創価学会の私と無宗教の彼

学会3世・活動家だった私。元恋人に影響され、無宗教になりました。

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こんにちは、キヨです。
コメント読ませて頂いております!
コメントとても嬉しいです、どうもありがとうございます!

ゴールデンウィークも終わり、また仕事に追われる日がやってくるぞ~!と
意気込んでいましたが、そんなに忙しくもなく、あれ??と拍子抜けしています(^_^;)
たまにはのんびり仕事もいいものだな~と気楽なキヨですが、今日はこんなタイトルで。

”学会に不信感を抱くきっかけ”

私が学会に不信感を抱いたのは、女子部の先輩の言動でした。
(詳しくは 私が学会をやめるきっかけ にて)

良い結果=功徳
悪い結果=信心不足・魔


どう考えても=(イコール)にはならないようなことが学会では当たり前という事実。
でもここで皆さんにわかってほしいことは、
このイコールの関係が悪いことだ!!とは私は思っていないのです。
なにが悪いかっていうのは、

このイコールの関係を、他人にも強要すること

だと思っています。
私も最近よく思うんです。
例えば、以前私がおみくじを引いた時こんなことが書いてありました。
”どんなに仕事が忙しくても、辛くても、心はいつも平穏に、豊かに心がけていきましょう”
このおみくじを引いた時、本当に仕事が忙しくてやっと取れた休みでした。
そして疲れきっていた私の心に、とても染みる言葉でした。

何が言いたいのかと言うと、あまりにもおみくじの内容が自分の生活とリンクしていたので、
”ああ~~神様はやっぱりどこかで見ててくれるんだな~”となんだか嬉しい気持ちに。
良いことをすれば良い事が、悪いことをすれば悪いことが自分には返ってくる、
神様を信じているわけではないけれど、
こんなジンクスみたいな感覚が、私の中にはあります。

だけれど、これを他人に押し付けることはしたくないですし、するべきだとも思いません。
他人の努力や結果を、何かの天秤にかけて評価したり、
それを、信心頑張った功徳だよ!と言ったり・・・

この”信心の功徳だよ”という言葉は、私も数え切れないほど言われたのですが、
正直かなり傷つきます・・・
バリ活の時は、うんうん、と素直に受け入れられたのですが、
この言葉を受け入れれば受け入れるほど、違和感が生まれました。

良い結果(結果的に良くなった結果も)を功徳と思うことは自由ですよね。
それでまた頑張れるのであれば、それは私の持っているジンクスみたいなものです。

私の母親もよく言うのですが、どうやら私が就職できたのは
学生時代に信心を頑張ったからだそうです。
女子部で頑張った時期があったから、就職できたと実家へ帰る度に言われます(本当に)。
あんたの努力もそうだけれど・・・やっぱり女子部の時に闘った功徳だわ!と・・・
やっぱりって何っ!!って思います。

学会の方は、本当に信仰の功徳だと思っています。
そう思う事がいけないことではありません。
でも、言葉の重みをわかってほしい。

言葉って、本当に凄い力を持っていると思うんです。
小さい頃に言われた何気ない一言を、ずっと覚えていることとかありませんか?

何でもかんでも功徳で終わらせようとする。
学会の人は、きっとその人の努力も評価しているよと言うと思います。
全てが信仰の結果ではない、あなたの努力も素晴らしいと・・・
でも、実際に聞く言葉は、

”大学に合格した!これは功徳だ!”
”仕事が上手くいった、功徳って素晴らしい!”
”悩みが解決した!真剣に祈った功徳だ!”

こんな言葉ばかりです。

自分の努力を、信仰のオブラートに包むことなく、いっぱい褒めてあげたらいいと思うんです。
素直に、率直に。
だって一番頑張ったのは、あなた自身なのですから(^_^)
自分さえ褒められない人に、他人を褒める事なんてできるのでしょうか?

繰り返しになりますが、

私は、努力が一番自分を裏切らないと思っています。

努力は自分を裏切らない

信仰は自分を裏切らない

前者の言葉が、私には真理です。




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はじめまして

三世のみやびといいます。

最近こちらに辿り着きました。

子供の頃からずっと違和感のあった創価学会。自分の家が創価学会であることがバレたら嫌だなと子供の頃はいつも後ろめたく思ってました。

婦人部として活動経験がありますが、今は完全に非活で距離をおいてます。組織の、役職ある人の非情な発言が非活になるきっかけでした。

でも、覚醒した今色々思い出すのですが、職場にいた白ゆり長をしている人が、堂々と社内不倫してました。旦那さんは未入会の人でした。
子供も旦那さんも何だか哀れでした。こんな人に罰が当たるのでは?なんて思ってしまいます。
信心さえ頑張っていれば何でも許されるのでしょうか。

長年悩んでいた創価学会から自力で抜け出すことができました。数年は苦しむのかなと思っていますが現実に共感してくれる人はおらず一人自分と向きあっています。

いま振り返ってみて、私が子供の頃の家族での幸せな思い出がほとんどないことに気が付きました。

無理矢理同放に連れて行かれたとか
勤行を強要されたとかばかりです(笑)

