たり前のことなんです。
子供の一生を左右することですからね。

ですからキヨさんの子供も、キヨさんと同じく表面では入会してないようなフリを見せる行動をとることでしょう。

大恩ある親をだませば必ず自分の身に降りかかる。
お母さんは何でもお見通しですよ
キヨさんのお母さんなんですから解らないことなどなのもないはずです。
キヨさんはお母さんのことが何も見えてない
親子だから見えるんだけど、ただみようとしないだけ、親孝行をすれば必ずお母さんの事がよく見え、キヨさんのことを死にものぐるいで守り通している親の愛情が解りますよ。
おじいさんおばあさんも大切にね。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://heibonnnakurashi.blog117.fc2.com/tb.php/76-bdfc90eb

こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

Author:キヨ
FC2ブログへようこそ!

QR

☆携帯からもどうぞ☆

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。