あと、母親は人の話を聞かない人でした。今もそうですが、聞いている振りはするのに、話したばかりのことを聞いてくるのですぐに分かります。上の空というのか、頭では違うことを考えているのでしょう。
そんな態度の親に今は呆れていますが、子供の頃は自分のことをみてくれていないのだと結構傷付いていました。

憎みたくないけどまだ許せないでいる自分がいます。覚醒が進むにつれ幼少時代の家庭環境が最悪だったなと苦しくなります。

今も何かあっても親に相談なんてしません。しませんというか子供の頃から相談に乗ってもらったことがないから迷っても自分で解決するしかありません。
私は親になって、我が子が悩んでいたら少しでも支えになってあげたいと思います。間違ってもお題目一緒にあげようなんてバカなことは言いません。

自分にとり母親との関係はとても深刻ですが、もしも創価とは縁のない普通の家庭だったら…どうしてもそう思ってしまいます。

親はなんで創価なんかに出会ってしまったのかな。
なんで創価なんかにのめり込んで出れなくなったのかな。
地に足をつけて生きていくことは出来なかったのかな。
とても重たく苦しいです。

創価なんてカルトでしかありません。早く崩壊しますように!































調べのもをしていたら、こちらに辿り着きました。(^ー^)

「努力は自分を裏切らない」いい言葉ですネ。私もその通りだと思います。頑張ったからこその結果ですから。
でも自我自賛するより、結果を「ご本尊様が与えてくださった」と受け取るのは、謙虚な表現だなぁと思います。そこから感謝も生まれるのではないかな? 信心の醍醐味は、六根清浄、感謝の気持ちを持てることこそが、功徳ではないかしら? ・・・と私の私の意見です。

こんにちは。
突然すみません。
ブロク読ませて頂きました。

ちょっと読んでいて思ったのですが、(気を悪くされたら本当にすみません。)
努力したこと、努力出来たこと自体が功徳とは考えられたりしないのですか?
純粋に読んでいて思ったことなのですが…

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びっくりしました

コメントを読んでびっくりしました。
わたしは偶然このHPにたどりつき よませていただきました。
それに対する書き込みを読むとどれも「正当」の皮をかぶった中傷。。。。
すみませんが そういう宗教にはいっていない多くの人から読むと このブログをかいている人が「まとも」だと感じます。
宗教を前面否定しません。むしろ 自分が信じるのは自由です。
その人が その宗教に入って思ったことを書いてます。
それに対して 「悲しいです。。。」とか。。。
悲しくないですよ?
それは間違ってるかもしれないし そうでないかもしれない。
べつに悲しくないです。
悲しいのは すでにあなたが その理論 理想を押し付ける気持ちがあるからじゃない?
自分の理論 理想は自分のなかにあるし それを言うのおかしい?共感するかしないかの話。しなければ しないといえばいい。ただそれだけ

私は非会員ですが、今お付き合いしている方が会員なので結婚等したらどのようなことが有るのかと参考までに読ませていただいています。

ですが、コメントを読んでがっかりしました。日本には「宗教の自由」があります。

それに、ブログは当てはまるのかどうか分かりませんが「報道の自由」というものもあります。

会員の皆様。もし皆さんか書き込んだコメントを仮にトップの方が読んだらがっかりすると思いますよ?

また、無宗教の自分からすれば、皆さんのコメントが学会の評価につながります。

私は、彼に入会を勧めたれてもここに書かれたコメントを見る限りとても入会しようとは思えません。

人のことを平気で罵倒したりするような方々が居るところをすばらしいとは思えません。

管理人様、いろいろと大変なこともあると思いますが、これからも頑張ってください。

私にとっては管理人様のこのブログが有ったから、彼に自分の意思をはっきりと伝えることの出来た人の1人です。

長文になりましたが失礼させていただきます。お体に気をつけてくださいね

はじめましてです

創価学会の男子部に何年も苦しめられた者です。
あいつらは人の家も自分の家みたいに好き勝手に出入りし、好き勝手に振る舞い.何様だと思いました。
あるとき僕が反発すると暴力を受けました。
でもあいつらは創価の信心の名の下に暴力さえも正当化しました。
他人の家で無礼を働き、それを指摘した家人に暴力行為。
こんなことゆるされていいのでしょうか?

創価学会の男子部に何年も苦しめられた者です。
あいつらは人の家も自分の家みたいに好き勝手に出入りし、好き勝手に振る舞い.何様だと思いました。
あるとき僕が反発すると暴力を受けました。
でもあいつらは創価の信心の名の下に暴力さえも正当化しました。
他人の家で無礼を働き、それを指摘した家人に暴力行為。
こんなことゆるされていいのでしょうか?

重ねてになりますが・・・

やはり、内部の方々もキヨさんのサイトを把握しているのですね。

前回は、返答に困るようなコメントをして申し訳ありません。

私は、今回は内部の方達に聞いてほしい事があるのです。


私が学会を退会できないのは、母方の一族すべてが学会員であり、皆活動熱心な方々だからです。
ここは、キヨさんと大変似ております・・・。

私が、学会を恐ろしく感じる理由は大まかに二つあります。

一つ目は、外部の方とのあまり交流がないことです。
私の地区では、地区ごとで交流会を設けていますが、外部の参加人数は30名中3人が良いところ。

これが何を意味するのか。
学会組織への不信感です。
一度、会合に参加すれば入会を迫られる。
外部の方々の深層心理だと思います。
ですが、内部の反省会では
「我々の努力不足」だと評価します。
他者の考えは含まれません。


二つ目は、子供同士での関係です。
私の母は熱心な活動家で、私の友人の保護者に対し選挙活動を熱心に行い、それを誇りにしていました。

しかし私は、小学校では
「あの子の家は、創価学会だから近づくな。話すな。」と親に言われた友人から絶交され
遊びに行った友人の母親には迷惑がられる始末。
さらには、担任の教師が学会嫌いなために冷たく当たられるなど、差別に合いました。
唯一連絡が取れていた中学以来の友人も、二十歳を超えたからか連絡が取れなくなりました。
おそらく選挙活動に巻き込まれるのが嫌なのでしょう。
私も分かっているので、連絡はしません。

高校時代の友人は、「私たちは、宗教は嫌いだ。」と私に直接言い、その上で仲良くしてくれます。
かけがえのない親友です。
母は、高校時代の友人に選挙を頼むよういいます。
ですが、私が学会員であると認めてくれた、そのうえで仲良くしてくれている友人との約束を破るわけにはいきません。
なによりも、小額でも税金を払っている友人たちには立派な参政権があるのです。
それを侵害したくはありません。


最後になりますが、一番怖いのは「刷り込み」です。

「学会員の家に生まれない私は、どんな子供だったんだろうね」
何気ない小学2年の言葉です。
祖母は、狂ったように怒り、私を水筒で殴りつけました。
「福子は、学会員の家に生まれてこれただけで功徳がある」とは言いますが、
子供は生まれてくる場所を選べません。
ここから来る純粋な質問でした。
さすがに、私の両親には怒った原因と水筒で殴ったとは言わなかったようです。
最近、父に話して驚かれました。
(冷静に考えれば、よく死ななかったなぁ・・自分)

母に友人から絶縁されたと話しても
「これが”魔”なのよ。正しい事をすると邪魔がはいるものなの」
耳も貸さない。

ここで言う「正しい事」とは何なのでしょう。
自分の中の正義が、他人から見れば「悪」である可能性があるというのは過去の宗教戦争史から分かります。

「正義と悪は紙一重」
主張はしても、他人に押し付けるものではないはずです。
この駄文を呼んでいる内部の皆さん。
自分の子供がいじめにあってはいませんか。
貴方の正義に苦しめられてはいませんか?
貴方に常日頃から交流がある外部のプライベートの【友人】は近くにいますか。

最後に・・・・
他人を不快感を与える正義を、正義と断言できますか。

私は、この事を抱え込んでいた結果、誰も信じられなくなりました。
母も、地元の内部も、精神科の医者も、教育実習先の教員も、世界の学会員が私を見張っている。
学会に不利な事を言わないか監視してる。
家から出たくない。
誰にも会いたくない、死んでしまおう。

軽い気持ちで「反逆者」と言わないでください。
創価学会を否定する気はないのですから。
思想の自由は個人に認められています。
ただ、盲目的にならず、もっと世論を見て欲しい。
他者の意見を取り入れて欲しい。
「創価学会=絶対正義」と思わないでください。
正義の定義は、十人十色です。

私の願いは、それだけなのです。

はじめまして。
20歳、女、学会2世の私です(笑

私は幼稚園のころから、母や祖母の学会活動に恐怖を抱いていました。
私の家が会合の拠点になっていたものですから、折伏の現場をよく目にしていました。

怖かったです。

一人の人間を車座にして囲み、正面からひたすら年配者たちが詰め寄っていく。

そんな恐怖は、年を経れば消えていくと信じていました。

そして、小5の夏、創価学会鼓笛隊に入隊しました。

学会の中央組織に地元の子供が行くとなるとお祭り騒ぎです。
この大人の目が、怖かった。
「学会を誹謗するやつらに断罪を」という母の言葉に「学会をやめたら、どうなるかわかってるんだろうな」と暗に言われてるのではないかという不安。

創価大学を受けろという女子部の訪問に泣きました。

私の夢は、そこでは叶えられない。
聞く耳すら持たない先輩に、嫌悪して。

ついに神経が異常をきたし、病院に連れてかれ。
そこの主治医も学会員。
医者を変えたいと言うと
「お前が治す気がないから、治らないんだ。信心をしっかりしないから」
という母の説教(笑

救いだったのは、活動家だと思っていた父・祖父が、無神論者だった事。
2人とも、結婚する条件として入会を迫られたようです(汗

父と学会について話すと辻褄があうのが不思議・・・

昔は、アンチ父だったのが、ライク父みたいな感じです。


私は、創価学会のバイブル「御書」について批判する気はないのです。

正しいと思う所もあるから。

だけど、他人への強要、選挙活動など・・・
なにより恐ろしいのは、活動をするかしないかで
自分の子供を差別する親です。

弟は障害者で、純粋に池田大作氏を慕っています。

それと比較されて、「お前は心が汚い。純粋じゃない。信心してないから、旨く行かない。置き引きに合うんだ。分かったら、言う事をちゃんと聞け。」

もう。疲れてしました。

私は、無神論者と結婚したいです。
結婚する際は、私を助けてくれる人がいいのです。
他力本願ですが、私には母が恐ろしくて逆らえない。



母が死んだら、私は学会をやめます。
弟も学会とは関係ないところで生活させたい。
母が死ぬなんて考えたくもないですが、私が創価学会にのめり込んだ家から逃げる方法は、それしかないんだから。

山口百恵さんが羨ましい・・・

はじめまして。
はじめてこのブログを見たのは今年に入ってからでした。
ここに書いてある記事は、学会を知らずにただ外側から批判する攻撃的な人では絶対に書けない、身内だからこそ共感できることばかりで、とても励みになり、また過去においてきた色々なことを振り返り、当時理解できなかったことが理解できたり、とても助けられました。このままずっと残しておいてほしいと思います。

私は3世です。母が熱心な学会員だったのですが、私の家族は家庭環境劣悪で、キヨさんのように「母を悲しませないために」宗教を受け入れるという選択を、私はしませんでした。
小学校の5年の時に「池田先生の話は悪口ばかりだから嫌い。もう学会には行きたくない」と宣言したのです。
その後は想像が付くのではないでしょうか?私は虐待に近い待遇で育てられました。
でも元々あまりいい育て方をされていないのです。キヨさんの記事にあるように、学会員のバリ活の人は忙しいんですよね。色々買わなければいけないからお金が必要(=共働き)になるし、座談会もあるし、活動もある。まったり子育てなんてする時間ないんです。
母は私のことを「放っておいても泣きもぐずりもしない、手のかからない子供だった」と言っていました。それってつまり「サイレントベビー」ってことですよね?保育園の頃にはストレスによる自律神経失調症を発症していて、顔面が痙攣したり、異常なほどの低血圧だったり、足が痛くて眠れなかったり、とても辛い思いをしてきました。高校生のときついにノイローゼを発症。高校を中退しています。その後は独学で大検をとり、放送大学で学んだりしました。
私は母と分かりあえないままでした。でも母はもうこの世にはいません。7年前(私が25歳のとき)病気で亡くなってしまったのです。母は同じ学会員の兄を溺愛していましたが、その兄は別に暮らしていたこともあり、全く看護も見舞いにもこず、軋轢のある私一人で看護をしました(父は離婚していたので、面倒を見るのは私一人だったのです)私は毎日仕事帰りに病院に通い、母を見舞いましたが、看護の甲斐もなく亡くなってしまいました。
一人になった私は今までの辛いことが全て嘘だったかのように気楽になりました。ノイローゼもすっかり治り、食べては吐いていた胃弱が嘘のように大食いになりましたw。人を信じられず彼氏ができても結婚なんて絶対考えもしなかったのが、その後出会った彼とあっという間に結婚しました(おかげさまで幸せにくらしています)

長々と書いてしまいましたが、つまり私がこの場を借りてどうしても主張したいことは、私という一個人にとって、宗教は私を苦しめる「悪の象徴」そのものだったということです。そして、それら一切から縁を切れた今、やっとまともな人生を歩むことができたということなのです。生まれてから25年間は私にとって地獄でした。それがやっと「普通」の幸せを感じられるようになったのです。私は32歳ですが、この世に生まれてまだ7歳だというような気がします。
「仏罰」を恐れてしまう、そこまで「すりこまれ」て苦しんでいる方々、恐れないでください。
私は反抗して反抗して、踏みにじられ弾劾され暴力を振るわれても、でも負けませんでした。私を襲ったのは「仏罰」ではなく「創価学会員の悪意」でしたが、ちゃんと「仏教」を学んで論理で対応すれば、相手はすぐに化けの皮がはがれますので、大丈夫(?)です。
怖いことは何もおきません。縁をきってしまえば、とても気楽で普通の暮らしが待っています。
どんなに苦しくても、絶対にやり直しはききます。こんなずたぼろだった私がいうのですから、本当です。
長文、駄文失礼いたしました。
少しでも皆様のお役に立てれば光栄です。

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はじめまして

ふとしたことから、ブログを読ませていただきました。
ここのコメントにいる学会員さんが本当に活動家の学会員なのかと目を疑うものもあって、
かなりショックを受けてます。
できれば、なりすましであることを願ってやみません。
もし本当の活動家であれば、人間革命など、先生の書物を読み直すべきだと思います。

キヨさんが問題提起していただいた個々の問題に対して色々とお話したいこともあるのですが、
長くなる且つ、私自身あまり頭がよくないので、書いても要点がまとまらない文章になってしまうため、
自重させていただきます。

一言だけ書かせていただくと、学会には私を含め多少活動していても境涯が低い人はたくさんいます。
キヨさんなら当然ご存知だと思うのですが、人間には十界すべて生命を持っています。
ということは、当然、すごい良いこともできれば、信じられないくらいひどいこともできるものです。
なので、時には心ない言葉を発してしまうものでしょう。
特に、学会の活動家同志だとついつい相手のことを1番に考えずになんか学会っぽい言葉を
心も込めずに言ってしまうものだと思います。
それが相手を悩ましていることだともわからずに・・・
ただ、そういう一面を見てしまったからといって、創価学会という組織を疑ってはいけないと思うのです。
他人の信心を自分の信心としてはいけないのと同じで、個人個人の一面を学会組織として
受け取ってしまうのは間違っていると思います。
このブログに書かれているキヨさんのお母様や、女子部の方の言動は、このブログだけで判断するならば
間違っていると思います。先生の指導にも時折ある言葉もありますが、当然、時と場合によります。
頭がいい「シャリホツ」でさえも説法を間違ってしまうようなものだと思います。
ただそういうことがまったく起きなくするのは無理だと考えます。
なぜなら、私たちは日々活動しながら葛藤しながら成長しているのですから、
成長の途中で失敗してしまうのは成長のためには必要だからです。
また、キヨさんも学会活動の中で絶望的な状況から再起した人を何人もご存知なのではないでしょうか?
その方々は学会がもしなかったらどうなっていたでしょうか?
もちろん、自力で再起できた人もいるかもしれませんが、絶望してずっと不幸のままだった方も
いることでしょう。そういう学会という組織のよい面はすごく大きいと思うのです。
個々の間違った言動などは、その場でそれこそ対話して正して行けばよいと思うのです。
物事を悪いように考えれば、いくらでも悪いようにできますし、
良いように考えればいくらでも良いように考えられるものです。
だから、怖く恐ろしいのですが・・・

私からの願いは、ここまで真面目に考えているキヨさんに学会の組織に戻っていただき、
根気よく対話を重ね、間違っているところを正していってほしいと思っています。
一緒により良くしていただきたく思っています。

駄文、大変失礼しました。

目が覚めました

こちらのブログに出会えて
目が覚めました
ある悩みがあってもう500万遍くらいになりますか
お題目をあげ続けました
学会の会合などに出ても
歓喜なく行くのがつらかったのも事実でした
お題目をあげる中、ふと思いました
自分が疑問に思うこと、不満に思うことを
どうして内に秘めなければならないのか
愚痴、恨みは、怨嫉です、と書かれていた方のように学会2世の私はその呪縛に取り付かれていたようでした
もっと自分の意見があっていいのではないか
いつまでも依存体質ではなく
おかしいものはおかしいと
いえる学会でなければどんどん反学会の人は
増える一方ではないでしょうか?

学会に対する愚痴や悪口が福運を消すのではなく
そもそも愚痴や心無い非難そのものが
だれもがもっている運を消すのだと思います

決して、お金がないのに無理な財務や
読みたくないと思う新聞を読むこと
行きたくないと思う会合に無理やり行くことが
福運をつむことは決してないことだけは
わかりました・・

初めまして^^

初めまして。
36歳、男性、二世、元活動家の者です。
人材グループも12年以上やっておりました。

あなたのブログに感動しました。

煽るのはやめなさいだの、読んでいる人の福運を
消すことに繋がるだの、アホみたいなのが湧いているようですね。

なぜ管理人が読んでいる人間の人生の責任を取らなければならない?
何に影響され、どう人生を送っていくかは、そいつの責任。
テメーの人生くらいテメーで管理しろ。

この手のアホは相手にするだけ労力の無駄です、ほっときましょう。

静かにお辞めになればいい・・だ?
バカなの?
管理人は自分の感じた疑問点や不満点に対して、他の人がどう思っているのかを、意見交換したり、共有したいが為に、ココを立ち上げたんでしょう?
そんくらいも読み取れないの??

やはりほっときましょうw

あなたが就職できたのは、紛れもなく、あなたの努力の結晶です。自信を持ってください。

それと、もっちゃんという方が言われていることにも、説得力を感じました。。
僕にも、いつか宿業の嵐とやらが、襲ってくるのかもな。。

要は、

因果を周りに求めるか、自分自身の問題と捉えるかの違いやな。
親のせい
幹部のせい
旦那のせい
環境のせい
境遇のせい

楽でいいな~、と思いました。

ただ!今が幸せならいいんじゃないですか?
人は人で。

結果が必ず出るんだと思いますし。
間違った、組織運営の為だけの信心なら、それなりに結果がでるんでしょう、現罰として。

僕はこう思います。
人の『念』は侮れない。
世界中で、これほど真剣に信心を行い、平和の為に考えて行動している一般市民が数百万人もいて、確率論的に、幸せになってる人が多いから成り立っているんでしょう。
結果論。
だから、バカにはできない。
と、
普通は感じると思うんです。

幸せを願う祈りを否定、批判、自分自身としてね、を、してしまう事は怖い事なんじゃないか。
善を悪と感じる、自分自身の心。
大聖人はそれを戒めてるのではないでしょうか?

人は人。不完全。

この法はやはり凄いですよ。
結果出てますし。

はじめまして。さとっこと申します
私も同じ、学会2世です
共感というか、「私も同じようなことがあったな」って思います

私の両親は学会員でしたが、やんちゃな両親で父は酒乱で、母はギャンブル依存症。
もうちょっとまともに、信心してくれたら、こんなに苦しまずに済んだのに。。。と、二児の母になった今でも思います
学会員でありながら、平気で嘘をつくし、未だに下の子に会いにきません。そういう人たちです
私はずっと学会から離れていて、音信不通でしたが子供をきっかけに、母の勧めでご本尊を受け、今はしらゆり長です

最近、私の信心は母の愛情がほしかっただけだったんだと気づいてしまい、信心は全くなかったと自覚してしまいました
そう、2世は寂しいんですよ。で、子供は親の支えになりたいと、心から思っている。。。だから頑張るんですよね。どんな親であっても。
今から思えば、母の喜ぶ顔が見たくて、ご本尊様を受けたんだと思います

色んな信仰の形があって、いいと思います
その人の人生の支えになって、周りも幸せにする事が出来れば。

でも、母が錯乱状態の時に、ご飯食べさせてもらったのが、地域の地区担さんでした
うちの両親はそんなお世話になった方たちにも、平気で迷惑をかけてしまう人達なので、私はその時ことを思い出すと、辞めることが出来ません
ただ、今も親のことで悩んでたり困っている子供たちが、少なからずいることは確かです。
私は信心も何もありませんが、そういう子供たちのちょっとした支えになれたらと思っています
そんなささやかな優しさで、人は生きていけるものです。
学会がなかったら、私は自殺してたと思います

キヨさん。心の葛藤は人それぞれあると思います
家族のこと。学会のこと。
新聞啓蒙ひとつでも、あと10年も持たないでしょう
現状維持すら、今の日本は出来ないのです
人口が減り続けていますから。
私の子供たちの時代は、もっと厳しい時代になるでしょう
それは、学会の世界だけではなく、社会情勢もですが。。。

ともあれ、私は、活動の為の活動はやめることにしました
2世はそれで苦しみますからね。自分を殺してしまう。そんなことしなくても、いいのにね

連日暑いですから、体に気をつけてくださいね。
大丈夫、きっと、心晴れやかな日がきますよ。。

乱文失礼いたしました

学会員さんに質問があります。

キヨさん、元気してますね? 文章が生き生きしています(笑)

学会員さんが沢山来られているようなので、質問にお答え頂けますでしょうか?

「創価学会に初めて入るとき、お金はいくらあれば入れますか? また、私は極貧ですので、財務などは一切出来ません。0円です。それに、他人に迷惑かける事が人一倍嫌いなので、折伏・選挙活動は一切したくありません。その代わり「お題目」は人一倍、一生懸命やります。こんな私でも受け入れてもらえるものでしょうか?」

以上、お答え、よろしくお願いします。

はじめまして!
はじめてコメントさせていただきます。
ネット上で学会2世の人が内部から学会批判をしているよ、と娘に聞いてから、一生懸命にパソコンとインターネットの勉強をしました。

キヨさんは女子部の幹部のかたですか。

言っている事はよくわかります、本当に、よくある話です。組織の矛盾もあります。信仰してると思えないほど、変な人もいます。

学会がいやならやめてみたらどうでしょう。
ちゃんとご両親と話し合ってみてください。
勇気を出して、相談してください。
簡単なはなしです。その後両親と縁をきれば、完全に学会とは無縁になります。心休まると思いますよ。自分自身が納得できる人生を歩んだらいいとおもいます。

私も2世です。疑問を持ったときには、信仰はしませんでした。10年間無宗教でいましたよ。その時には、私も学会嫌いな人とつるんで、よく学会の悪口を言ってました。キヨさんの気持ちはよくわかります。中途半端だと見えるものもみえなくなります。

今になるとどうしてあの時学会の悪口を言ってしまったのかと思います。あなたの先を知っている、先輩として言いたい。今迷ってキヨさんのブログを読んでいる人にも言いたい、正しいことには、魔がつきまといます。
船がすすめば風もうけます。いつもいつも、信仰をやめたくなることがおきるでしょうが、それでやめてしまうと、自分にとっては、とても損な生き方になります。
でも、私もそうだったように、自分の体で体験しなければ、わからないのです。
学会2世や3世は親のおかげで苦労したことがないので、本当に信仰するということが、どういうことかわからないのです。
本当に苦労した人しか学会の良さはわかりません。
本当に苦労しなければ、学会のすばらしさはわかりません。

私は今親が学会に入ってくれたことを、心から感謝できるようになりました。ごう慢な生命でした。苦労したおかげで、人間革命できるんだということが、実感としてわかるようになりました。

次から次に宿業の嵐が襲ってくる今が、私にとっては本当に功徳なのだと、おもいます。学会の悪口を言った罪は必ずかえってきます。

学会もかわらなければいけないことは、たくさんあります。私は私の立場ですこしづつでも学会を良くしていきたいと思っています。両親が命を賭けて、築いた清純な学会の世界を次の世代に残したいのです。今はキヨさんはそういう気持ちにはなれないとおもいますが、きっと私の言っている事がわかるときがくるとおもいますよ。あなたの今後に私は注目したいです。

活動家の方のコメントに対して...

はじめまして。
私も色々と悩みがあります。
完全否定はしませんが、熱心に活動する気にもなれません。
しかし、こちらのブログは、前にも読ませていただきましたが、私にとっては支えになりました。
なので、そんなコメントを読んで心がいたみました。
放っておくのが一番いいのでしょうが、本当に信心している方なら、もう少し思いやったコメントをしてほしいです。
私は、キヨさんがこのブログをかいてくれて、このブログに出会えてよかったと思います。

でしゃばったコメントしてすみません。
また来ます。

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こんなブログを書いているからお題目をあげていない証拠とよく言われる。。。
とありますが確かに自分も読んでて同じ事思いましたね。
何故なら祈るとご存知のように六根清浄するから物事の原因を見つめます。
この仏法は外に因を見ないです。最初は、外に見ていてもね。。。祈っているうちに。。。
全て起きた現象から何か学ぼうとします。
お題目をあげると自然に教学を求めます。
本当に真剣に祈りきった場合、そのような言動にはならないですね。
何故なら自分も貴女のような思いは多かれ少なかれ信心の途上で経験してきていますから。
凡夫ですから。動執生疑が起きるわけです。
迷えるを凡夫といい悟るを仏と言いますから。
祈って生命力が強くなれば仏界が開きます。
愚痴や文句を言ってた自分が大きく相手を包める自分に変われます。
組織ですから色んな人がいるのも事実ですね。
あぁ、この人もまだ変わる途上なんだな、
でも自分も怒りの生命、人を見下す生命があるんだな、と物事を謙虚に受け止めれる自分に不思議と変わりますから。
自分は、お題目は誰にも負けないって言うぐらい祈ってきましたから、本当に1つ1つの課題を祈ってきたならば、決してこのような行動にはならないと思いますよ。

剣さん、妙音さん、peaceさん、恵さん、石崎さん、コメントして頂きましてありがとうございます。
1点皆様に注意事項があるのですが、
複数の名前を使用するのはマナー違反ですので、お控え下さい。
管理する側も、同一人物の可能性がある場合、そう注意せざるを得ません。
よろしくお願いします。

また、学会員さんのコメントに取り急ぎコメントさせて頂きます。

私が創価学会を退会しない理由は、過去の記事でも触れましたが
両親(特に母親)、祖父母が活動家だからです。
母親に至っては、学会を辞めたら縁を切ると言われていますし、
私が辞めることによって、祖父母に与える影響は多大なものと容易に想像できます。
辞められるのであれば、私はすぐにでもご本尊をお返ししたいです。
しかしそれを今すぐにはできないと、私は考えています。

また、お題目につきましても、
「こんなブログを書いているのだからお題目を上げていなかった証拠」
と、学会員さんにはよく言われます。
しかし、この決め付けが私は非常に怖い。
何を以てしてそう決め付けるのか、私にはわからないのです。
未活動になったのは信心不足な証拠、折伏できなのはお題目が足りないから、
彼氏を説得できないのも、新聞啓蒙できないのも、日々の「信心不足」という
言葉で簡単に片付けられてしまう。
ですので私がこの場で、過去にお題目を上げてきました!と主張しても、
学会員さんにとっては、その言葉には何の意味も持たないのです。

また、広布の誤字のご指摘ありがとうございました。
気付きませんでした、確かに違ってましたね、修正します。
折伏については、もしかしたらどこかの記事内で誤字があったかもしれません。
気付き次第修正しますね。

今日もこれから仕事なので、皆様へコメント返しできませんが、
皆様良い週末を^^
時間見つけてコメントしますね。

活動家が折伏の字は間違わないよ!
広布基金もね。
公布って間違う所が活動家じゃないよ。
こんな初歩的な間違いしない。
アンチがよくする誤字だよ。

同じく...

同士への愚痴、恨みは、怨嫉です。
怨嫉はご本尊不敬と同じ大きな罪と言われています。キヨ様は、信、行、学という三本柱の信と学が
不足されてたように思いますよ。

題目をあげていない、あげきっていないという事は、口が裂けても言われないのですね。
題目があがっていると先ず、愚痴はなくなりますから。この信心は他力本願でありません。
誰がどうこうというのは、己心の外に本尊を置いているのと同じです。
いずれにせよ、体験を持って確固たる信心を確立された方なら微動だにしないでしょうが、まだ確信の浅い会員さんがせっかく積み上げている福運を消す事に繋がる言動だけは、おやめ頂きたいです。
やらないのは、勿論キヨ様の自由ですよ。

この手のブログを始める人って。。。
退会しないのに未活動になった理由や、やらなくなった理由を沢山書き連ねるのが最大の特徴。
信心の世界は、同士の場合、怨嫉は五逆罪より重いと厳しく戒められています。
修行中に色んな事もあり、組織の矛盾を感じる事もあるでしょう。
納得行くまで、学会本部まで行って私は、(東京まで行って)何度も指導受けに行きましたが。。。
損したくないから。
正視眼で見たいから、謙虚に捉える自分になりたいから、祈って祈って指導を受けに行きましたけど。
キヨさんは、感謝の気持ちの少ない方ですね。
やられた、言われた、そういう事を連ねて、他の方も自分と
同じような方がいる、と安心したいだけですね。
でもキヨさんに他の方の積み上げた福運を消す権利は、ないのですから。。。
愚痴を並べられているのに退会されない最大の理由は、何でしょうか?

男子部の方の言う通りですね。
タイトルに創価学会員と書かないで欲しいですね。
反逆者、もしくはアンチと入れて欲しいです。
おやめになられてスッキリされてるのにどうして
執着してらっしゃるのか不思議です。
静かにおやめになられたらいいじゃないですか。

はじめまして
読ませていただきました。

キヨさんは、同じ思いを持つ人の役に立てば、とおっしゃていますが役になんて立たないです。
傷の舐め合いしても幸せになりません。
御書に十四誹謗について詳しく書かれています。
そして、あの人がこう、昔こうだったと、それが
本当の事であっても怨嫉した方が罰を受けると厳しく記されています。どのようになるか迄詳しく書かれていますね。
おやめになるのは、おひとりで静かに辞められたらどうでしょうか。

幹部に間違ってる事は、どんどんぶつかっていったっていいんです。それは、怨嫉と違いますから。
注意してあげればいいんです。言わないのなら辞めてから言うのは只の愚痴です。

ここに来られた方は、組織内でイヤな事があったり
された方が多いようにお見受けします。
でも、あなたは、お役に立つと本当に思ってらっしゃいますか?
当如敬仏の姿勢を大聖人は、おっしゃていますね。揺らいでる方に対して貴女は、魔の働きをされているんですよ。
ここで同じような事で迷ってる方のコメントを読んで貴女は、ご自分が間違っていない!と一生懸に自己確認されているだけです。
人を煽っては、いけません。
辞めるなら静かにおやめになられるべきです。
元品の無明の利剣は信しかないのですから
貴女は、その信を破ろうとする魔の働きをしておられる事は、お分かりですか?

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同感です!

はじめまして。
今年に入ってからこのブログを知り、過去ログをすべて読ませていただきました。
このブログはもう更新されない、放置されてるんだと思っていたので、
こうやって書き込みできることがとてもうれしいです。

なぜなら、このキヨさんのブログは、
私が探した中で出会えた、数少ない、
創価学会の問題を真摯に書き綴られているブログだったからです。
そして、キヨさんと同じく学会二世かつ活動家だった私にとって、このブログは、
頭と気持ちを整理し、学会とちゃんと距離を置くきっかけの一つとなりました。


今回の記事の内容も、すごく同感です。

信心の姿勢は、多くの部分で、
個人の生き方としてはとても立派なものであると感じていますが、
それを全ての人に絶対的に押し付けることで、
「時計の針の 巻き戻し」や「のんびり創価学会」等で紹介されているような、
たくさんの不幸が生じています。

まだ、創価学会の発展期=戸田第二代会長、池田第三代会長の時代は、
社会が発展途上なため、
一般人が、正しい知識を入手したり、正しい対処方法を実践したりする機会が、
非常に限られていたのだと推察しますが、

現在は、外に有益な情報や機会があるのに、もはや古い創価学会のドグマに縛られて
苦しめられている人々が、少なからずいます。


キヨさんのますますのご活躍とご多幸を、祈ってます。

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こんにちは、キヨです。 周りから様々な影響を受けて無宗教になりました。 このブログは、恋人や知人が創価学会で苦悩している 人と学会の方々にあてたブログです。 記事はあまり順番を気にして書いていないので、好きなタイトルからご自由にお読みください。リンクはご自由にして頂いて結構ですが、その際コメント欄で教えて下さいね。

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